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2005.08.17

義経 32の2

義経 第32回 「屋島の合戦」その2

高台に立ち、はるかに屋島を見渡す義経。軍議の席で、屋島と四国を隔てる川の様な水路は実は海で、引き潮になれば容易に渡れる地点があると教える近藤親家。しかし、平家の軍勢は2千から3千であり、250騎に過ぎぬ義経軍が攻め掛かるには数が多すぎました。そこで伊勢三郎が、三草山の戦の時の様に火を使って大軍に見せかければ良いと知恵を出し、義経はさっそくこれを採用します。枯れ木や枯れ草を集めて火を点ける役目は、親家が請け負いました。

陣幕を出る義経を追ってきた弁慶は、行宮には義経の妹が居るのではないかと気遣います。しかし義経は、味方の志気に係わるとして、誰にも言うでないと弁慶に口止めをします。

地を焼く炎と、天を覆う黒煙。屋島の陣からそれを見ていた宗盛達の耳に、武者達の発する鬨の声が聞こえてきます。義経が来ている事を知らない平家方は、近藤親家の裏切りと思ってしまいました。

「ドラマでは、立木や枯れ草に火を点けた事になっていましたが、平家物語では高松の在所の家々に火を掛けたとあります。滝沢義経は、どこまでも庶民には迷惑を掛けない武将として描かれていくのですね。」

義経の陣。義経は郎党達に、帝と三種の神器をまっしぐらに目指すと方針を明示します。義経の下知に、おう!と武者押しの声で応える郎党達。

源氏の白旗を靡かせながら、親家に教えられた渡渉地点を押し渡る義経達。

行宮で、資盛から敵は源氏であると聞き、驚く宗盛。さらに敵は陸から押し寄せるだけで海には居ないと知り、宗盛は船溜まりの兵を呼び集め、帝と三種の神器は船に移せと下知を下します。

屋島に押し渡り、平家の軍勢に攻め掛かった義経の軍勢。海からは小舟に乗った平家方の兵達が、次々にこちらに向かってきます。

慌ただしく、船に乗り移る準備をしている帝と女人達。やがて彼女達は幼い帝と親王の手を引き、三種の神器を捧げ持ち、行宮を後にします。

帝と女人達が去った直後、行宮にまで攻め込んだ義経達。しかし、そこには誰の姿も有りませんでした。

船の上で、敵は義経でしかも小勢と知った宗盛ですが、義経の作戦能力を恐れ、息子の清宗が攻め返そうと進言するのも聞かず、しばし様子を見る事にします。

「ドラマでは、比較的落ち着いて下知を下していた宗盛でしたが、平家物語では無惨にあわてふためく様子が描かれています。高松の方角に炎が上がったのを見ただけで、源氏の大軍が押し寄せたと早合点し、戦おうともせずに、我先に船に乗ってしまいます。女院と帝は御座船に乗り、沖合へと漕ぎ出した頃に源氏勢が殺到しました。彼らは馬に乗りながら、船をめがけて弓を射出します。その一方で、御所に乱入した武者がおり、あたりの建物を焼き払ってしまいました。ドラマでは、小勢と知りながらも動かなかった宗盛ですが、平家物語では直ちに能登守教経に命じて反撃を試みています。」

宗盛が動かないと知り、苛立ちを隠せない時子。彼女は全軍を奮い立たせる為に、ある事を思いつき、小舟を用意させます。

沖に浮かんだ船を、為す術もなく見つめる義経。

時子が思い立った策に、自ら名乗りを上げる能子。船に乗って源氏方へ逃げるつもりであろうと嫌みを言う領子ですが、さすがに時子は取り合わず、源氏の矢に当たる覚悟があるのかと能子に問いかけます。

竿の先に、赤地に金泥の日の丸を描いた扇を掲げ、小舟に乗った能子。それを見ていた弁慶は、この扇を射落とせる者が源氏に居るかという挑発であると見抜きます。義経は自らが射落としてみせると弓を持ってこさせ様としますが、佐藤継信がこれを止め、一の矢は家来に射させよと進言します。その言を受け入れ、弓の名手を集めよと下知を下す義経。

集まった弓の名手は4人。義経からあの扇を射落とせるかと問いかけられた彼らは、3人までは自分なら射落してみせると自信満々なのですが、最後の一人である那須与市宗高だけは自信が無いと答えます。その訳を義経から聞かれた与市は、初めての戦陣で心が落ち着かない事、風が山に当たって複雑に舞っている上に、船が波に揺られて的が定まらない事など、具体的な理由を挙げて答えました。それを聞いた義経は、与市だけを残し、後の3人を下がらせてしまいます。

敵味方が固唾を飲んで見守る中、馬にまたがり、渚に乗り入れる与市。

平家方の御座船から、成り行きをじっと見守る時子。彼女はこの扇で、この戦の行く末を占うつもりでいました。

竿を手に船端に立ち、じっと陸の方を見つめる能子。その船をじっと見つめる与市。

弁慶からなぜ余市を選んだのかと聞かれた義経は、自信が無いと言ったからだと答えます。自信が無い者は謙虚になり、風や波を懸命に読もうとする、そこに義経は賭けたのでした。

空を舞う鳶を見、波の動きを見ていた与市は、やがて手にした鏑矢を弓に番えます。それを望見した能子は、心の中で「兄上」と、義経に呼びかけます。その声が聞こえたかの様に、竿を持つ女人が自分の妹であると気付いた義経は、思わず与市を見つめます。

弓を番えたまま船を見つめていた与市は、やがて更に弦を引き絞ります。それを見て、観念した様に目をつむる能子。いよいよ時が迫ったと知り、息を飲む時子と薄ら笑いを浮かべて余裕を見せる宗盛。南無八幡と与市がつぶやいたとき、俄に風が止みました。その瞬間を逃さず放たれた余市の矢は、見事に扇を支える竿を射切って、扇を空に舞い上がらせました。海に舞い落ちた扇を見て、呆然とする時子と宗盛。助かった事を知り、ほっとして目を開ける能子。義経が「見事」と与市に声を掛けると同時に、歓声が沸く源氏の陣と、閑として誰一人声の出ない平家方。

大役を終え、自分の前に畏まる与市に、褒美の太刀を下す義経。太刀を賜った与市を、褒めそやす郎党達。

沖合で竿を持ったまま義経に軽く頭を下げる能子と、それを浜から見つめる義経。やがて能子の乗った船は、御座船へと帰っていきます。役目を終えて帰った能子をご苦労でしたと労る時子ですが、その目は能子ではなく、平家の没落を暗示するかの様な、沈みゆく夕陽を見つめています。

「扇を持つ役目を担ったのはドラマにあった能子ではなく、中宮徳子付きの雑子女である玉虫という女房であったと源平盛衰記にあります。年は19で、非常に美しい女性でした。そして、この扇は高倉院が厳島神社に奉納した30本の扇のうちの一本で、平家が都落ちした際に矢避けのお守りとして下されたものでした。平家の人々は、この扇に矢が当たれば源氏の勝ち、外れれば平家の勝ちと、扇に掛けてこの戦いの行く末を占おうとしたのです。

玉虫が大きく手招きするのを源氏に対する挑戦と見破ったのは、弁慶ではなく後藤兵衞實基という人物でした。平治の乱で源義平に従って戦ったという古い経歴を持っており、この戦いにおいては老練な武者らしく慌てて敵兵と戦うという事をせず、平家方の根拠である御所を焼き払らうという活躍をしています。そして、那須与市を義経に推挙したのもこの人でした。

与市がし損じれば味方の恥になると言って一旦は断ったというのはドラマにあったとおりですが、その後の義経の対応はドラマの様に物わかりが良いものではありませんでした。義経は鎌倉を出て西に向かった者は自分の命に背く事は許されない、それを知らないと言うなら直ちに帰れと叱りつけたとあり、大将の権威を持って有無を言わさぬ調子で命令を下した様ですね。ただその後に続けて、頼もしげに与市の後ろ姿を見ていたとありますから、義経は与市の力量を見抜いていたという事なのでしょう。

ドラマでは「南無八幡大菩薩」とつぶやいただけでしたが、平家物語ではその後に続けて「別しては我国の神明、日光權現宇都宮、那須湯泉大明神、願沸く場、あの扇の真ん中を射させ給え。是を射損ずるものならば、弓を追って自害して果てる。」とまで言ったとあります。もししくじれば、死ぬ覚悟を決めていたのですね。

その甲斐あってか与市は見事に扇を射抜くのですが、ドラマとは違って源氏のみならず平家方も船端を叩いてこれを賞したとあります。そして、一人の平家方の老将が感極まって舞を舞って見せるのですが、これを伊勢三郎が義経の命令であると与市に命じて射殺させてしまいました。これを見た源氏方は再びはやし立て、平家方はしんと静まりかえったとあります。自分を褒め称える相手を射殺すなど要らざる事をしたと思うのですが、源氏方でも「情けなし」と言った人も居た様ですね。

この那須与市は平家物語と源平盛衰記だけに出てくる人物で、その実在については疑われています。吾妻鏡や玉葉には登場して居らず、この扇の的以外には何のエピソードも伝わっていません。那須氏系図という資料があってそこに与市が記載されているのですが、これも後世になってから加筆されたという指摘があるそうですね。与市が架空の人物とすれば、この扇の的のエピソード自体も架空の話という可能性が高そうですが、これだけ良く出来たシーンを全くの嘘だと決めつけるのも野暮というものでしょう。源平合戦の中のハイライトの一つとして、素直に楽しむのが良いのではないかと思います。

なお、扇を持っていた玉虫は、その後那須与市と結婚したという伝承があるそうです。(宮尾登美子「義経」)弓の名手と度胸満点の女房なら、きっと似合いの夫婦だったことでしょうね。そして2人子が産まれたとしたら、さぞかし勇者として育ったことでしょう。」

以下、明日に続きます。


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