義経 33の2
義経 第33回 「弁慶走る」その2
熊野の別当湛増の屋敷。配下の者達と闘鶏にいそしむ湛増。自分の鶏が勝利を収めてご機嫌になっている所に、弁慶相手に散々な目にあった手下達が駆け込んできます。たった一人に痛めつけられたと知り、手下どもを叱りつける湛増。その相手の名が武蔵坊弁慶と聞き、どこかで聞いた事があると思い当たる節がある様ですが、すぐには思い出せません。そこに響いてくる弁慶のがなり声。湛増は客人も来ている事でもあるし、これ以上の面倒は背負い込みたくないと、手下どもに弁慶を追い払え、逆らうなら殺しても良いと命じます。
門前で叫び続けている弁慶の前に現れた湛増の手下達。手にはそれぞれ武器を持っており、力ずくで弁慶を追い返そうとします。それを見た弁慶は、理不尽なり!と叫ぶや、手下ども相手に大立ち回りを始めます。そして、大勢の手下どもを自慢の怪力で次々と倒して行き、ついに門内へと押し入ります。その弁慶の姿を見た湛増は、かつて平家相手に夜な夜な太刀を奪い、都にその名を轟かした叡山の僧であった事を思い出します。弁慶は義経の郎党であると名乗り、湛増と話がしたいと申し出ます。湛増は、丁度その時戻ってきた客人を待たせ、弁慶の話を聞く事にします。
弁慶は湛増に、源氏は院宣を受けて平家と戦っている、熊野水軍は源氏に味方しないまでもじっと動かないでいて貰いたいと伝えます。湛増は身の程知らずとその申し出を一笑に付したものの、言う事を聞かなければ自分と射し違える覚悟という弁慶の言葉を聞き、郎党にそこまで言わせる義経という人物に興味を抱きます。弁慶から義経とは、戦上手だけではなく、また強いばかりでもなく、天下を望む野望も持たないと聞き、自分の理解を超えた人物像にとまどいを見せます。義経の為なら死んでも悔いは無いと言い切る弁慶を見て感心した様子の湛増でしたが、亡き清盛から受けた恩義は大きく、落ち目になったとはいえ、平家を見捨てる事は出来ないと弁慶の申し出を断ります。弁慶はなおも、義経もまた清盛を父とも思った事があり、平家と戦っているのは恨みがあるからではなく、天下安寧のためだと食い下がり、それを聞いた湛増は明らかに迷いを見せ始めます。その様子を見た弁慶は、鎌倉の杢助の名を持ちだし、手下を助けられた恩義はどうなっても良いのかと詰め寄ります。いぶかる湛増に、自分はその杢助の娘千鳥の婿だと明かし、疑う湛増にもし嘘ならこの身を八つ裂きにされても文句は無いと言い放ちます。その言葉を聞き、なにやら手下に指図をする湛増。
手下に連れられて現れた千鳥。湛増の客人とは、鎌倉から来ていた彼女の事でした。思わぬ場所で弁慶と会って喜ぶ千鳥は、湛増に聞かれて弁慶は自分の婿であると答えます。弁慶から平家の恩義が大事と言うなら杢助から受けた恩義はどうなると詰め寄られ、湛増は源平どちらに味方するのが熊野水軍の将来にとって良い事かと、ついに本音を漏らします。いつまでも煮え切らぬ湛増の様子に苛立った弁慶は、湛増の好きな闘鶏で白黒を付けようではないかと言い出します。
闘鶏場で対峙する弁慶と湛増。湛増の鶏は自慢の雷、弁慶が選んだのは白い毛の混じった鶏。かけ声と共に始まった戦いは、弁慶と千鳥の応援にも係わらず、湛増の鶏の勝ちに終わります。約束通り自分の命を取れと言う弁慶に、夫が殺されるなら自分も一緒にと座り込む千鳥。湛増は、念仏代わりに積もる話でもするが良いと言って、2人を残してその場から去ります。役目を果たせなかった事に悔し涙を流す弁慶。
湛増の屋敷の一室で、千鳥と2人で話す弁慶。彼は自分は義経の為に捧げた命だから惜しくは無いが、千鳥まで巻き込んでしまった事を後悔しています。千鳥は最初からこうなる定めだったのだと、嵐の海に出たと思って諦める事にすると答えます。そこに入ってきた湛増は、畏まる2人を前に懐から文を出し、これを義経の下に届けよと弁慶に告げます。それは源氏に付くという意思表示でした。自分の命はどうなると問いかける弁慶に、義経に呉れてやると答える湛増。その言葉を聞き、感激に打ち震える弁慶。
弁慶は、鎌倉で待つという千鳥を残し、義経の下へと急ぎます。
瀬戸内、鞆の浦沖の船上。弁慶を案じる義経の郎党達。カモメの鳴き声に弁慶がこの地で待っていると感じた義経は、駿河次郎に鞆の浦に寄港する様に命じます。船が岸に近づくと、果たしてそこには弁慶の姿がありました。
船上で湛増からの文を受け取る義経。湛増が味方に付くと知り、弁慶の苦労を労う義経。主君から役に立ったと認められ、完爾と笑う弁慶。後顧の憂いの無くなった義経は、一路彦島を目指して針路を向けます。
「湛増が源氏方に付いた経緯については、平家物語に依れば鶏合わせ、すなわち闘鶏によって決めたとあります。湛増は平家重恩の身でありながら、源氏が優勢な世の有様を見て源平いずれに付くべきかで悩み、御神楽を奏して熊野權現に祈誓し奉ったところ、「唯白旗につけ。」と御託宣がありました。しかし、湛増は尚もこれを疑い、白い鶏7羽と赤い鶏7羽を戦わせたところすべて白い鶏の勝ちとなったため、初めて源氏に付く事に決めたのでした。ドラマで弁慶の鶏が白っぽい鶏だったのは、この事を踏まえているのでしょうね。
源平盛衰記では、湛増は頼朝の外戚であったと記されています。姨婿(うばむこ?)とあるのですが、どういう関係になるのでしょうね。ここでは、ことごとく源氏に靡いた世にあって自分一人が世の流れに背を向けてもどうなるものではなし、かと言って平家を見捨てる事も昔の恩を忘れる事になると悩み抜く湛増の姿が描かれています。頼朝と縁続きならば、なおさら悩みは深かったのでしょうね。そこから源氏に味方する事になった経緯は、平家物語と同じです。
これらからすれば、湛増は自らの意思で源氏に付く事を決めた様に見えますが、吾妻鏡の1185年 (元暦2年)3月9日の段に範頼からの手紙として、「義経の手引きによって熊野の別当湛増が追討使を賜り、九州に向かっていると聞く。九州の事は自分に任されているのに、湛増の様な者が来たのでは面目を失う事となり、また他に勇者が居ない様で恥でもある。」と頼朝に訴えている事が記されています。頼朝は湛増が九州に向かうという事実は無いと範頼に答えていますが、実際には湛増は壇ノ浦に現れており、そこには義経の働きかけがあったと窺わせる記述です。弁慶が湛増を引き入れるのに関与していたかも知れないという可能性は、ここから来ているのですね。」
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