朝日将軍木曽義仲塚@義経
朝日将軍と称された稀代の武将木曽義仲の最期は、盟友今井兼平と共にありました。
義経によって宇治の陣が破られた時、京に居た義仲は法皇に暇乞いをする為に六条御所へと向かいました。しかし門前まで来た時に、鎌倉軍が既に六条河原まで迫っている事を知り、これを迎え撃つべく兵を返します。ところが、六条高倉に差し掛かると、義仲はかねて懇意にしていた女房の屋敷に立ち寄り、最後の名残を惜しむあまり、いたずらに時を過ごしてしまいます。この有様を見た越後中太家光という家臣が義仲を諫めますが、なおも動こうとしない義仲に、「先に死出の山で待つ。」と言い残して自害してしまいます。さすがに心を動かされた義仲はようやく立ち上がり、軍勢を率いて六条河原へと討って出ました。
義仲が六条河原で戦っている間に、義経は六条御所へと駆けつけます。その様子を見ていた御所内では、「木曽勢が来た。」と恐れおののいたのですが、義経が名乗りを上げるのを聞いて大いに喜び、門を開けて義経達を迎入れました。法皇が謁見する中、義経以下五人の武将が次々に名乗りを上げ、法皇から御所の警備を命じられたのはドラマにあったとおりです。
義仲は、万一の時が来れば法皇を連れて西国へ逃げ、平家と共に戦うつもりで法皇の輿を担ぐ20人の力自慢を連れていたのですが、既に御所が義経に押さえられたと知るや、わずかな手勢を率いて一万騎に及ぶ鎌倉軍に討ち入り、危うい所を切り抜けて、包囲網を突破してしまいます。義仲は涙を流して、「こんな事になるのだったら、兼平を瀬田にやるのではなかった。別々に死ぬのは残念だ。兼平の消息を聞きたい。」と言って、河原から駆け上がります。さらに、三条まで進む間に、何度も襲いかかってくる鎌倉軍を五、六度までも押し返し、鴨川を渡って粟田口松坂にまで来た時には、主従わずか七騎にまで減っていました。かつて五万騎を率いて入京した事を振り返り、義仲は今の境遇を儚み悲しんだと言います。
この七騎の中に巴も残っていました。義仲は兼平の消息を求めて近江に入り、琵琶湖畔の打出浜にまで至った時、瀬田で範頼軍と戦っていた兼平と再会を果たします。兼平もまた瀬田の防戦をあきらめ、義仲の消息を求めて都へと向かう途中なのでした。喜んだ義仲は、兼平に命じて旗を揚げさせたところ、方々から味方が集まり、300騎ほどになりました。義仲はこの兵を率いて最後の戦をするべく、近くに居た鎌倉方の甲斐の一條次郎の兵六千騎に向かって戦いを挑みます。そして、これを散々に打ち破りますが、味方も50騎にまで減ってしまいました。さらに、次々に現れる敵兵を打ち破っていく内に、ついには五騎になってしまいます。この中になおも巴が残っていたのですが、義仲は「最後に女を連れていたと言われては後世の恥となる。どこへなと落ちていけ。」と巴に命じます。巴は初めは渋って言うことを聞かなかったのですが、義仲から再三に渡って言い含められたため、遂に「最後の戦をお目に掛ける。」と言い捨てて、そこに現れた武蔵野国の住人御田八郎師重の手勢の中へと駆け入りました。巴は師重に並び掛けると、彼を馬から引きずり下ろして自分の鞍の前輪に押つけ、その首をねじ切ってしまいます。そしてその後、巴は具足を脱ぎ捨てて、東国目指して落ちていきました。
義仲主従は、さらに二騎が減って兼平と2人きりになってしまいます。義仲は「何時になく鎧が重い。」と漏らし、それを聞いた兼平は「自分が時間を稼ぐので、粟津の松原に入って自害されたし。」と勧めます。そこに新手の五十騎が現れたので、兼平は共に戦おうとする義仲を、名も無き雑兵に討たれては恥となると言って引き留め、彼の自害の時間を稼ぐ為に敵に向かって行きます。義仲はやむなく松原を目指したのですが、途中で誤って深田にはまってしまい、身動きが取れなくなってしまいました。そして、兼平の様子を気にして振り向いた時に、飛んできた矢に額を射抜かれてしまいます。あまりの深手に馬の背にうつぶせになったところを、敵兵に首を掻かれて果てたのでした。これを知った兼平は、「もはや守るべき人は居なくなった。これぞ自害の見本とせよ。」と叫ぶなり、太刀を口に含み、馬から真っ逆さまに飛び降り、太刀に貫かれて最期を遂げました。
義仲の首は京に運ばれ、都大路を渡された後、六条河原に晒されます。そしてその後、義仲の家来(妻の一人、山吹御前とも)の手によって、洛東の地にある八坂郷に葬られたと伝えられます。写真の石碑はその首塚を示すものとされ、以前は高台寺近くの旅館にあったものです。そして、1997年に旅館の廃業に伴い、八坂の塔で知られる法観寺の境内に移されました。
源平争乱の世を駆け抜けた義仲の霊は、今では塔の東にあたる境内の片隅で、法観寺の御仏達に見守られながら静かに時を過ごしています。
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