義経 19
義経 第19回 「兄へ物申す」
五足の死の知らせを聞き、悲しみに打ち震える義経。その義経の心痛を気遣って、家来達も沈んでいます。義経は家来達の心遣いを感謝し、強いて笑顔を見せて彼らを安心させてやろうとします。
京、法住寺殿を院の御所とした後白河法皇。丹後の局と平知康を相手に、清盛亡き後の政局について分析をしています。法皇は平家を見限る事は決めましたが、その後を源氏の誰に託すか暫く様子を見ようと考えます。
鎌倉、大倉御所。もう一人の兄、範頼と対面した義経。数少ない身内に会えて、義経は喜びに震えます。平家が征東軍を派遣し、それを率いる将が、知盛、重衡、維盛らであると聞き、複雑な面持ちの義経。なぜ迎え撃たぬのかといぶかる範頼に、尾張から駿河にかけて源氏方の勢力がひしめいており、平家は容易に東進出来ないと分析してみせる頼朝とその幕下。
頼朝は平家がしくじった訳を幕下に問いかけ、南都北嶺の社寺との確執、行き過ぎた朝廷との密着といった意見に付け加えて、身内をあまりに重く用いすぎた事を挙げます。それは、範頼と義経に対して、身内だからという甘えは許さぬという通告でもありました。頼朝は鎌倉にあって、京から独立した武家としての政権の確立を目指し、平家と同じ徹は踏まぬと宣言します。
木曽谷、義仲邸。今井兼平、樋口兼光、巴を相手に、平家を蹴散らして鎌倉にも攻め込み、誰よりも先に京に上ってみせると怪気炎を上げる義仲。巴の源氏の旗頭を目指せという発破にも、まんざらでも無い様子です。
鎌倉、義経邸。弓の稽古に励む義経の下へ、範頼がやってきました。早速、兄を歓待する義経。お互いの生い立ちを語り合い、兄弟の絆を確かめ合う二人。義経は範頼に、頼朝とは違う暖かさを感じた様子です。
範頼は義朝の六男にあたり、頼朝、義経とは異母兄弟になります。母は遠近江国池田宿の遊女と伝えられ、近くの蒲御厨で生まれ育った事から「蒲冠者(かばのかじゃ)」と呼ばれます。平治の乱の時にどうやって助かったのかは定かではありませんが、その後京に上り、後白河院の近臣藤原範季の下で養われていました。範頼の名は、その一字を貰ったものと思われます。1180年(治承4年)、挙兵した兄頼朝の下に駆けつけ、以後義経と共に平家追討軍を率いて活躍する事となります。
樋口兼光と今井兼平は、共に中原兼遠の息子。兼遠は父を失った義仲を匿い育てた人で、義仲の乳母の夫にあたります。このことから、兼光、兼平は義仲の乳兄弟でもある訳ですね。巴は、この二人の妹。兼光、兼平は、義仲四天王の内に数えられ、義仲の下で大いに活躍します。ちなみに、兼光の家系は鎌倉以後も続き、戦国時代の武将直江兼続は、兼光の子孫という伝承を持っているようです。
以下、明日に続きます。
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