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2005.07.01

義経 25の3

義経 第25回 「義仲最期」その3

義経の下を訪れている行家。彼は義仲とは早くに手を切り、それどころか後白河法皇から追討の命を受けていたと語り、頼朝に与力したも同然と自らを弁護します。しかし義経は、厚顔無恥な行家の態度に腹を立て、義仲の暴走を何故諫めなかったと非難して、席を立ってしまいます。


行家が去った後、弁慶を相手に苦しい胸の内を明かす義経。彼は自分の力が及ばす、同族同士の争いになった事を苦にしていたのでした。義経は、鞍馬寺の毘沙門天の前に座りたい、母常磐に会いたいと、初めて気持ちを露わにします。

吉次の手引きで、母の下を訪れた義経。鎌倉での暮らしぶり、自分に従う郎党達の事を誇らしげに母に語る義経と、我が子の成長ぶりに目を細める常磐。しかし、亡き清盛の事に話題が及ぼうとしたときに、俄に常磐の表情が曇ります。いぶかる義経に、常磐は妹の能子が平家に従って西国に落ちた事を伝え、二度とここへは来るなと義経に言い渡します。兄と妹が敵味方に分かれ、また一条長成の立場が微妙になる事を恐れての処置でした。苦しい母の胸の内を悟り、申し渡しを素直に受け入れる義経。その代わりに、母に笛を奏でてくれる様に頼み、何年かぶりの音色に聞き惚れます。


義仲を討った後、義経が常磐の下を訪ねたという話は、平家物語にも義経記にもありません。村上元三の「源義経」では、常磐と長成は、義仲を恐れて都から大和へ落ちる途中、義経の郎党に危うい所を助けられるという設定になっており、これとも違うこのドラマオリジナルの展開ですね。このドラマにおける、武将の妻としての常磐の強いキャラクター設定から導き出されたストーリーなのかな。実際の常磐とはかなり異なるとは思いますが、こういう母親像というのもあっても良いのかも知れませんね。

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