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2005.06.06

義経 22

義経 第22回 「宿命の上洛」

1183年(寿永2年)夏、京に向かう義経の500騎の軍勢。途中、平家が北陸路で敗走を重ねているという知らせが入ります。喜び勇み、自分達も京へと逸る郎党達ですが、義経は頼朝の下知が無い限り戦は出来ないと彼らを押さえます。そして、都近くの様子を探るために、三郎を物見に派遣します。

北陸路。平家の軍勢に追い打ちを掛ける義仲軍。武具も失い、逃げまどう維盛達。戦利品の武具を前に、勝利の余韻に浸る義仲。彼の下には、続々と味方に馳せ参じる武士達がやって来ます。その知らせに、ますます意気上がる義仲勢。

京、平宗盛邸。木曽勢に敗れた事に腹を立て、北国に援軍を差し向けよと感情的に叫ぶ宗盛。しかし、状況を冷静に見ている知盛は、既に平家に新たな軍勢を差し向ける余力は無いと答え、それを聞いた宗盛は力無く座り込んでしまいます。

時子に、北陸の戦況を伝える知盛。その中で、知盛の弟で清盛の7男にあたる知度の死が時子に衝撃を与えます。悲しみを堪え、幼帝のいます京を賊軍から守る様に、改めて知盛に命ずる時子。


知度は清盛の子ではありますが、時子の産んだ子ではありません。淡路守、尾張守、三河守を歴任していますが、どちらかといえば一門の中では傍流として扱われていた様です。そのせいもあってか、富士川の合戦、墨俣川の合戦、北陸討伐軍の全てに参加しており、歴戦の人でした。倶利伽羅峠の戦いでは、叔父の忠度と共に別動隊を率いて志保山で源行家を相手に戦っていたのですが、維盛軍を破った義仲軍に襲われて討ち死にしたと伝わります。義理とはいえ息子の一人が討ち取られた訳ですから、時子が衝撃を受けたのは無理無からぬところである訳です。


後白河法皇に、戦況を報告する宗盛。丹後の局に痛烈に罵倒されますが、宗盛は平謝りに謝る他はありません。平知康は、またしても敗れた維盛を批判し、宗盛こそ嫡流ではないかと意味ありげな事を囁きます。さらに都で野党が跳梁している事も責められた宗盛は、徹底した野党狩りを行う事を約束します。この間、法皇はそっぽを向いており、宗盛に対しては一言も声を掛ける事はありませんでした。

宗盛は法皇からお叱りを受けた腹立ちまぎれに、維盛には京に帰る事を許さず近江に止まるように、また時忠には野盗を厳しく取り締まるようにと指示を出します。

夜の時子の邸。土砂降りの雨の中、時子を訪れた維盛の母経子。彼女は、野盗の手に渡ってしまった平家嫡流に伝わる紅裾濃威の鎧を買い戻す為に、黄金百袋、米千石という大金を借りるためにやって来たのでした。嘆き悲しむ経子を見て、判ったと言うようにうなずいてやる時子。

尾張にまでやってきた義経。弁慶は奥州に下った際の事を思い出し、義経に話しかけます。義経はここで元服した事を皆に話し、その当時は争いも苦しみもない、穏やかな国を求めていたのだと語ります。にもかかわらず、同族の義仲と戦わなければならないかも知れない今の事態に思い悩む義経。そこに物見に行っていた三郎が帰ってきました。三郎の報告に依れば、平家にもはや力はなく、義仲は4、5日の内にも京へ入る勢いだとの事でした。出来れば戦を避けたいと願う義経は、三郎に命じて鎌倉の軍勢が押し寄せてくるという流言を流す事にします。

しかし、義経の計略は裏目に出ます。義仲は鎌倉の軍よりも先に京に入る事を決意し、兼平に命じて叡山との交渉を急がせます。

京。平家の野盗狩りが徹底され、少しでも怪しいという者は、片端から斬られるという事態になっていました。

夜、時子の邸。庭先に忍んできたお徳が、時子に声を掛けます。お徳は平家の行きすぎた野盗狩りに怒りを燃やす朱雀の翁の事を告げ、取り締まりを緩めてもらう代わりに、重盛縁の鎧を取り戻す事を持ちかけに来たのでした。時子は驚きながらも、お徳の申し出を承諾します。

野盗の一味、黒うるしの下を訪れた朱雀の翁。重盛縁の鎧を貰い受けに来たと言う翁に対して、その老い衰えた姿を見てあざ笑う黒うるし。しかし、翁の合図一つで大勢の手下が現れ、黒うるしを弓矢で射すくめしまいます。力の差を見せつけられた黒うるしは、鎧を届ける事を約束します。

取り戻した鎧を、経子、維盛、資盛の親子に見せてやる時子。感激のあまり、涙ぐんで礼を述べる経子。並んで頭を下げる維盛と資盛。そこへ宗盛がやって来ます。北陸の戦の不首尾を詫びる維盛に、嫡流の印たる鎧を手放した以上、嫡流の座から退いたものとみなすと宣言する宗盛。そしてこの鎧は跡取りである自分が貰い受けると言い放つ宗盛に、負け戦という負い目を持つ維盛は反論する事が出来ません。時子がたしなめるのも聞かず、宗盛は維盛から鎧を取り上げてしまったのでした。

取り上げた嫡流の鎧を、息子の清宗に着せて喜ぶ宗盛。そこへ通りがかった知盛を見て、さすがの宗盛もばつが悪そうにはしゃぐのをやめてしまいます。宗盛の人も無げな振る舞いに、部下を助ける為に鎧を手放した維盛の事情も斟酌してやるべきではないかと詰め寄る知盛ですが、宗盛は兵糧が無くば獣を捕らえ、魚を獲って腹を満たせば良く、そんな知恵も才覚も持たない者は嫡流たる資格が無いと言い返します。あまりに無神経な宗盛の言葉に、戦に出たことのない者に、維盛が嘗めた辛酸はとうてい判るまいとと侮蔑の言葉を投げかけ、知盛は去っていきます。


平家嫡流の鎧のエピソードは、原作の「宮尾本・平家物語」に出てくる設定です。宗盛が抱く清盛から疎外され続けてきたという鬱屈した思いと小松一門に対する対抗意識、そしておよそ平家一門の総帥にふさわしくないその資質を表現しているのでしょうね。そしてまた、清宗を溺愛したという宗盛の一面も現れていたと思います。それと同時に、維盛の負った悲しみと苦しみ、小松一門の中に芽生えた宗盛に対する不信感も現れさています。これらはすべて、これから現れてくるストーリーの中で、伏線となって生きて来る事になりそうですね。

なお、平家物語では、平家重代の鎧は「唐皮」という事になっています。

以下、明日に続きます。

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