義経 13の2
義経 第13回 「源氏の決起」の2
頼政の屋敷で、以仁王の令旨を見て、好機到来と喜び勇む新宮十郎。そんな彼に、諸国の源氏への伝達を以来する頼政。十郎は、無位無冠では重みに欠けると主張し、八条院の蔵人という役職を与えられて名を行家と改め、諸国へと旅立ちます。
八条院とは後白河法皇の妹で、膨大な天皇家領を保有し、その経済力を背景に独自の勢力を持っていた人でした。以仁王は、この八条院の猶子となっており、頼政への働きかけもこの八条院を通して行ったのではないかと考えられています。ドラマでは、頼政を通して八条院の蔵人となった行家ですが、実際には元々八条家に仕えていたようですね。ですから、令旨を伝える役目を行家が請け負ったのもまた、八条院を通してのことだったのでしょう。
以仁王の令旨は、まず後白河法皇を幽閉して院政を停止し、その近臣の多くを罰した清盛を謀反人であると断定し、また仏敵であると断罪しています。そして自らを天武天皇になぞらえて、新しい皇統の創始者となる事を宣言していました。天武帝が壬申の乱で、天智天皇の子である大友皇子を破って新たな皇統を開いた故事に倣ったのでしょうね。なお令旨とは、皇太子が自らの意思を伝えるときに使う文書の様式です。
鳥羽殿で、落ち着きなく外の様子を窺っている後白河法皇。その法皇に、御上はなにも関係していないからと、落ち着いくように進言する丹後の局。彼女は法皇に向かって、源氏と平家の争いを、黙って局外から眺めておくよう助言します。
丹後局は、山法師の娘とも言い、平業房の妻でした。業房が清盛によって伊豆に流された後、法皇の下に出仕しました。法皇の寵愛厚く、皇女を一人産んでいます。法皇が鳥羽殿に幽閉された時も、ただ一人側に仕える事を許された人でした。ドラマでは、この時期を描いているのですね。その後も法皇の寵愛は変わらず従二位を授けられるまでに至り、一種の権勢家となって辣腕を振るったとされます。ドラマの丹後局もまた、なにやら凄みを感じさせる人物として描かれていますね。
熊野の新宮にやってきた行家。かつての仲間と共に、白拍子を集めて酒宴を開いています。軽率にも、令旨を放り出して、笑いさざめく行家達。白拍子に尋ねられた行家は、全国の源氏に平家追討の令旨を伝えて回るのだと答えてしまいます。天は我を無捨てずと叫び、得意の絶頂となる行家。
伊豆、北条屋敷。令旨を持った行家が訪れています。応対に出た頼朝は、叔父である事を強調しようとする行家の出端をくじき、主導権を渡そうとはしません。しかし、以仁王の使いと言われて、下座に移る頼朝。行家から令旨を示され畏まる頼朝ですが、決起を促す行家には答えを保留します。源氏としてひとつにまとまるべきだという行家に対し、今はまだ流人の身であるからして、行家が来た事すら憚られる、早々に立ち去られよと答える頼朝。その無礼さに憤りながらも、決起を期待すると言い残して去る行家。
行家の去った後、比企の尼を相手に、都では、源氏の嫡流である自分を忘れていなかったと感慨に耽る頼朝。
夜の北条屋敷。頼朝を前に、時政、政子、盛長が話し合っています。令旨が下った以上、兵を挙げるべきだと主張する時政。まだその時期ではないとする頼朝と政子。娘婿のためなら何でもするという時政ですが、この人、先週までは頼朝を毛嫌いしていたのではなかったけ。ちょっと経過を省略しすぎてはいませんか...。
頼朝は政子の進言に従い、暫くは天下の形勢を見る事に決めます。
以下、明日に続きます。
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