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2005.06.27

時は今...@紫陽花BLOG

mitihide21

本能寺の変で明智光秀が織田信長を倒して天下の主となったのは、1852年(天正10年)6月2日の事でした。そして、そのわずか11日後には、天王山の戦いに敗れて命を落とす事になります。

ここ京都白川のほとりには、その光秀の首塚と伝えられる祠があります。説明書きに依れば、小来栖で討たれた主君の首を持って逃げた家臣が、ここまでたどり着いた時に夜が明けたために、やむを得ずこの地に首を埋めたのだとか。

来年の大河ドラマは、「功名が辻」。その物語にも天王山の戦いは出てきます。ドラマの中で光秀の最後は、どんな風に描かれるのでしょうね。

祠の近くでは、無念に倒れた光秀の魂を慰めるかの様に、赤い紫陽花が綺麗な花を咲かせていました。

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京都」カテゴリの記事

コメント

こんばんわ
夏っちゃんぶろぐから来て読んでいたら
「功名が辻」の文字が。。。
仲間由紀恵ちゃんをこよなく愛する私はこの言葉に反応してしまいました(笑
白川という土地がこんな風に関わっているとは知りませんでした
また一つ大河ドラマを見る楽しみが増えました
三年ほど京都に住んでいたんだけどこの辺りはあまり行ったことのない場所です
確か白川通りという通りがあったような。。。
今度京都に行くことが有れば訪れてみようと思います

京都の夏は何とも言えない暑さがありますが
瀬戸内の夕凪も負けていません(大汗

投稿: ポコ | 2005.06.28 21:42

ポコさん、コメントありがとうございます。
「功名が辻」の本筋からはやや外れますが、天王山の戦いは大きなイベントでしょう。
脇役ながら、光秀もきっとドラマに出てくる事でしょうね。
光秀と言えば、知らぬ人は居ないという程の謀反人。
いわば天下の悪人な訳ですが、ここでは手厚く供養されています。
領民には優しい殿様であったという人柄が生きているのでしょうか。
白川通は、ここからは少し離れた場所にあり、ケヤキ並木が素敵な道です。
光秀の首塚に行かれるのなら、三条通白川から南に下られるのが近道です。
でもとても判りにくい場所にあるので、
本文中にリンクが貼ってある私のホームページで位置を確かめてから行って下さい。
近くには、知恩院や青蓮院があるとても良い所ですよ。

投稿: なおくん | 2005.06.28 22:08

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