義経 22の2
義経 第22回 「宿命の上洛」その2
延暦寺を味方に付ける事に成功し、いよいよ都を目指し軍を動かす義仲。
義仲が都を目指して動き始めたとの報告を聞き、流言も効き目がなかったと気を落とす義経。彼は、義仲と戦えば義高の敵となりかつての自分と同じ立場に追いやることになる、また平家と戦えば幼い頃睦み合った、宗盛、知盛、重衡と戦う事になると苦悩します。平家と源氏という宿命の渦の中にいやおうなく巻き込まれていく事を感じる義経。
都で義仲を迎え撃つべく兵を集める平家。出陣を前に、妻の明子と語らう知盛。都の周辺では、叡山に登った義仲の軍勢5万を筆頭に、宇治に行家の軍勢があり、摂津には摂津源氏ほかの源氏一族が集結し、包囲網が出来上がりつつありました。知盛は明子に、自分に万が一の事があれば、彼女が養育している護貞親王を守る事、また母の時子の相談相手になってやって欲しいと頼みます。遺言のような夫の言葉を聞き、涙汲む明子。
義仲を迎え撃つべく出陣したものの、あまりの兵力差を見て兵を引き上げた知盛と重衡。臆病風に吹かれたかとののしる宗盛ですが、圧倒的な兵力差という現実の前に言葉を失ってしまいます。
夜まで続く評定。ついに知盛が、都落ちを宗盛に進言します。主上を見捨てて敵に後ろを見せるのかと渋る宗盛に、知盛は主上も法皇も共に西国に落ちて頂くのだと説き、宗盛もついに決断を下します。
重衡から都落ちと聞き、敵に後ろを見せるのかと怒りを見せる時子。しかし、重衡に、頼朝の首を墓前に供えよという遺言を果たす為だと言われ、時子は自らついた嘘が一門を追いつめて行く事を知り、激しく後悔します。しかし次の瞬間、覚悟を決めた時子は平家の女人を代表して都落ちを承諾します。
都落ちの準備に大わらわの宗盛邸。そのあわただしい最中に、一条長成がやってきました。彼は預かっていた福原の屏風を返しに来たのです。その屏風を前にして、義経に福原に賭ける夢を語る清盛と、自ら石を投げて屏風を破った過去を思い出し、涙を浮かべる宗盛。
屏風を庭に持ち出し、この屏風から全ての苦しみは始まったと憎しみをぶつける宗盛。松明に火を灯し、まさに屏風を燃やそうとしたその時、一陣の風が舞って松明を宗盛の手から吹き飛ばしてしまいます。毒気を抜かれた宗盛は、屏風の始末を家臣に任せてその場から去っていきます。
琵琶湖を挟んで、叡山を望む所までたどり着いた義経。彼は12年ぶりとなる都を前に、新たなる運命に思いを馳せます。
平家が都落ちを決意した背景には、九州が平家にとっての地盤になっていたという事があります。清盛は太宰大弐となって九州に勢力を扶植し、日宋貿易の拠点を確保してきました。また、その弟の頼盛も同じく太宰大弐となり、地元の豪族である原田氏と縁戚になるなどして九州に勢力を張っています。清盛亡き後は九州においても反平家の動きが活発になり、平貞能が討伐に向かっています。貞能は2年かかって九州を平定し、都落ち直前の時期に都へと帰って来ました。この貞能の帰京が、平家の西国落ちのきっかけの一つになったのではないかと考えられています。すなわち、平定なったばかりの九州なら安全で、勢力を盛り返すにはうってつけの地だと思われたのでしょうね。
ドラマでは知盛が宗盛に都落ちを進言した事になっていましたが、平家物語によれば建礼門院に都落ちを伝えたのは宗盛で、知盛の名は出てきません。このドラマでは、知盛がちょっと持ち上げられ過ぎの様な気もしますね。知盛は落日の平家を支えた名将であった事は間違いないのですが、なんでもかんでも知盛に持っていくというのもやりすぎではないかなという気もします。
福原の屏風はもちろんこのドラマオリジナルのフィクションですが、遂に清盛の思想を理解することなく、衣鉢を継げずに終わった宗盛の悲劇と悲しみを象徴しているかの様です。涙ぐむ宗盛を見ると、ちょっと可愛そうな気もしてきました。この屏風はまたどこかで出て来そうですね。
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