義経 34
義経 第34回 「妹への密書」
1185年(元暦2年)3月、屋島を出て長門に向かう義経の船団。義経が座乗する船で軍議が開かれています。密書を送った船所五郎からの返事は未だ無く、援軍を約束した熊野水軍はどこまで信用出来るのかと事態を憂う梶原景時ですが、義経は湛増の言葉に嘘はないと言い切る弁慶を信じて待つ事にします。
長門国、彦島。得意の筆で書をしたためている廊の御方こと能子。
「ドラマでは能子と呼ばれる義経の妹ですが、平家物語や源平盛衰記には廊の御方とのみ記されています。おそらく能子とは、原作者である宮尾登美子さんが、その弟に当たる能成から取って創作した名ではないでしょうか。
源平盛衰記に依れば、彼女は常葉(常磐)の娘で、清盛の八女として生まれました。長じて琴の上手となり、また書を佳くし、花山院左大臣(藤原兼雅)の御台所と親しかった事から大臣に仕える様になり、三条殿とも呼ばれていました。そして、いつしか兼雅と密通する様になり、姫をなしたとあります。また異説として、大納言有房卿の妻で、書画に特に秀でた女性であったとも言います。あるとき障子に百首の歌とそれに合わせた絵を描き、そこに色紙形の銘を記したところ、そのあまりの見事さに後白河法皇も稀代の女房であると彼女を褒めたとあります。
廊の御方は壇ノ浦において囚われの身となっている事から、ドラマにある様に平家の都落ちに同道していた事は確かな様です。
また、尊卑分脈にもその名があるそうですが、その一方で実在を疑う説もある様ですね。(このあたりについては、手元に資料が無く確認が出来ていません。)」
総大将の知盛を中心に、軍議を開いている平家の人々。義経のゆっくりした動きを警戒しながらも、船戦には絶対の自信を持ち、豊後の範頼を封じ込めておけば義経恐れるに足らずと絶対の自信を示す知盛。彼は平家再興をこの一戦に賭けていました。
女房が差し出す蟹と戯れる安徳天皇と守貞親王、その2人の様子をじっと見守る時子。平家一門が源氏に対して優位に立てる事があるとすれば安徳天皇を擁している事だと考える時子は、何としても天皇を護らなければならないと言って、無邪気に遊ぶ2人の姿を見つめます。そのあまりに厳しい表情を見て、はっとした様子の建礼門院。
京、義経の邸。甲斐甲斐しく働く静の下に、うつぼがやってきます。お徳から義経の消息を聞き、それを伝えに来たのでした。しかし、静は既に屋島での勝ち戦の事を知っており、二人して嬉しそうに笑い合います。そこに現れた正室の萌。その姿を見たうつぼは帰ろうとしますが、萌に引き留められます。萌は自分は望まれて来た者ではないと知りながら、静に手を突き、義経の消息が判れば教えて欲しいと頼みます。そして、うつぼも交えて義経の留守を共に守っていきたいと願うのでした。その言葉に、承知しましたと頭を下げる静とうつぼ。
義経の邸からの帰りに、烏丸から声を掛けられたうつぼ。正室の萌が義経を思う心を知り、かえって心が晴れない様子です。お徳と一緒に西国の戦を見に行かないかと誘う烏丸ですが、うつぼはそれを断ります。
3月21日、周防国に着いた義経の軍勢。そこで船所五郎正利が味方に付くべく現れました。頼もしい援軍を得たと喜色を浮かべて歓迎する義経。彼は正利に早鞆の瀬戸あたりの潮目を郎党に見せて欲しいと頼みます。正利は義経に那須与市の消息を聞き、あのとき竿を持っていたのが廊の御方であったと伝えます。それを聞き、やはりあれは妹であったのかと改めて知った義経。
「吾妻鏡の元暦2年3月21日の条に、義経が壇ノ浦に向かって攻め込もうとしたときに、あいにくの雨に遭ったために一日延ばしたところ、船所五郎正利が船数十艘を献じてきたとあります。そして喜んだ義経は、正利を鎌倉の御家人とするという書付を与えたと記されています。しかし、義経には正利を御家人にする権限はなく、これは勇み足だったのではないかと司馬遼太郎の「義経」では書かれていますね。こうした事も、後の頼朝との確執の原因の一つとなったのでしょうか。義経にとって正利の参戦が有り難かったのは、その船の数ではなく、このあたりの海を知り尽くした正利とその配下の知識と経験でした。ドラマでも早速駿河次郎に潮目を見せてやって欲しいと頼んでいますが、おそらくは実際にも似た様なやりとりはあった事でしょうね。」
周防に着いたお徳と烏丸。2人は街道で武者達に囲まれますが、彼らが義経の家来であると知り、ほっとした様子です。
義経と面会するお徳。彼女から静の消息を聞き安堵する義経。一方、うつぼに想いを寄せる男が居ると聞かされ、落ち着かない様子の喜三太。その喜三太に、辛抱せよと言って聞かせる伊勢三郎。
お徳と2人で、船上で語らう義経。お徳は武具を扱う者として、また古くから知る平家と義経がどのように戦うのかを、是が非にもその目で見たかったのだと義経に告げます。そして、戦の後には義経には何が待っているのかと問いかけますが、義経には答える術がありません。
「お徳と烏丸は宮尾本平家物語に出てくる創作上の人物ですが、中でもお徳は数百年を生きる存在とされています。いわば時空を越えた語り部であり、全てをその目で見届けた後、このドラマのナレーターとして現代に蘇ったという設定になっているのでしょうね。」
以下、明日に続きます。
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