牛若丸生誕の地 ~京都・紫竹~@義経
義経が廊の御方に宛てた手紙の中で、伴に墓前に参ろうと認めた2人の母、常磐御前。その常磐ゆかりの地が京都にあります。
北区紫竹の一帯がそれで、かつて義経の父である義朝の別邸があったとされ、ここで常磐が義経を産んだという伝説が伝わっています。上の写真がその邸跡を示す石碑で、大きな黒い石碑には牛若丸誕生井、下の小さな石碑には牛若丸産湯井と記されています。残念ながら実際に見る事は出来ませんでしたが、この石碑の後ろに井戸があり、今でも水が湧き出ているそうです。また、同じ敷地内には胞衣塚(えなづか)があり、義経のへその緒と胞衣(胎盤)を埋めた場所と言われています。
この石碑がある場所はその名も牛若町(写真は近くの南牛若町にあった看板)と言うのですが、案内看板もなく、初めて行くときっと迷うでしょうね。そしてやっとたどり着くと周囲は畑で、今度は、えっ、こんな場所がと驚く事だろうと思います。直接確かめた訳ではありませんが、この畑の持ち主は常磐を世話した人の子孫と伝わっているそうで、伝説が生きて今に続いている様な場所と言えますね。
この近くに、産湯跡と記した石碑がもう一カ所存在します。それがこの源義経産湯井遺址で、大正時代に行われた区画整理事業の際に、この地に伝わる伝説を後世に伝える為に建てた石碑であると碑文に記されています。まあ、義朝の邸は広大だったでしょうから、井戸が離れた場所に複数あったとしても不思議ではありませんよね。区画整理が行われた当時は竹藪で、それ以前には大徳寺の塔頭があったとされますが、今は全くの住宅街の中にあり、地名以外には義経との繋がりを窺わせるものは何もありません。
二つの井戸からほど近い場所にある光念寺には、常磐が義経の安産を祈願して奉納したという腹帯地蔵が伝わります。今では安産の祈願の為に訪れる人が多いようですね。
これらの史跡から南へ下がり、大徳寺を抜けて北大路通の南側の紫野にまで至ると、弁慶腰掛石や常磐井があります。こちらは、一条長成と再婚した常磐が住んだ場所と伝わっている様ですね。
いずれも伝説の域を出ず、地名も伝説にちなんで後から付けられたものではないかと思われますが、それでも牛若の名が残り、常磐の伝説が息づく地を歩いてみるのも一興です。大徳寺の参拝と合わせて、秋の散策を楽しんでみるのも良いかも知れませんよ。
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コメント
秋の散策に大徳寺っと( ..)φメモメモ
いやぁ、毎度、勉強になります。
ありがとう。(*^_^*)
投稿: Milk | 2005.09.01 19:54
Milkさん、コメントありがとうございます。
義経が大好きな人ならこの史跡巡りだけでも楽しいのですが、
そうで無ければやっぱりもの足りないと思います。
せっかく近くに大徳寺という見所たっぷりの寺があるのですから、
組み合わせない手は無いでしょう。
でも、この石碑を見てもがっかりしないで下さいね。
畑の中と住宅に挟まれた場所にあって、面白味はほとんど有りませんから。
付近にある地名の表示を見て、さらにそこから想像力をフルに発揮して、
初めて楽しむ事が出来ると思います。
投稿: なおくん | 2005.09.01 20:42
史跡にしても、伝説の域を出ないものにしても、京都には「義経」や「平家物語」に縁のある場所がいっぱいあるのですよね、当然ですけど。
1年くらい、京都で生活をして、じっくり見て回りたいものです(老後でしょうか?)
投稿: ヒロ子 | 2005.09.01 22:03
ヒロ子さん、コメントありがとうございます。
義経に限定せず平家物語にまで広げれば、結構な数の史跡がありますね。
かくいう私もまだ全部は回れていません。
楽しみは先に取っておくのも良いのではないですか。
老後は京都に住んでホームページ三昧というのも楽しいかも、ですね。
投稿: なおくん | 2005.09.01 22:19