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2005.09.27

義経 38

義経 第38回 「遠き鎌倉」

院の御所。御簾越しに法皇に拝謁する義経。建礼門院は穏やかに過ごされていたという義経の言葉に、満足そうにうなずく法皇。女院に対する沙汰は寛大にしたいと考えている法皇ですが、頼朝の存念はどうかと義経に尋ねます。しかし、頼朝に遠ざけられている義経に判るはずも無く、答える事が出来ません。苦しげな義経の内心を見透かすように眺める法皇。

梶原景時の館。景時、景季と対面している義経。景時は、まだ処分も決まらぬ女院は敵も同然であるとし、頼朝の弟が勝手に見舞っては頼朝の内意と受け取られかねないと苦言を呈します。しかし義経は、女院は国母であった人であり、そして今は出家した一人の尼御前に過ぎず、敵とは思っていないと答え、景時を黙らせます。

「命を永らえて京に帰った建礼門院ですが、後難を恐れて誰も近づこうとはしませんでした。「源平盛衰記」に依れば、そんな女院の境遇を哀れんで、なにくれとなく面倒を見たのが義経でした。女院のみならず、その女房達の装束をあつらえたり、また西海で拾われた安徳帝縁の品々を女院の下に届けたとあります。女院はその中にあった安徳帝の具足(着物?)を顔に押し当て、嘆き悲しみました。その様子を見て、周囲の者達もまた涙にくれたと記されています。このあたり事実かどうかは別として、情のある義経の人となりが窺える記述ではありますね。」

館を出ようとする義経に、背後から声を掛ける景季。彼は、自分の本意ではないが、頼朝の触れ状が出た限りはこれまでの様に気安く訪ねる事は出来ないと悲しげに告げて、義経に背を向けます。その背中にいずれまた酌み交わす時もあろうと声を掛ける義経ですが、景季は黙って去っていきます。その後ろ姿を見つめながら、辛そうな様子の義経。

鎌倉、大倉御所。頼朝の前で義経からの起請文を読み上げる大江広元。頼朝に二心は無いと誓う義経の言葉を聞いた頼朝ですが、どう取りはからうかという広元の問いかけに、返答はせずに置き、この後の義経の振るまいを見ようと答えます。

「前回に触れた様に、義経の起請文はかえって頼朝の怒りを買う結果になっています。これまで散々わがままに振る舞い、鎌倉には何も言ってこなかったのに、自分の機嫌が悪いと知ると慌てて文を寄越すとは言い訳がましいにも程があると、頼朝は怒りを爆発させてしまったのでした。
それからすればドラマの頼朝の反応は至極穏やかなものですが、ここまで来ても言葉を尽くさなければ義経には何も通じる訳が無いとなぜ判らないのかと、頼朝に突っ込みたくなる演出ではありますね。」

夜、義経の館。一人端座する義経の下に、お徳が訪ねて来ます。お徳は義経が頼朝から遠ざけられている事を知り、その原因が景時が頼朝に送った書状にあるらしいと探り出してきたのでした。そこには義経が独断に走り、関東の武士達をないがしろにしたと書かれていると聞いた義経は、あまりの事に言葉を失います。せっかく差し出した起請文にも返事が無く、鎌倉は遠いと嘆く義経。都と鎌倉の隔たりは大きいと、別の意味も込めてつぶやくお徳。

数日後、義経の下を訪ねてきた源行家。彼は義経の戦いぶりを褒め、その義経をないがしろにする頼朝は嫉妬に狂っていると断定します。その上で、思い上がった頼朝を討てと義経を扇動する行家ですが、義経は平家を討ったのは争いの無い世の中にするためであり、この上源氏同士で争う事はしたくないと答えます。なおも、義経は同じ源氏の義仲を討ったではないかと食い下がる行家ですが、義仲とは戦いたくはなかったのだとかえって義経の怒りを買う結果となり、黙らざるを得なくなります。

「どのタイミングでかは判りませんが、行家が義経に接近していたのは事実です。ここで書いてしまうとネタバレになってしまいますのでこれ以上は触れませんが、行家は後に義経の運命に大きく係わってくる事になります。」

行家が帰った後、一人黙然と座る義経。その険しい様子を見て、背後から声を掛ける静。義経は、母と名乗れぬ女人とその幼子を引き離し、鎌倉に伴えば頼朝との対面が叶うかもしれないと考えた自分の心を卑しいと感じ、己に腹を立てていたのでした。頼朝に直に会って自分の本意を伝えたいと苛立つ義経に、いずれその様な時が来るまで待てと忠告する静。

鎌倉、大姫の館。依然として気鬱の病が癒えぬ大姫に、命日になると義高の供養塔に花が供えられているらしいと告げ、一緒にお参りをしようと持ちかける政子。

義高の供養塔を訪れた政子と大姫。そこに、杢助と千鳥が現れます。政子達の姿を見て、慌てて帰ろうとする杢助達ですが、政子に呼び止められます。政子が頼朝の御台所で在ると聞き、両手を突いて畏まる2人。その2人に供養塔に花を手向ける訳を聞く政子に、義経に頼まれての事だと答える千鳥。その言葉を聞き、義経に会いたいと久しぶりに言葉を発した大姫。その声を聞いて、うれし涙にくれる政子。

時政に、大姫が口を開いた事を告げ、義経に会わせたいと願う政子。義経には人を癒す力もありそうだと、義経を鎌倉に呼んでくれるように父に頼みますが、時政は勝手に官位を授かった義経は墨俣川を東に越える事も許されていないと娘の願いを断ります。

「このあたりの下りは全てドラマ上の創作と思われますが、あれほど義経を警戒していた政子が、娘可愛さとはいえ、義経を鎌倉に呼ぼうとするのには違和感を感じます。これは、次の展開のための伏線なのでしょうか。それはともかく、大姫役の野口真緒は、この難しい役を上手く演じてますよね。心を病みながらも、千鳥たちの言葉に一縷の希望を見いだし、それに縋ろうとする大姫を見事に表現していたと思います。」

院の御所。平知康から、平宗盛、清宗親子を鎌倉に護送する役目には誰が適当かと聞かれた義経は、自ら赴くと答えます。官位を勝手に受けた者は墨俣川を越える事は出来ないはずではと訝る知康ですが、法皇はその下知には義経の名は無かったとし、改めて義経に護送の役目を命じます。

「平家物語や玉葉には、義経が宗盛等を伴って京を発ったのは5月7日の事とあります。そこには特に院の命を受けたとは記されていませんから、平家追討の戦後処理の一環としての任務であったと思われます。
そして、ドラマには出て来なかったのですが、平家物語に依れば、この直前に義経は頼朝の機嫌を更に損ねる事をしています。それは平時忠の娘初子を側室に迎えた事で、あろう事か敵方の重鎮の縁者となってしまったのでした。これは、時忠が義経に押さえられていた自分の日記(これには時忠の悪事が記されていたとあります。)を取り戻すために仕掛けた策略であったとされていますが、だとしてもそれに易々と乗った義経の無神経さには首をかしげたくなります。これでは頼朝に愛想を尽かされたとしても、仕方が無かったという気もしますね。」

宗盛親子を伴って、京を出立する義経の一行。

院の御所。頼朝がなぜ義経の名を記さなかったのかと訝る知康に、頼朝は義経を試したのだろうと答える法皇。そして、その義経を頼朝がどう扱うか、法皇もまた頼朝を試そうとしていたのでした。

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