義経 14の3
義経 第14回 「さらば奥州」その3
福原、清盛邸。寝室で寝ている清盛の枕元にあふれ出た鼠たち。その気配に目を覚ました清盛の耳に、真言を唱える声が聞こえてきます。その声につられて部屋の外へ飛び出した清盛の目に、頼政、以仁王など、清盛に恨みを抱いて死んでいった者達の亡霊が映ります。おのれ、もののけ!と叫んで太刀を振るう清盛。亡霊は追い払ったものの、あまりの不気味さ故か、清盛はおびえた様子です。そこへ現れた五足は、これはだれかの呪詛ではないかと言い出します。
福原に都を遷してから清盛の周辺に異変が続発した事は、平家物語に出て来ます。
ある日の夜、清盛の寝室を一間(1.8m)ほどもあるという、巨大な顔が覗いていました。さすがに度胸の据わった清盛です、騒がすにじっと睨み返すと、やがて妖怪は姿を消しました。
また、別の日の夜には、屋敷のすぐ近く大木が倒れる音がして、二、三千人ほどの人が一斉に笑う声がしました。しかし、屋敷の周辺には大木などなく、これは天狗の仕業という噂が立ちました。このため警護の兵が置かれたのですが、魔よけの矢を天狗が居るとおぼしき方角に放つと静まりかえり、大きく外すと笑い声があたりにこだましたと言います。
さらに別の日の夜には、清盛が庭を眺めていると無数の髑髏が現れ、やがて一つに固まって14、5丈(約50m近く)もある巨大な髑髏と化しました。ここでも清盛はひるまずに髑髏を睨み返すと、やがて髑髏は跡形も無く消え去りました。
このほか、鼠が出てくる話もあります。ある日、東国の大庭景親から贈られ、清盛が大事にしていた馬の尻尾に、鼠が一夜にして巣を作り、子を産みました。不審に思って占わせると、重い慎みという卦が出ました。かつて天智天皇の時代にも同じ様な事があり、その直後日本と友好関係にあった百済が滅び去るという凶事が起こりました。この事から何か変事が起こる前触れではないかと考えられのですが、果たしてそれから間もなく、頼朝の挙兵という形で現実のものとなったのでした。
飢饉の続く京。飢えに苦しむ人々の声は、やがて都を遷した清盛に対する怨嗟の声となって行きます。
福原、籠の御所。京の悲惨な様子を聞き、嘆き悲しむ後白河法皇。丹後局の巧みな誘導により、法皇は遂に平家を見限る決意をします。
籠の御所とは、一度は鳥羽殿の幽閉から解き放たれた後白河法皇でしたが、以仁王の謀反の事などもあって、ここ福原では再び幽閉同然の扱いを受けていました。周囲を板塀で囲って一カ所だけを開け、その中に3間の板屋を作って法皇の御座所としたのです。これを童達は、籠の御所と呼んだと平家物語にあります。ドラマでも、ほぼこのとおりの作りになっていましたね。
伊豆、北条屋敷。以仁王敗死の知らせを聞き、驚く頼朝達。せっかくの令旨も効力を失ったと落ち込む時政と政子ですが、頼朝は以仁王生存の噂もあると伝えます。それを聞き、生きているという噂がある以上、令旨もまた未だ生きていると言い出す政子と、それを褒める頼朝。そして、時政から三浦党三千の援軍が見込めると聞き、遂に平家妥当の挙兵を決意します。
以仁王が生存していたという噂は「玉葉」に記述があり、当時からあったようです。また、平家物語にもいくつか種類があるのですが、その中に以仁王の死体には首が無かったと記述しているものがあります。実際には亡くなっていたのでしょうけれども、こうした噂がドラマの様に、源氏方にとって有利に働いた事はあったものと思われます。
以下、明日に続きます。
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コメント
こんばんは~☆
新撰組から、読ませていただいます。
細かなスクリプトさすがですね~。
情景を再度確認できますし、見逃したときは
こちらのblogフォローでばっちりです!
このたびTBさせていただきました(∩.∩)
これからも、よろしくお願いいたします。
投稿: Youyounonbiri | 2005.04.15 18:52
Youyounonbiriさん、コメントありがとうございます。
ドラマの筋を追うのが荒くなった分、読みにくくなったのではないかと気になっていたのですが、ちゃんと見て下さっている方が居ると判り嬉しいです。
これから暫くは、鎌倉が主舞台になりそうですね。頼朝と義経の関係がどう描かれ行くのか、これからのドラマの展開に注目です。
投稿: なおくん | 2005.04.15 19:45