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2005.09.09

義経 35の4

義経 第35回 「決戦・壇ノ浦」その4

源氏勢に囲まれながら孤軍奮闘していた資盛ですが、無数の矢を身に受けて進退窮まり、自らの刃で壮絶な最後を遂げたのでした。
海に浮かぶ、おびただしい数の平家の赤旗と、その兵士達の死体。平家の敗色が濃厚になる中、知盛が主上が乗る御座船へとやってきました。

主上を始め、一門の女人達に戦況を語る知盛。奮戦むなしく、相次ぐ味方の裏切りに遭い、そして潮の流れが変わる共に戦況が不利となり、さらに一門の将兵が次々と討ち死にしていく中で、褪勢覆うべくもない状況となったのでした。時子から、もはやいかぬかと確かめられた知盛は、一同に向かって最後の覚悟をするようにと迫ります。沈痛な空気の流れる中、時子は一同に対して、よくぞこれまでの苦難の道に付き従ってくれたと礼を言い、屋島で日輪の扇を射抜かれて以来、今日の日が来る事は覚悟していたと胸の内を明かします。そして、主上もろとも、一門打ち揃って平家の西の海に帰ろうと語りかけるのでした。あまりに幼が故に事態が飲み込めない主上から、海には何があるのかと聞かれた時子は、波の下には清盛が築いた夢の都がある、そこでは重盛、維盛、そして清盛がきっと我らが行くのを待っていると答えるのでした。無邪気にその言葉を信じ、清盛に早く会いたいと叫ぶ主上と涙に暮れる時子。しかし、時子はすぐに思い直し、主上には守貞親王として船に残ってもらうと言い出します。驚く一門を尻目に、時子は能子に向かって、主上と共に船に残る様に命じます。義経の妹の側に居れば、源氏も悪くする事は無いはずという計算でした。時子の言葉に、頭を下げて承る能子。黙って安徳帝を抱きしめ、別れを惜しむ建礼門院。一同に別れを告げ、船を後にしようとする夫の知盛に向かって、夢の都で是非にもお会いする声を掛ける明子。その言葉を胸に、黙って船室を出ていく知盛。

義経の船。弁慶の声に御座船の異変に気が付く義経。義経が目にしたものは、三種の神器を手に御座船の船端に並んだ平家の女人達の姿でした。何事かと訝る義経の目の前で、次々に海に身を投じていく女官達。あまりの出来事に、待たれよ!思いとどまられよ!と絶叫する義経。彼の言葉もむなしく、船を後にする明子、建礼門院、そして曲玉を手にした領子。その中で、着物の裾を矢で射抜かれて進退の自由を失い、お待ち下され!と泣き叫ぶ神鏡を手にした輔子。義経は、船を寄せよ、落ちた人達を救え!と必死に命令を下します。最後に残ったのは、守貞親王を連れた時子でした。彼女はふと義経の方を見て、静かな笑みを浮かべます。彼女の心に浮かんだものは、源氏には決して屈しないという平家の意地か、それとも安徳帝を生きながらえさせる事への満足感か、あるいはその主上を助けてくれるであろう義経に託す願いだったのか。やがて、宝剣を手にした時子は守貞親王を抱き上げると、船縁に足を掛けます。なりませぬ!と絶叫する義経の声を聞きつつ、時子は海に身を投じたのでした。時子の手を離れ、海の底へと沈んでいく宝剣。入水する時子を見て愕然とし、落ちた方々を引き上げよ!と叫ぶ義経。

誰も居なくなった船室の片隅で、守貞親王と入れ替わった安徳帝を抱きしめる能子。

両手を合わせ、船縁に足を掛けたまま震えている宗盛。そのあまりの往生際の悪さを見かねて、背中から突き落とす平家の武将。船から落ちた父を追って、海に飛び込む清宗。しかし、彼らはすぐに浮かび上がってしまい、船を占拠した景季の部下が差し出した熊手に縋って救い上げられてしまいます。その船の船室で、一人苦しげに座っている時忠。

何本もの突き刺さった矢を背負いながら、なおも戦い続ける知盛。群がる源氏の兵士達を倒した知盛は、またも現れた新手を前にして舳先へと退きます。そして、そこにあった碇に繋がる縄を身に巻き付けると、「見るべきほどのものは全て見た。」と史上有名になった言葉を残し、大碇を頭上に担ぎ上げるや、そのまま背中から海に落ちたのでした。

知盛の壮絶な最後、そして海一面に広がった赤旗と、平家軍の死体を目の当たりして、呆然と立ちつくす義経。

崖の上から観戦していた烏丸とお徳。震えながら念仏を唱える烏丸と、むなしさのあのり、涙を流すお徳。

戦いが終わって、戦場を見渡す義経の郎党達。その船の舳先に立ち、凄惨な海の様子を眺める義経。夕陽の赤と、平家の赤旗で真っ赤に染まった海を見つめる義経には、戦いに勝ったという爽快感はどこにもありませんでした。

「敗色濃厚になったとき、知盛が取った行動は、御座船に移ってあたりを掃除するという事でした。世の中は既に定まった、見苦しい物は海に捨てられよと言いながら、あるいは拭き、あるいは掃いて、塵を捨ててあたりを清めに掛かったのです。そして、女官から戦の様子を聞かれると、「これから珍しい東男をご覧になる事でしょう」と言って、からからと笑い声を上げました。女官達は何をふざけているのかと騒ぎ立てたのですが、その様子を見ていた時子は全てを悟りました。

覚悟を決めた時子は、喪に使う鈍色の二枚重ねの衣を被り、練り絹の股立ちを高く持ち上げて挟み、神璽を脇に抱え、宝剣を腰に差して、安徳天皇を抱きかかえます。そして、「私は女ながら、敵の手に掛かりたくはない。主上と共に参ります。同じ志を持つ者は急いで続きなさい」と言って、船端へと出ていきました。安徳帝はこの時僅かに8歳でしたが、あきれた様に時子に向かって「私をどこに連れて行こうとするのか」と問いかけます。時子は幼帝に向かって、「先世の功徳により主上となれたのですが、悪縁に引かれてご運は尽きました。まず東に向かって伊勢神宮にお暇を乞い、その後西方浄土のお迎えに預かる為に、西に向かって念仏を唱えて下さい。この世は住みにくい所となったので、極楽浄土という結構なところにお連れするのです」と、泣く泣く言い聞かせます。安徳帝は言われたとおりに、素直に東に向かって暇を乞い、西に向かって念仏を唱えました。やがて時子は幼帝を抱きかかえ、「浪のしたにも、都のさぶらふぞ」と言い聞かせて、海へと飛び込んだのでした。

これを見ていた建礼門院は、重しになる様に焼け石、硯を懐に入れて海に飛び込んだのですが、渡辺党の者が誰とは知らないままに熊手に髪を絡めてこれを救い上げます。それを見ていた平家の女房どもが、口々に「恐れ多くも女院にあらせられるぞ」と騒いだので、義経に伝えて御座船へと収容したのでした。

御神鏡を抱えた輔子(大納言佐)が、着物の裾を矢で縫い止められて倒れたのは、ドラマにあったとおりです。そしてそのすぐ後で源氏の兵士達に引き留められ、生け捕られる事になります。その兵士達が鏡の入った唐櫃を開けようとしたところ、目が眩み鼻血が出ました。それを見ていた時忠が、「それは内侍所(神鏡)であるぞ。凡夫の見る事が出来る物では無い」と言ったので、皆側から立ち退き、後で義経が時忠と申し合わせて元の通りに収めたとあります。

明子(治部卿局)については、平家物語には生け捕られたとあるだけなのですが、吾妻鏡には安徳帝を抱いて入水したが存命であると記されています。ですから、実際には時子ではなく、明子が安徳帝を抱いて海に飛び込んだのかも知れないですね。しかし、だとすれば、主上を死なせ、自分だけが生き残った明子の心中はいかばかりのものがあったでしょうか。

このほか、生け捕りになった女房達には、能子(廊の御方)、領子(師典侍)が居り、全部で43名だったと伝えられます。こうしてみるとドラマに出てきた女人達は、時子を除いてみんな助かっているのですね。これらの女人達が、この後どう生きて行くかが、このドラマの見所の一つとなるのかも知れません。

一方、ドラマでは自刃した資盛でしたが、平家物語に依れば、有盛、行盛の兄弟達と手を取り合って入水したとあります。彼らは最後まで、小松一門として結束して果てたのですね。ここには、彼らの嫡流としての意地が見え隠れしている様な気がします。

ドラマでは碇を背負って死んだのは知盛でしたが、平家物語では経盛と教盛の兄弟が二人して碇を背負って海に沈んだとあります。経盛と教盛は共に清盛の弟で、経盛は清盛亡き後の一門の長老として重きをなし、また教盛は門脇宰相と呼ばれ、清盛に最も頼りにされていた人物でした。ちなみに、平家一の猛将である教経はこの教盛の息子にあたります。この2人は平家一門の興隆から没落までの一部始終を見届けた訳であり、その最後にあたっては感慨深いものがあった事でしょうね。碇を背負っての入水というすさまじさに、2人の辿ってきた人生の重みというものを感じます。

宗盛親子の入水については概ねドラマにあったとおりですが、2人を助けたのは景季ではなく伊勢三郎だったとあります。司馬遼太郎の「義経」に依れば、この2人は水練の達者だったとありますね。また、源平盛衰記においては、宗盛の見苦しい姿を見て、時子があれは清盛の子ではなく清水の傘張りの子であると秘事を明かしたとあります。時子が産んだのは女の子だったのですが、重盛に次いで男の子の欲しかった清盛の願いを叶える為に、同じ日に生まれた傘張りの家の男の子と取り替えたのが宗盛だったと言うのです。これは源平盛衰記にだけある記述で信憑性は薄いのでしょうけれども、知盛を初めとする一門の潔い姿からすると際だって往生際の悪い宗盛は、違う血筋の生まれだと考えたくなるのも判らなくはありませんね。しかし、私的にはこの情けない宗盛の姿もまた、いかにも人間らしい生き様の様に思われて、時子の様に切り捨てる気にはなりません。

さて知盛の最後ですが、ドラマにあった様に戦いがあらまし終わったのを見届けて、「見べき程の事は見つ、今は自害せん」と言って、乳母子の伊賀平内左衞門家長と共に、鎧を二両着込んで海に入ったとあります。この知盛の残した台詞は、平家最後の戦いの総指揮を執った者として、責任を全うし、かつ潔い死を選んだ言葉として胸に迫るものがありますね。そしてドラマでも阿部寛がそんな知盛を見事に演じきっていました。この回の主役は義経ではなく、知盛と時子の2人だったと言えそうですね。

その知盛が碇を背負って自害したという像が壇ノ浦にあるそうです。これはなぜかと言うと、後に創作された「義経千本桜」という浄瑠璃において、知盛が碇を背負って死ぬという場面があるからです。この作品では、壇ノ浦の戦いを安徳帝と共に落ち延びた知盛が、復讐を誓って潜伏するという設定になっています。やがて、義経が都を落ちて九州に向けて船出する事を知り、亡霊に化けて沖合で待ち受けてこれを討とうするのですが、残念ながら計画がばれて失敗に終わってしまいます。そして、失意の内に碇のとも綱を体に巻き付けて海に飛び込むという最後を迎えるのですが、この「義経千本桜」は歌舞伎にも取り入れられて有名になり、いつしか知盛の最後の姿として定着する様になったのですね。

「義経千本桜」では知盛と共に生き延びた安徳天皇ですが、同じ様に壇ノ浦では死ななかったという伝説は各地に残っており、その陵墓とされるものが全部で数十カ所も存在しているのだそうですね。その中で特に有名なものが資盛に守られながら鬼界ケ島(硫黄島)に落ち延びたという伝説で、同地には安徳帝の陵墓があり、かつ子孫を名乗る家系が今も続いているそうです。

この安徳帝生存説の根拠の一つになっているのが、平家物語における安徳帝の容姿に関する記述です。壇ノ浦における安徳帝の描写には二通りがあって、一つは時子に「どこに連れて行くのか」と聞く場面にある「髪黒くゆらゆらして、御せなか過ぎさせ給えり」という記述、もう一つは入水直前に手を合わせる場面にある「山鳩色の御衣にびんずら結わせ給て」という記述です。びんづらとは、中分けして耳の辺りで束ねて結んだ髪型の事であり、ストレートに垂らしただけの姿とは明らかに異なります。このことから、壇ノ浦においては安徳帝とその身代わりが居て、海に沈んだのは身代わりの方だったという考え方が出てくるのですね。ドラマでもそのあたりの描写があるかと思っていたのですが、残念ながら2人とも同じ髪型でした。

事の真偽はともかくとして、源氏の追求を逃れて落ち延びた平家の人々にとっては、安徳帝が生き延びたとする伝説が、何よりも増して心の支えとなっていたと想像するには難くありません。」


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コメント

勝ち戦なのに、あの空しさを表現したNHK(?)に拍手を送りたいです。
まさに、祇園精舎の鐘の声・・・の一節を目にいたしました。

投稿: mononoke | 2005.09.10 19:07

mononokeさん、コメントありがとうございます。
普通なら鬨の声を上げて勝利を祝うところなのでしょうけれども、
その前の入水のシーンの後では、そんな演出は出来なかったのでしょうね。
平家物語を貫く主題が、この回で見事に結実したと思います。
このドラマ、いっそここで終わるようにした方が良かったような...、
なんて言ったら叱られるかな。

投稿: なおくん | 2005.09.10 20:27

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