義経 38の2
義経 第38回 「遠き鎌倉」その2
鎌倉、大倉御所。南都興福寺からの重衡引き渡しの要求書を読み上げる大江広元。そのかつてない激越な調子を知り、対応に苦慮する頼朝。
伊豆。頼朝に庇護されている重衡の下に、叔父の頼盛が訪ねて来ました。都落ちにもその後の戦にも加わる事なく頼朝を頼り、平家一門を裏切ったと自らを責める頼盛。そんな叔父の姿を見て、一門の中で孤立していた苦しい立場を思いやる重衡。頼盛は、頼朝の下に興福寺から重衡引き渡しの要求が来ていること、頼朝はその要求を拒否しているものの、相手のあまりに強硬な態度に苦慮している事を重衡に告げます。これを聞くと、重衡は自ら南都へ赴くと言い、一門の者がことごとく西海に沈んだ今、自分一人が関東に居てもなす事が無いと叔父に語ります。一門を裏切った上、甥を死地に追いやる使者にまでなってしまった頼盛は、涙を流して重衡に謝るのでした。
「頼盛が重衡の下を訪れたという記述は、平家物語や吾妻鏡には出てきません。恐らくはこのドラマの創作でしょう。史実の頼盛は、この頃東大寺において自らの意思で出家しています。頼朝に厚遇されながらも、平家一門が滅びた後、自分一人が生き延びた事に言い知れぬ苦悩を抱えていたのかも知れないですね。」
大倉御所。重衡から興福寺に赴くと申し出があったと頼朝に告げる善信。そこに広元が、後白河法皇は宗盛親子を護送する役目に義経を任命したと知らせてきます。義経は既に墨俣川を越えたものと見られると聞き、押し黙る頼朝。
その夜、一人端座し、苦悩する頼朝。そこに政子がやってきます。彼女は処罰された者の中に義経の名は無く、形の上ではなんら支障はないため、義経を鎌倉に迎え入れよと夫に告げます。
政子が去った後、頼朝の前に現れた広元。彼は、義経の処分については全ての御家人が注目しており、鎌倉の行く末を盤石にする為には義経を鎌倉に入れてはならぬと頼朝に言上します。その言葉に、苦しげに目を伏せる頼朝。
相模・酒匂川。義経の陣所に、南都興福寺へ重衡を護送していく途中の伊豆頼兼がやってきます。重衡が一緒と聞き、義経は宗盛親子と会わせてやる事にします。
宗盛、清宗と対面する重衡。清宗から、時子、知盛の壮絶な最後を聞き、悲しみに暮れる重衡。すべては自分のせいだと自らを責める宗盛に、時の趨勢というものだと答える重衡。重衡が南都へ送られると知り、涙を流して悲しむ宗盛。そんな宗盛を見て、清宗に兄を頼むと言い、義経にも宗盛親子をよろしく頼むと頭を下げる重衡。涙しながら目顔で今生の別れを告げる重衡と宗盛。そんな彼らを痛ましげに見守る義経。
夜の陣所。廊下を渡ってきた義経は、とある部屋から漏れる声に気付きます。義経がその部屋を覗くと、重衡との別れを悲しみ、一人涙に暮れる宗盛の姿がありました。重衡と宗盛の姿に、自分と頼朝の姿を重ね合わせる義経。
「重衡を護送していた伊豆頼兼は、源三位頼政の孫にあたる人物です。平家物語では彼が重衡を南都まで連れて行ったとなっているのですが、吾妻鏡や玉葉では、京へ戻る義経が、宗盛親子と共に南都へ向けて護送したと記されています。その途中、この3人が顔を合わせる機会があったのかどうかは判りませんが、もしかしたら、ドラマの様に涙ながらに語り明かした夜もあったかも知れないですね。
また、義経に頭を下げていた重衡ですが、平家物語に依れば、義経に命乞いをしたのは宗盛自身でした。義経は、流罪になる事はあっても命を取られる事は無いでしょう、たとえそういう沙汰が下ったとしても、自分の勲功に代えても命は助けてみせますと頼もしく答えたと記されています。これからすると、義経は平家を滅ぼした自分の功績に絶対の自信を持っており、よもや鎌倉入りを拒否されるとは微塵も思っていなかった事が窺えます。」
鎌倉の手前、腰越にまでやってきた義経の一行。そこで出迎えた時政は、宗盛親子を引き取り、義経には腰越に止まるよう告げます。驚く義経と、法皇の命に楯突くつもりかと憤る郎党達。しかし時政は、すべては頼朝の命であると突っぱね、宗盛親子だけを連れて去っていきます。後に残された義経は、鎌倉には入れてもらえぬようだと悲しげにつぶやくのでした。
「平家物語に依れば、義経の鎌倉入りを阻止したのは、またもや梶原景時だったとあります。義経より一日早く鎌倉入りした景時が、すでに日本中が頼朝に従っている中で、最後の敵は義経であると頼朝に告げると、頼朝もまたこれ同意し、数千騎に及ぶ御家人を動員したとあります。この兵力をもって、義経の鎌倉入りを阻止しようとしたのですね。また、頼朝は義経の作戦能力を極度に恐れていたようで、大勢の兵達に囲まれていながらも、「義経はすばしっこいやつだから、こうしているうちにも、畳の下から現れるかも知れない」と言葉を漏らしたと記されています。これからすると、平家相手に勝利を収めた義経の実力を最も評価していたのは、実は頼朝だったのかも知れないという気もしますね。」
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