京都 蹴上 義経地蔵@義経
京都の南禅寺の南にある京都疎水のインクライン。その船だまりのほとりにあるのが、この義経地蔵です。正しくは、「義経大日如来」。この地蔵には、義経の旅立ちに係わる伝説がまつわります。
遮那王が奥州に向かうため、吉次達と共に鞍馬を発ち、粟田口から九条山の坂に差し掛かった時の事でした。坂の上から馬に乗った平家の武者9人が駆け下りて来ます。すれ違い様、武者の乗った馬が水たまりの水を跳ね上げ、遮那王に掛けてしまいました。遮那王は無礼を詫びる様に迫りますが、武者達は平家の威光を笠に着て、返って居丈高な態度に出ます。怒った遮那王は、吉次の止めるのも聞かず、あっという間に9人の武者達を次々と倒してしまいました。全てが終わった後、冷静になってみると遮那王は、自分の倒した武者達が哀れになってきます。そこで遮那王は、街道沿いに9体の地蔵を建てて供養とし、彼らの菩提を弔いました。この地蔵はそのうちの一体と伝えられているものです。
この付近の地名を「蹴上(けあげ)」というのですが、武者の乗った馬が水を「蹴上げた」事からこの地名が始まったとも言います。よくよく義経と因縁が深い地ではありますね。
この地蔵がある場所は「インクライン疎水公園」となっており、インクライン沿いに桜が沢山植わっていて、花の名所の一つになっています。四月に京都を訪れる機会があれば、この地蔵を訪ねがてら歩かれると良いですよ。
本当に素敵な桜並木ですから。
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コメント
蹴上ってそういう由来でしたか( ..)φメモメモ
またひとつ賢くなりました(*^_^*)
漢字から勝手に蹴鞠をイメージしておりました。
投稿: Milk | 2005.03.05 16:06
milkさん、コメントありがとうございます。
自分で書いておいて何ですが、蹴上の由来は一つの伝説という事にしておいて下さい。これとは別に、つま先上がりにきつい坂道という意味から付いたという説もあり、どっちかというとこっちの方がもっともらしいような...。
でも、義経と地名、それに地蔵様を結びつけた伝説には、なかなか秀逸なものがありますね。それだけ義経に対する哀惜の念が、強く残っているという事なのでしょうね。
投稿: なおくん | 2005.03.05 17:23