義経 18の2
義経 第18回 「清盛死す」その2
一門の宝を寺々に寄進して、平癒祈願をする時子。しかし、その甲斐もなく清盛の容態は日増しに悪くなっていきます。危篤状態に陥った清盛の周囲に集まった平家一門の人々。そこに、ふらふらになった五足がやってきました。耳役が無断で側を離れたのは何故かと知盛にとがめられ、福原に行っていたと言い訳をする五足。彼は、次々に起こる不吉な出来事は、清盛が肌身離さず持っていた菩提樹の数珠を福原に置いてきた為と考え、取りに行っていたのでした。五足から清盛が福原に戻るつもりであったと聞き、驚く知盛。なぜ早く取りに行かなかったのかと五足を責める宗盛。そんな宗盛を制して、五足からありがたく数珠を受け取る時子。
時子は、菩提樹の数珠を寝ている清盛の手に渡たし、遺言をとせがみます。それに答えて清盛が残した言葉は、仏事は無用、一門皆力を合わせて、東国の者鎮めるべし、というものでした。その後、時子の耳に口を当て何かを囁いたようですが、何も聞き取る事は出来ません。
清盛の最後の言葉は、夢、新しき国。その脳裏に浮かんだものは、福原の屏風と海を渡った日の記憶。断末魔の苦悶の果てに、清盛は64歳の生涯を閉じます。1181年(治承5年)閏2月4日の事でした。
巨星墜つ。清盛という柱石を失い、悲しみと不安に暮れる平家の人々...。
お徳の家。五足が悄然として背中を向けています。儚い事と清盛の死を悼むお徳に、まだする事があると言って、西八条第に戻っていく五足。
西八条第。炎に包まれている蓬壺。それを見て、燃やしてはならぬと狂乱する時子。しかし、その願いもむなしく、蓬壺は焼け落ちてしまいます。そこへ引き立てられて来た五足。たいまつを持って走っていたところを捕らえられたのでした。平家に恨みでもあったのかと詰問する時子に、せめて蓬壺だけでもあの世に連れて行きたいという清盛の遺言であったと答え、泣き崩れる五足。それを聞き、炎の中に清盛の姿を見る時子。彼女は、数珠を福原に置いてきた清盛の無念を思い、涙に暮れます。
鎌倉、義経邸。虫の知らせがあったのか、真夜中に目覚めた義経は、不安げに暗闇の中に目をこらします。
夜の京を、魂が抜けたようにふらふらと歩く五足。その行く手に現れた、3人の覆面の武士達。五足を囲んだ武士達は、あっという間に五足を切り倒してしまいます。翌朝、無念の表情をした烏丸が、五足の亡骸を車に乗せて引いていきます。五足は、あまりに清盛の近くに居すぎた事から、機密が外部に漏れる事を恐れた平家の手によって、口封じのために殺されてしまったのでした。
時子が清盛の平癒祈願のために、一門の宝を寺に寄進したことは、平家物語にあります。これには前段があり、時子が見た夢がきっかけとなっていました。その夢とは、牛頭馬頭に率いられ、猛火に包まれた車が門前に訪れたというものでした。その車の前面には「無」と書かれた鉄板が掲げられています。時子が牛頭馬頭達に、この車はどこから来たのかと問いかけると、地獄の閻魔大王より、清盛入道を迎えに参ったのだと答えます。さらに、この「無」の意味は何かと聞くと、清盛は奈良の大仏を焼き払った罪で無間地獄へと墜ちる事が決まったのだが、まだ間の字は書いていないのだという答えが返ってきました。ここで時子は目が醒めたのですが、あまりの恐ろしさに一門を集めて、宝を寄進して功徳を願う事にしたのでした。
清盛の熱病の症状は、すさまじいものがありました。大勢の人を使って叡山の清水を次々に運んでは石の浴槽に入れ、そこに体を入れて冷やそうとしたのですが、あっという間に沸騰してしまって役に立ちません。そこで今度は、板敷きの上に仰臥させて水をかけ流しにしたのですが、それでもあまり効果はなかったと言います。
時子が清盛に遺言を迫った事も平家物語にあるとおりです。そして、清盛が苦しんで死んでいった事も。平家物語では、清盛の熱病は大仏やあまたの寺を焼き払った仏罰であり、苦しんで死ぬのは当然の報いとしているのですね。
そして蓬壺が放火によって消失した事も、平家物語や源平盛衰記に書かれています。ただし、五足は宮尾本平家物語に出てくる創作上の人物ですから、これらの物語には登場しません。
宮尾本では、ドラマにあったように、清盛の遺言により五足が放火した事になっています。違うのは菩提樹の数珠を取りに行く順番と五足の最期で、原作では清盛が亡くなった後、五足が蓬壺に火を掛けたところを捕まり、斬首になるところを時子の情けで猶予を貰い、亡き清盛の為に数珠を取りに福原へ向かうという設定になっています。しかし、主の居なくなった福原は盗賊が跳梁する廃墟に変わり果てており、菩提樹の数珠も何者かに持ち去られた後でした。そして、全てに絶望した五足は、自ら命を絶つという最期を迎える事になっています。
なお、蓬壺は「ほうこ」と読みますが、ドラマでは「よもぎのつぼ」と呼んでいました。これは多分、「ほうこ」では意味が通じにくいと言うことから読み替えたものでしょうね。このあたりは、原作でも時子が生き生きと活写されているのですが、ドラマでも松坂慶子の熱演がなかなかの存在感を示していたと思います。
以下、明日に続きます。
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