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2005.06.28

義経 25

義経 第25回 「義仲最期」

1184年(寿永3年)正月、近江の鎌倉軍の陣。義仲を討つべく、軍議が開かれています。鎌倉軍10万に対し、義仲軍はわずか5千にまで減っていました。義経の献策に依り、瀬田を渡る軍と宇治川を渡る軍の二手に別れて京を目指す事に決まります。そして、瀬田は範頼が本隊を率いて攻める事とし、宇治川を渡る軍を指揮する大将には、義経が指名されました。

戦に備えて、武具の手入れに余念の無い義経の郎党達は、軍議を終えて現れた義経から搦め手を任されたと聞き、喜び勇みます。自らの手で義仲を討つと決意を固める義経。

京、義仲の宿所。鎌倉軍が動いたと聞き、兵力で劣る義仲は、後白河法皇を伴って一旦北陸へ引くと決めます。しかし、そこへ行家が裏切って兵を挙げたという知らせが入ります。我が子を差し出してまで庇い通した叔父の裏切りに、義仲は怒りに駆られて樋口兼光に行家追討を命じます。ただでさえ数で劣る義仲軍から、最も有力な武将の一人である兼光とその手勢が欠け落ちるという致命的な判断ミスでした。

宇治川に勢揃いした義経軍。自軍に翻る白旗。対岸に上がるのは、義仲軍の白旗。源氏同士の戦いの火ぶたは、義経の下知によって切って落とされました。一斉に宇治川の中に馬を入れる義経の軍勢。弓矢でこれを迎え撃つ義仲軍。降り注ぐ矢を物ともせず対岸に駆け上がった義経軍は、たちどころに義仲軍を一蹴してしまいます。この陣に義仲が居ない事を知った義経は、一路都を目指します。

義仲の宿所。巴と2人で、兵糧を摂る義仲。そこへ宇治の陣が破られ、瀬田も危ういという知らせが入ります。それを聞き、義仲は即座に瀬田に押し出すと決めますが、巴は法皇をどうするのかと危惧します。義仲は、いざとなれば法皇を連れ出す手筈は整えてあると言って、瀬田を目指します。

巴と馬を並べ、京のはずれの坂を駆け上る義仲は、坂の途中で振り返り、都の方を眺めやります。名残を惜しむ様な義仲に、巴は声を掛けて先を急がせます。義仲に従うのは、哀れなほどの小勢に過ぎませんでした。

義仲と入れ違う様に都に入った義経とその軍勢。都に残っていた義仲軍を蹴散らし、義仲の宿所に入った義経ですが、そこにはもう誰も居ませんでした。義経は義仲を追う事よりも、幽閉されている法皇を救い出す事を優先させます。

瀬田。多勢に無勢で、衰えていく一方の義仲の軍勢。

京、五条内裏に入った義経。ここを守っていた義仲の手勢と戦う弁慶ら郎党。その騒ぎを聞き、義仲が戻ってきたと怯える法皇と丹後局。その前に闖入して来たのは、伊勢三郎ら、義経の郎党でした。郎党の知らせを受け、法皇の前に現れた義経は、法皇の無事を確かめると義仲は都を落ちたと知らせます。法皇は義経に直答を許し、その名を聞くと嘗める様にして義経見つめます。

瀬田の戦で敗れ、わずかな兵を率いて都を落ちる義仲。その隣には、巴御前の姿があります。義仲はその巴に向かって、落ち延びよと命じます。あくまで義仲に従うと言い張る巴ですが、義高の面倒は誰が見ると言われて、泣き崩れてしまいます。どこで道を間違えたか、木曽から出なければ良かったかと、後悔の念を漏らした義仲ですが、巴に生き延びよと言い捨てて、兼平と共に戦うべく去っていきます。

義仲を見送った巴の背後から、鎌倉の軍勢が現れます。その行く手を阻む様に両手を広げて立ち塞がった巴ですが、女武者と見て取った兵達は、巴をあざ笑いながら近づいて来ます。しかし、嘲る様に巴に手を掛けた兵達は、たちどころに巴によって倒されてしまいました。次々に襲いかかる兵達を、恐るべき武術を持って倒していく巴。ついには騎乗の武者が現れて巴に襲いかかりますが、返り討ちにされてしまいます。主人を討たれ、狼狽える兵達を尻目に、この場を逃れ去る巴御前。

以下、明日に続きます。


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