義経 14の4
義経 第14回 「さらば奥州」その4
時政の支援の下、ついに兵を挙げ山木判官の館を襲った頼朝。初陣は目出度く勝利に終わりました。しかし、石橋山にて大庭景親率いる追討軍と戦い、無惨にも敗れ去ってしまいます。辛くも敵の手を逃れた頼朝は、近臣と共に石橋山の洞窟に隠れていました。
暗い洞窟の中で、追っ手の影に怯える頼朝達。落ち武者狩りが始まった事を知り、絶望しかける時政を、諦めてはいけないと叱りつける頼朝。そこへ、追っ手の一人である梶原景時がやってきます。殺気立つ頼朝達に向かって、敵意はないと言う景時。彼は真鶴まで行けば船があると言い残して、去って行きます。
頼朝が兵を挙げたのは、1180年(治承4年)8月17日の事でした。これに先立つ6月頃、都の三善康信から、平家が源氏追討を決意し、中でも源氏嫡流たる頼朝がその最たる標的となったと知らせて来ました。追いつめられた頼朝は、座して死を待つよりはと、遂に挙兵を決断します。しかし、頼朝の呼びかけに応じた武士はわずかで、追討軍は大庭景親を中心に膨らむ一方でした。
8月4日、頼朝は伊豆目代の山木兼隆攻めを決定します。なぜ兼隆を最初の標的に選んだのかと言えば、頼朝を支援した時政達にとって最も憎むべき相手であったからだと言います。兼隆は平家一門ではありましたが、元はと言えば罪を得て伊豆に流されてきた流人でした。ところが、その流人が清盛の義弟時忠が伊豆の国主となった事から目代に指名され、俄に権勢を振るい始めます。そして、その態度が平氏の威光を笠に着た横暴なものであったため、時政達の怨嗟を呼ぶ事となっていたのでした。頼朝にすれば、国人達に恨まれている兼隆を討つ事により、より多くの味方をえられるだろうという計算も働いていたようです。
挙兵の日時は、占いによって8月17日早朝と決められました。この日は三島神社の祭礼の日にあたり、兼隆の屋敷からも多くの人数が出払い、手薄になるはずという目論みもあったようです。挙兵と言っても北条氏の郎党の他にはまとまった兵力はなく、三浦氏の来援もこのときはまだ口約束の段階で、実に心細いものでした。佐々木定綱ら4兄弟の到着が遅れたからと言って、攻撃開始を延期せざるを得なかったという事実が、その実情を物語ります。
夜になってやっと到着した佐々木兄弟を迎え、頼朝は山木攻めを開始します。17日の深夜、まず襲ったのは兼隆の後見人である堤権守信遠の屋敷でした。信遠を襲ったのは、佐々木兄弟。この中の一人、経高が放った鏑矢が、「源家、平氏を征する最前の一箭なり。」と吾妻鏡には記されています。ここに、壇ノ浦まで続く源平合戦の火ぶたが切って落とされたのでした。
佐々木兄弟の活躍で信遠を討ち取り、兼隆の館に向かった本隊も、苦戦の末に兼隆を討ち取る事に成功しましす。このとき、頼朝は身辺の警護に当っていた3人の武者をも山木攻めへの援軍に差し向け、北条館に残っていたのは頼朝一人という状態でした。
山木攻めの成功により、頼朝の下へはせ参じる武士達も増え、300騎を得ました。そして、三浦氏も二千騎を率いての参戦を約し、これと合流すべく頼朝軍は相模国土肥に向かいます。しかし、肝心の三浦党は途中の川の増水に行く手を阻まれ、来援出来ずにいました。このため、頼朝軍は石橋山に陣を張り、三浦党の到着を待つ事にします。そんな状況の中、石橋山の谷一つ隔てた場所に大庭景親率いる追討軍三千騎が集結し、さらに頼朝軍の背後には伊東祐親の軍300騎が迫っていました。
川の増水に阻まれていた三浦党は、大庭氏一族の家々に火を放ちつつ、追撃を開始します。これを見て、ぐずぐず出来ないと悟った景親は総攻撃を決意し、頼朝軍に襲いかかります。3300騎対300騎の戦いの帰趨は明らかで、頼朝も自ら弓を取って戦いましたが、あっという間に蹴散らされ、石橋山の背後の椙山へと逃げ込みます。
頼朝が直接弓を持って戦ったのは生涯を通じてこの時のみで、その矢は当らざるもの無しと吾妻鏡には記されています。
頼朝は、大勢で居ては敵に発見されやすいとして、残った人達を分散して落ち延びさせます。時政、義時親子は無事に甲斐へ逃れましたが、長男の宗時は早川に下ったところを伊東勢に見つかり討ち死してしまいます。頼朝には土肥実平が付き添い、真鶴から船で安房国州崎まで脱出させる事に成功したのでした。このとき、ドラマにあったように梶原景時が頼朝を助けたというエピソードは有名な話で、源平盛衰記によると、景時は「しばらく相待ち給え。助け奉るべし。戦に勝ち給いたらば、君、忘れ給うな。」と言ったとあります。ドラマでも翳りの見えてきた平家を見限る様な事を言いかけていましたが、この時点では風前の灯火の様な頼朝を助けるという行為は、景時なりの先見の明があったとはいえ、かなり賭博性に富んだものだったと言えそうですね。
以下、明日に続きます。
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