義経 18の3
義経 第18回 「清盛死す」その3
鎌倉、頼朝邸。呼び出された義経は、頼朝から清盛の死を聞かされます。衝撃を受けつつもそれを隠し、承りましたとのみ答える義経。義理の父でもあったはずと気遣う頼朝達ですが、義経は清盛が亡くなった以上足かせは無くなり、源氏の武者として存分に働く覚悟と言い切ります。しかし、平家ももはやこれまでと言う頼朝の言葉に、複雑な思いを隠せない様子の義経。その義経の心の内を探るような目つきで、義経をじっと見つめる時政。
自室に籠もり、仏に向かって教を読む義経。その義経を気遣って家来達が駆けつけてきますが、弁慶によって引き留められます。義経は、清盛と共にあった幼い日々を思い出し、滂沱の涙を流しながら、清盛に別れを告げます。
西八条第。時子の下に、平家の一門の人々が見舞いに訪れています。その時子に、清盛からの遺言を確かめる時忠。清盛の残した遺言は、ことさら仏事は無要、一族は力を合わせ、東国の謀反を鎮めるよう、相務めるべしの二つでしたが、清盛の声にならない声を聞いた時子は、これにもう一つを付け加えます。すなわち、頼朝の謀反こそ無念、この言葉を聞いた者は直ちにこの場を立って頼朝を討ちに参れ、そして頼朝の首を我が墓前に供えよ!というものでした。時子の決然とした言葉に、頼朝追討を誓い合う平家の一門。高らかに頼朝を討つと宣言する宗盛。
夕暮れの海岸に立ち、在りし日の清盛の船渡りの姿を思い浮かべる義経。彼は、敵である清盛の死に対して、そうとは割り切れぬ思いを噛みしめていました。
平家物語によれば、清盛の遺言は頼朝の首を我が墓前に供えよというもので、ドラマのように時子が付け加えた事にはなっていません。むしろこれを聞いた時子達は、さらに罪を重ねるような事は言わなくても良いのにとささやきあったとあります。
このドラマの展開は宮尾本平家物語にある設定で、清盛の遺言を情けなく思った時子が、一門を奮い立たせるためにあえて付け加えた事になっています。なぜこういう形にしたのかと言えば、おそらくは時子という女性のキャラクターを、より際だたせようという狙いからではないでしょうか。原作では、このあたりの下りには、時子と政子との対比を描くという側面があります。自らの運命を切り開くという強烈なキャラクターを供えた政子に対して、平家一門を裏から支え続けた時子をして、一度は歴史を動かした存在として位置づけたかったのかも知れません。あくまで推測ですけどね。
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