義経 13
義経 第13回 「源氏の決起」
1180年(治承4年)。奥州平泉、伽羅の御所。義経が秀衡から京の情勢を聞いています。清盛が後白河法皇を鳥羽殿に幽閉したと聞き、驚く義経。平家が朝廷を掌握したと言いながら、その真意を測りかねる秀衡。
義経の館。吉次からの手紙を読む義経。難しい顔をしている義経を見て、弁慶が何事かと尋ねます。義経は、都で起きている、源仲綱と平宗盛の馬を巡る諍いを教えてやります。
京。源頼政の屋敷。名馬木の下を宗盛に所望され、苦悩する仲綱。その仲綱に、木の下を仲綱に譲るよう説得する頼政。
六波羅、宗盛邸。木の下が連れてこられています。それを見た宗盛は、仲綱がなかなか渡さなかった事を根に持ち、木の下を仲綱という名に変えて焼印まで押してしまいます。そしてそれを都中に見せびらかし、鞭で打ち据え、仲綱を無理矢理啼かせるという無体を働く宗盛。
頼政の屋敷。宗盛の木の下への仕打ちを聞き、悔しさに震える仲綱。息子への侮辱に、ついに堪忍袋の緒が斬れた頼政。70歳を越え、この世に生きたという証が欲しいと、平家への謀反を決意します。
以仁王の屋敷で、王に拝謁する頼政。王の不遇を説き、常興寺領を取り上げた平家の横暴を訴え、子として法皇を助けるよう進言します。そして、源氏決起の令旨を出すように懇願し、成功します。
名馬木の下をめぐる話は、平家物語に出て来ます。ドラマと少し違って、譲ったのではなく、どうしても見たいという宗盛にやむなく貸したという事になっています。宗盛が木の下に仲綱という焼き印を押して辱め、その恨みから頼政が謀反を決意したという流れはドラマと同じですね。
以仁王は、後白河法皇の第3皇子だった人で、母の身分が低かった事から、親王の宣下を受けられなかったとされます。しかし、王の母は大納言藤原季成の娘であり、親王になれないほど低いという家柄ではありませんでした。ですから、これは出自に依るものではなく、帝を自らの一門から出そうとする平家に疎んじられたためと見る方が正しいのでしょうね。
ドラマでは、木の下を巡って平家を恨んだ頼政が以仁王を焚きつけ、令旨をせがむという平家物語に沿った展開になっていました。しかし、実際には、ここまで不遇に耐えてきた以仁王が、平家によって領地を取り上げられ、さらに安徳帝の即位によって完全に帝位への道を絶たれた事から挙兵を決意するに至り、頼政に参加を呼びかけたというのが正しいようです。名馬木の下の逸話は、不可解な頼政の挙兵を理由付けようとする平家物語の作者による脚色なのかもしれません。この時頼政は76歳、前年に従三位に叙せられ、そのすぐ後に出家していました。病を得て身体が衰えていたとも言い、ここまで平家に従って立身してきた彼が謀反を起こすというのは、ちょっと理解に苦しむものがあったのでしょうね。
以下、明日に続きます。
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