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2005.07.05

義経 26

義経 第26回 「修羅の道へ」

京、範頼の陣。義仲の首を晒す事に疑問を抱く義経。しかし、範頼と景時にたしなめられ、やむなく承知します。

獄門に掛けられた義仲の首。彼に恨みを抱く都人が集まり、悪口雑言を投げつけています。さらに石をぶつけようとした男の手を取り、これを止める義経。そこへやつれ果てた巴が現れます。義経に気付いた巴は、懐の刀を抜いて襲いかかろうとしますが、義経は素早くその手を押さえて無駄死をするなと諫め、生きるために自分を恨むなら恨めと言って聞かせます。巴は義高の行く末を案じますが、義経は何としても助けると答えてやります。その言葉を聞き、黙って去っていく巴。


巴御前のその後については、源平盛衰記に描かれています。巴は義仲と別れた後、一旦は信濃国にまで逃れたのですが、世が鎮まってから頼朝に呼び出され、鎌倉でその首を刎ねられる事になります。しかし、その武勇を惜しんだ和田義盛が頼朝に対して様々に申し立て、自分の妻として貰い受けました。巴は義盛との間に朝比奈三郎義秀を産み、その義秀は巴の血を引いたのでしょう、剛勇無双の士として知られる様になります。さらにその後、義盛は北条義時と争って敗れるのですが、その時義秀もまた討たれてしまいます。巴は泣く泣く越中へと逃れ、その地で出家して尼となり、義盛、義秀の霊を弔いながら余生を送り、91歳で亡くなったとあります。

では、この源平盛衰記の記述が史実かというとそうではなさそうで、創作の可能性が強い様ですね。史実の巴がどうなったのかはよく判っておらず、一説には「義経紀行」にもあった様に、義仲寺のある地で尼となり、義仲の菩提を弔って過ごしたと言われてます。


鞍馬寺を訪れた義経。毘沙門天の前で一心に経を上げる義経の背後に、師である覚日律師が現れます。すっかり成長した義経の姿に、目を細める覚日。何故修羅の道に身を投ずるのかという師の問いかけに、源氏と平家が並び立っていては争いが絶えぬ、源氏の世とし、誰も苦しむ者が居ない新しき国を作る事が自分の望みだと答えます。覚日は義経に、道に迷い疲れたら鞍馬に来る様にと伝えます。


普通、義経を語る時には、彼が平家と戦うのは親の敵を討つためであり、ひいては源氏の世を招来するためであるとされます。義経には末世とされた時代を変えようという思想はなかったと思いますが、このドラマのコンセプトとしては、清盛を父と仰ぎ、平家の人々とは幼なじみであるという事になっていますから、単純な敵討ちの為に戦うという設定には出来なかったのでしょうね。このドラマの義経が平家と戦う為には、新しき国を作るためという大義名分を作る事が必要だったのでしょう。ただし、ドラマの義経は争いのない国を作ると言うだけで、具体的な構想は何も持っていない様子です。実際に新しい国作りの構想を抱いていたのは頼朝であり、それを理解出来なかったところに義経の悲劇があったものと思われますが、そのあたりのすれ違いをドラマの中でどの様に描いていくのかが、今後の見所の一つになって行きそうに思われます。

以下、明日に続きます。


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