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2005年7月

2005.07.27

義経 29の2

義経 第29回 「母の遺言」その2

1184年(元暦元年)7月。京において即位した後鳥羽天皇。しかし、そこには三種の神器は無く、正式な即位とは言いかねる状況にありました。

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2005.07.26

義経 29

義経 第29回 「母の遺言」

京、範頼の宿所。鎌倉から戻った義経が、これから鎌倉に向かう範頼から、京都守護としての引き継ぎを受けています。義経はさっそく、訴訟の裁定、都の警護にと、多忙な日々を過ごす事になります。

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2005.07.24

祇園祭 花笠巡行

今日7月24日は、祇園祭の花笠巡行の日です。今回は2人の息子達に頼んで、取材をして来て貰いました。

花笠巡行というのは、かつて山鉾の巡行が前祭(7月17日)と後祭(7月24日)に別れていた事の名残で、昭和41年に後祭が前祭に合流した後を受けて始められた行事です。比較的新しい分、伝統に縛られるところがなく、何でもありという感じが魅力になっています。

行列は午前10時に円山公園を出発し、四条通りを西に向かって河原町通りを北上、御池通を経て寺町通りに入り、今度は四条通りを東進して八坂神社に帰るというコースを辿ります。このうち寺町を通るというのは、多分以前の後祭を引き継いでいるのでしょうね。かつては寺町通りを鉾が巡行していたと聞きますから。

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まずは、先祓の子供神輿。数基の神輿や太鼓の山車が次々に通り過ぎていきます。

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これが、祭りのシンボルとでも言うべき花笠。この写真には写っていませんが、大勢の子供達が綱を引いて動かしています。なかなかに鮮やかな飾り付けですよね。

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これは、幌武者の行列。幌武者は戦国時代に本陣からの使いとして戦場を駆け回った武者の事で、一目でそれと判るようにこの幌を纏っていました。それだけに標的にもされやすく、知勇兼備の者が選ばれたと言います。ただ、それがなぜここに居るのかは判りませんが...。

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これは、鷺舞花笠。鷺舞は、鎌倉の頃に奉納されたという記録があるもので、その後長く途絶えていたのですが、昭和31年に津和野に保存されていた舞を逆輸入して復活されました。鷺舞の奉納は、16日の宵山の日に行われています。

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これは花傘娘の行列の先頭を行く山車。この後に花笠を手にした娘達の行列が続きます。

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これは、祇園東の綺麗所を乗せた山車。さすがに華やかですね。

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こちらは先斗町の綺麗所の山車。花街も祭りの演出に一役買って出ているのですね。

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鷺舞の扮装をした行列。頭に付けた赤い傘がなんとも綺麗です。

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函谷鉾のお囃子を乗せた山車。やっぱり祇園祭ですから、祇園囃子が無いと盛り上がりに欠けますよね。

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周囲は大変な人混みで、場所を取るのも大変だった様です。暑さも半端ではなく、沿道の店が氷柱を奉納していたそうです。道行く人は、みんなこの氷を触っていたとの事でした。最後はこの氷を見て、涼を取って下さい。

今日24日は、午後10時から神輿が神社に帰る還幸祭があります。そして28日に神輿洗いが行われ、実質的に祭りの幕は閉じられます。そしてそのころ、京都の夏の暑さは最高潮を迎えます...。

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2005.07.21

京都 黒谷 熊谷直実鎧かけの松@義経

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京都の黒谷こと金戒光明寺の本堂脇に、立派な松が植わっています。これが「熊谷直実鎧かけの松」と呼ばれる木です。

熊谷直実は、鎌倉方の有力な御家人の一人でした。一ノ谷の合戦で平家方が崩れた後、手柄を求めて戦陣を駆け回っていた直実は、今まさに波打ち際から海に入り、沖合の船をめがけて逃れようとしている武者を見つけます。直実が、「あれなる大将軍、我らに背を向けて逃げるか。帰ってこい。」と声を掛け、扇で招き寄せたところ、その武者は馬を巡らせて取って返し、直実の方へと向かってきました。

直実は、その武者が海から上がるところを挑みかかり組み討ちになったのですが、力は直実の方がずっと上で、たちまちのうちに組み伏せて首を取ろうとします。しかし、その武者の顔を見ると思いのほか美しく、しかもまだ15、6の若者でした。相手が自分の息子と変わらない年頃と知った直実は怯み、若者の名を聞きますが、若者は名乗るまでもなく、自分の首を見せれば誰かが知っている、早く首を打てと答えます。直実は、自分の息子が怪我をしただけでも狼狽する程なのに、この武者が討たれたとなればその親の嘆き悲しみようはいかばかりであろうと考え、逃がしてやろうとします。しかし、背後を見ると梶原勢がすぐそこまで迫っており、ここで見逃したとしてもとても逃げ切れないと悟り、せめて自分の手で討ってやろうと決意し、その首を取りました。

このとき、直実はそのあまりの無惨さに嘆き悲しんだと言います。そして、若者の腰に笛がさしてあるのを見つけ、今朝がた城内で笛を吹いていたのは、この若者であったのかと悟ります。若者の名は敦盛と言い、その笛はその祖父の忠盛が鳥羽院から下げ渡された、「小枝」という名器なのでした。

敦盛を討った後、直実は血なまぐさい武士の生活に嫌気が差し、京都黒谷にあった法然上人の下を訪れ、その門に入ったのでした。写真の松は、直実が自分の鎧をここに掛け、武士の生活とは決別する決意を示したとされる木です。

直実が出家した理由については、鎌倉八幡宮での流鏑馬の的立ての役目を不服として辞退した事が頼朝の勘気に触れ、所領を減らされた事が第一点、さらに久下直光との間で領地を巡る争いが起こり、頼朝の面前で行われた裁判に敗れて面目を失った事が第二点とも言われます。しかし、仮にそうだとしても、その底流には世の無常を感じていたことは確かでしょうね。

熊谷直実は、情けを知る真の武士像として今に知られています。

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2005.07.20

京都 祇園祭 宵山残照

今更の観もありますが、先日アップしきれなかった祇園祭宵山の山鉾の紹介です。

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まずは、長刀鉾。その名の由来は、鉾の先端に掲げられた大長刀から来ています。この長刀は三条小鍛治宗近の作とされ、以前は本物が掲げられていましたが、現在は木製の模造品に銀箔を貼ったものが使われています。この鉾は籤取らずの鉾の一つで、毎年行列の先頭を切り、その長刀で疫病邪悪を祓うとされています。まさに、祇園祭の原典のような鉾ですね。

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この鉾は、函谷鉾。その名は中国の故事に由来するもので、天下第一の関所と呼ばれた函谷関の名を取ったものです。戦国時代の斉の宰相であった孟嘗君が趙の国を訪れた時、武霊王の策略によって危うく殺されそうになります。その脱出行の途中にあった函谷関は夜には閉じられ、鶏の鳴き声と共に開かれる事になっていました。そこで孟嘗君は、鳴き真似の上手な家来に命じて鶏の鳴き声をさせると、夜中にもかかわらず鶏が次々に鳴き始め、守備兵が朝が来たと勘違いをして関門を開けてくれたために、あやうく難をのがれる事が出来ました。鉾の装飾もその故事に基づいており、この鉾の先端に付けられた三日月と山形は山中の闇を表し、真木の上部に孟嘗君が、その下には雌雄の鶏が祀られています。
この鉾もまた籤取らずの一基で、長刀鉾に次いで常に二番目を行くことになっています。

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ビルと競うように聳えているのは月鉾。鉾の名の由来は古事記にあり、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻った時にお祓いをした際に、左眼を洗って天照大神、右眼を洗って月読尊を生んだという神話から来ているそうです。その名の通り、鉾の先端には横40cm、上下24cmの三日月が飾られ、天王座には月読尊が祀られています。
しかし、こうしてみると鉾というのは恐ろしく高いという事が判りますね。それもそのはず、この月鉾は鉾の中でも最も高いもので、地上から月の先端まで26.7mあるとされます。

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ビルの谷間から一転して、町家と調和した佇まいを見せているのは放下鉾。こういう情緒ある風情が、祇園祭の真骨頂ですよね。鉾の名は、「天王座」に放下僧の像を祀っている事に由来しています。放下僧とは、神社や寺の境内で曲芸を演じ、勧進興行を行っていた人々の事を指します。鉾の先端の飾りは、日・月・星三光が下界を照らす形を示すとされ、その形が和菓子の州浜に似ているところから「すはま鉾」とも呼ばれています。

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この見事な蒔絵は、船鉾の舵の部分です。こんなところの装飾にまでも、神経を配っているのですね。船鉾は、神功皇后の新羅出征神話にちなんだ鉾で、住吉明神、鹿島明神、竜神安曇磯良と併せた四神が、満珠千珠を捧げて舳に立つ四神像の人形を乗せています。この出征の時に皇后は臨月だったのですが、目的を遂げるまで出産をしないようにと腰に石を巻き付けて出陣し、無事に筑紫に戻ってから後の応神天皇を産んだされます。このことから、ご神体には晒しを巻いて置くのだそうですね。そうした由来から、ここでは安産のお守りと腹帯が売られています。
また、船鉾は本来二基あったのだそうですね。この鉾は出征の船として先の行列の最後尾を勤めるのですが、元は現在休み山となっている大船鉾が後の行列の最後尾を勤めて、凱旋の船と呼ばれていました。大船鉾は幕末の戦火で焼けてしまって今は無いそうなのですが、この船鉾と同型の華麗な鉾だったとの事です。なんとも惜しい気がしますね。

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この巨大なカマキリは、その名の通りの蟷螂山の装飾です。祇園祭唯一のからくり人形で、この鎌や脚が動くほか、羽根を大きく広げて見せてくれるなかなか楽しいカマキリです。中国の古典に、「蟷螂の斧をもって降車の隊を防がんと欲す。」とあるいわゆる「蟷螂の斧」の故事にちなんだもので、応仁の乱以前からあったものらしいですね。しかし、幕末の戦火にあって破損した後は休み山となっていたのですが、昭和53年に町内の人々の努力によって修復され、巡航に復帰する事が出来ています。

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宵山を飾る山形の提灯。ここに灯りが入るのは、また一年後の事ですね。あの熱気を楽しむ事を夢見ながら、来年を待つことにしますか。

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2005.07.19

義経 28の2

第28回 「頼朝非情なり」その2

鎌倉、大姫の館。大姫に義仲が討たれた事を漏らしてしまったかえでとそれを責める女房。そこに現れた大姫は、義高が頼朝に殺される事もあるのかと問いかけ、女房達が否定するのも聞かず、義高は自分が何としても守ると言い切ります。

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2005.07.18

義経 28

第28回 「頼朝非情なり」

一ノ谷から凱旋し、一躍時の人となった義経。宿所に帰ると、急ぎ出迎えに出た静が、義経主従の無事な姿を見て涙を流して喜びます。

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2005.07.17

祇園祭 山鉾巡行

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京都は丁度山鉾が動き出した時間です。
今頃は町中が熱気に包まれている事でしょうね。

今年は巡航を見に行くことが出来なかったので、
せめてミニチュアで雰囲気をお届けします。

京都 四条 西洞院 にて

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2005.07.16

京都の夏 祇園祭

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京都に夏の訪れを告げる祇園祭が、いよいよクライマックスを迎えます。今日16日は宵山、そして明日17日は山鉾の巡行が行われます。本当ならどちらも行きたいところなのですが、残念ながらそうも行かなくなったので、せめて山鉾だけでも見ておこうと昼の鉾町を訪ねて来ました。

hakugayama11今日の京都は、梅雨明け間近を思わせる、うだる様な暑さ。正確にはわかりませんが、30度は軽く超えていたでしょう。その暑い最中、大勢の人達が山鉾の見物に訪れていました。

さすが祇園祭と言うべきか、幼い子供を連れた家族連れから、かなりお年を召した方まで、実に幅広い年代層の人が歩いています。でも、これだけ暑いと年配の方には危険だったんじゃないかな。かくいう私も、軽い熱中症のような感じになってしまいました。倒れ込む程ではなかったのですけどね、今でも軽い頭痛がしています。帽子も日傘も用意せずに行ったのは失敗でした。

taisiyama18昼間に鉾町を訪れるメリットは、夜では判らない飾り付けを見る事が出来る事。ここ太子山では、赤い日傘と提灯が印象的でした。

もう一つは、これも夜では判りにくい胴掛や見送りといった懸装品を、じっくりと見る事が出来る事です。
山鉾の懸装品は貴重な文化財が多く、およそ京都には不似合いに思えるペルシャ絨毯がふんだんに使われていたりします。その絵柄も西洋の神話だったりとか、神道とは縁のない物も多いですね。今なら京都らしさに囚われて西陣織あたりにこだわってしまいそうですが、昔の人は実に自由な発想をしていたのだと改めて気付かされます。その当時に手に入る最高級の布地を使ったということなのでしょうね。宵山だと人波に流されるばかりで、こういう事にはまず思いが及びません。

houkahoko20各山鉾を見比べていくと、その装飾にかなりの格差がある事に気付きます。装飾らしい装飾のない実にシンプルな山があるかと思えば、金箔を張り巡らせた豪華絢爛たる鉾があったりします。例えばこの放下鉾は、屋根の軒下、破風、柱に至るまで見事な装飾が施され、鉾全体が一個の工芸品の様です。

こうした違いは、各鉾町の経済力に差があった事を示しているのでしょうね。お祭りは神事であり、豪華であれば良いというものでは無いでしょうけれども、町衆同士の見栄の張り合いという側面もあった事でしょう。旦那衆を多く抱える町は、より豪華にと競い合いながら鉾を飾り付けていったのでしょうね。また、そうでない町も、京の祭を支えるという心意気で、伝統を今に繋いで来ているのだと思います。どちらも甲乙付けがたい素晴らしい事ですよね。

houkahoko25祭りと言えば出店ですよね。祇園祭の場合は夜が本番ですが、昼間から営業している店も多くありました。せっかくですから、息子達も当て物の店で遊んで来ました。1回300円ですから安いとは言えませんが、お祭りだからと良いかという気になるから不思議です。結果は末等のブロマイド。2人は応援している阪神の檜山選手を選んできました。

今頃は宵山の真っ最中。鉾町はさぞかし賑わっている事でしょうね。夜店の人も忙しくしているのかな。来年は、私もあの人混みの中で、京都の夏の夜を堪能してみたいと思っています。

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2005.07.15

義経 27の4

義経 第27回 「一の谷の奇跡」その4

義経が歴史の表舞台に躍り出た一ノ谷は、現在の神戸市の西の端、須磨区にあたり、今でも一ノ谷町という地名が残されています。その近くの須磨浦公園には「戦の浜」の碑があり、このあたりが戦場であった事を示します。一ノ谷は、瀬戸内海に面した狭い平地で、その背後には鉄拐山、鉢伏山など六甲山地の西端にあたる山々が聳えています。

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2005.07.14

義経 27の3

義経 第27回 「一の谷の奇跡」その3

一ノ谷近くにまで来た時、突然軍勢を止め、兵を二手に分けると言い出す義経。いぶかる安田義貞に、本隊を率いて一ノ谷に向かう様に命じ、自らは70騎を率いて一ノ谷の背後を突くと宣言します。義貞は危ぶみますが、諸将が次々に賛意を示すのを見て、くれぐれも三種の神器を奉じる様にと念を押した上で、義経の策を承知します。

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2005.07.13

義経 27の2

義経 第27回 「一の谷の奇跡」その2

一ノ谷から戻り、対平家の戦略を練る義経。彼は単純に三草山の敵を討つだけではなく、一ノ谷の平家の軍勢をおびき出し、その勢力を殺ごうと考えます。そして、自らの兵力を温存するために、火矢と太鼓を使うと謎の様な言葉を吐きます。

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2005.07.12

義経 27

義経 第27回 「一の谷の奇跡」

小勢に別れて、密かに都から出陣する鎌倉勢。範頼の本軍は、山陽道を進み正面から、義経の搦め手軍は丹波路を進み一ノ谷の北を回って背後から攻め掛かる手筈でした。

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2005.07.10

京都 祇園祭 鉾立

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7月に入り、京都は祇園祭一色に染まっています。そのクライマックスである山鉾巡行を一週間後に控え、各鉾町では鉾立が始まりました。今日は、我が家の息子達による鉾立の取材報告です。

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今日息子達が取材して回ったのは、長刀鉾と月鉾。まずこれは長刀鉾の土台を組み立てている所です。ここは四条通の最も交通量の多い場所なのですが、道の路肩を締め切っての作業となります。祇園祭ともなると、道の渋滞よりも鉾が優先されるのですね。ドライバーにとっては迷惑な話でしょうけど、京都の町にとっては何よりの優先事項となる訳です。

hokotate15こちらは、作業が進みつつある月鉾の様子。
祇園祭を彩る鉾や山はすべて木の組み合わせで出来ており、一本の釘も使わずに組み上げられていきます。釘の代わりに使うのが縄で、各鉾や山には「縄がらみ」と呼ばれる手法が伝えられています。見るからに複雑で、いかにも頑丈そうですが、この縄がスプリングの役目も果たしているのだそうですね。山鉾の巡行を見ていると、鉾が止まるたびに大きく揺れるのですが、決して倒れる事はありません。その揺れを吸収しているのがこの「縄がらみ」という訳です。もし釘を使って鉾を組み立てたとしたら、すぐにばらばらに崩れてしまう事だろうと言われています。

鉾立はこの日から3日かけて行われ、12日から13日には各鉾町において鉾の引き初めを迎える事になります。

また今日10日はこの後、御輿を迎えるためのお迎え提灯の行列が八坂神社を訪れ、夜になると3基の御輿が四条大橋まで行き、鴨川の水で清める御輿洗いが行われます。そしてこの日以後八坂神社の境内に3基の御輿が飾り付けられる事になり、祭りの雰囲気はいよいよ最高潮に達していきます。

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2005.07.07

義経 26の3

義経 第26回 「修羅の道へ」その3

一ノ谷、平家の陣。海を見つめながら、やはり源氏は来るかと宗盛に問いかける時子。宗盛は、三種の神器を取り戻す事が法皇にとっての急務である以上、必ず攻めてくると答えます。そして知盛は、一ノ谷の守りは万全であり、安心しておられよと続けます。

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2005.07.06

義経 26の2

義経 第26回 「修羅の道へ」その2

摂津国一ノ谷。平家の陣の整備が着々と進んでいます。
時子に一ノ谷の備えについて説明する知盛。東の生田の森を知盛と重衡が、西の明石を忠度がそれぞれ固め、海には自慢の水軍を浮かべる鉄壁の構えでした。ただ、時忠が北側の山の備えについて心配しますが、知盛はそこは急峻な崖であるから攻められる心配は無いと答えます。隙のない備えを聞き、安心した様子の時子。

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2005.07.05

義経 26

義経 第26回 「修羅の道へ」

京、範頼の陣。義仲の首を晒す事に疑問を抱く義経。しかし、範頼と景時にたしなめられ、やむなく承知します。

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2005.07.01

義経 25の3

義経 第25回 「義仲最期」その3

義経の下を訪れている行家。彼は義仲とは早くに手を切り、それどころか後白河法皇から追討の命を受けていたと語り、頼朝に与力したも同然と自らを弁護します。しかし義経は、厚顔無恥な行家の態度に腹を立て、義仲の暴走を何故諫めなかったと非難して、席を立ってしまいます。


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