義経 14の5
義経 第14回 「さらば奥州」その5
奥州平泉、義経の館。泰衡からの頼朝敗北の知らせに衝撃を受け、参戦出来なかった事を悔やむ義経。仮に駆けつけていたとしたら、義経の命も危なかったのではと言う弁慶に対し、義経はただ兄の側に居たかったのだと叫びます。どうやら義経は、政略や駆け引きといった事には無縁な、情で動くタイプの人物に育ったようですね。
木曽谷、義仲の館。頼朝の挙兵の知らせに、自らも兵を挙げると宣言する義仲。まず最初の目標を、平家方の家人笠原頼直とし、その後上野国へ兵を進める事を決めます。
義仲が挙兵した日時は正確には判っていませんが、笠原頼直との合戦が9月7日に行われており、おそらくは8月17日に頼朝が挙兵した直後に、義仲もまた兵を挙げたものと思われます。笠原頼直は信濃に勢力を持つ平家方の武将で、頼政追討軍にも加わって、功績があった人です。義仲とは善光寺平で合戦に及んで敗北し、越後の城氏を頼って逃れます。そして、城氏に従って再度義仲に決戦を挑みますがまたしても敗れ、その後の行方は判らなくなってしまいました。
義仲が上野国を目指すと言ったのは、彼の父義賢が拠点としていたのが上野国であったからでした。義賢は上野を中心に北関東に勢力を持っていましたが、武蔵国を巡ってその兄義朝と争い、義朝の子義平に滅ぼされてしまったという経緯があります。義仲は、その父が失った地を取り戻し、その父の縁から自分を慕ってくるであろう武将を集めて、勢力を伸ばそうと考えた様です。
福原、清盛邸。清盛を中心に、前後策を練る宗盛達。清盛は、亡き重盛の長男維盛に対し、頼朝追討軍を率いて発つ様に命じます。
維盛は重盛の長男であり、平家の嫡流として平家一門の総帥となるべき人物でした。しかし、重盛が死んだ時点ではまだ若すぎたためか、総帥の地位は重盛の弟宗盛に移る事となります。宗盛に押されて何かと影が薄くなっていた小松一門でしたが、平家の威信を賭けた頼朝追討軍の総大将としては、やはり平家嫡流の維盛が選ばれたのでした。これは清盛が維盛に期待を持っていた現れと見て良いでしょうね。維盛の率いた軍は7万騎。維盛の他に、清盛の末の弟である忠度が従っていました。
関東。一度は敗走したものの、すぐに勢力を盛り返して鎌倉に入った頼朝。
石橋山を脱出した頼朝は、真鶴から安房国州崎に上陸します。頼朝の無事を聞いた味方の武将が次々と頼朝の下に集まると伴に、平家に不満を持つ関東の武将達も続々と頼朝への帰参を申し出てきました。特に、下総国の千葉氏、上総国の上総氏が帰参した事が大きかったようです。中でも上総広常は二万騎を率いており、これによって頼朝軍は一気に勢力を増したのですが、この時のエピソードとして、頼朝は広常を歓迎するどころか、その遅参を咎めてこれを誅すると言い渡しました。広常は怒る事なく返って頼朝を信頼し、その旗下に入ったと言います。こうして頼朝は、石橋山での敗戦後からひと月も経たない内に、一大勢力として再起するという奇跡を起こして見せたのです。このあたりは、もはや時の勢いとしか言い様が無いでしょうね。それほど平家の専横が憎まれ、新しい時代の到来が待ち望まれていたという事なのでしょうね。
頼朝が鎌倉に入ったのは、彼の祖先であり、源氏の中興の祖である頼義が相模守として関東に下った時に、拠点としていた地であった為です。彼は祖先縁の地に入る事によって、源氏再興を世に知らしめようとしたのですね。
福原で、時子を中心に、菊見の宴を催す平家の女人達。ここに集うのは、安徳帝の乳母を務める輔子(重衡の妻)、安徳帝の弟である守貞親王の乳母を務める明子(知盛の妻)など、平家の権勢を裏から支える女性達でもありました。そこで紹介される、清盛と常盤の間に産まれた能子。源氏と平家の狭間にあって、最も微妙な立場に立たされている彼女でしたが、あくまで平家の女人として、爽やかにあいさつをして、一同に迎い入れられます。
菊見の宴は、九月九日の重陽の節句に行われていた宮中の行事の一つです。時子達が福原でこの宴を開いたというのは、原作本の宮尾本平家物語にある設定です。一見優美な宴の様でしたが、原作本の設定では、何かと揉め勝ちになる平家の裏方の女性達をまとめる為の、重要な舞台となっています。宮尾本平家物語では、この頃の主役は清盛から時子に移りつつあり、彼女の目を通した平家の内幕が多く語られています。そして時子は、平家の女人の総帥として、一門の女性達を率いる役目を果たして行くのです。
奥州平泉、伽羅の御所。秀衡に拝謁して、暇を乞う義経。それを許さない秀衡。義経は、源氏の血を引く者としての意地を貫きたいと言い張り、遂には秀衡も折れて関東行きを許し、戦支度を整える事を申し出ます。
奥州の野を、関東へと急ぐ義経の一行。その背後から追ってきた佐藤兄弟。随行を願う彼らを一度は断った義経ですが、秀衡の意向と知ると供に加わる事を許します。一行の行く手に現れた秀衡。遠くから義経に、帰る場所はここだとつぶやくように語りかける秀衡。その言葉が聞こえたかの様に、わずかに頷く義経。見送る秀衡を後に、義経の一行は関東を目指します。
秀衡が義経の離脱を許さなかったのは、以前に書いたとおりです。実際には、義経は平泉を脱出したのであり、決して秀衡の同意を得た訳では無かったようです。わずかに佐藤兄弟が従ったのも史実にあるとおりですね。秀衡は、義経を大っぴらには支援出来ないものの、わずかに佐藤兄弟を従わせる事で餞とした様です。
治承4年10月、富士川を挟んで対峙する源氏と平家の軍勢。
頼朝が黄瀬川に陣を張っている事を知り、先を急ぐ義経。黄瀬川が見えたとき、頼朝との対面を思い、義経の胸は熱くなるのでした。
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