義経 9の2
義経 第9回 「義経誕生」その2
尾張の国で、自らの手で元服を行った義経。
元服は男子が成人する為の儀式で、取り分け武家においては最も重要なものとされていました。通常は、烏帽子をかぶせる烏帽子親の他、加冠役など複数の人数を必要とし、義経の様に自ら元服を行うのは異例中の異例です。特に、烏帽子親とは親子関係が結ばれ、将来に渡ってその庇護を受ける事となる大切な存在でした。ですから、誰でも良いという訳ではなく、一族縁者の中から有力者を選ぶのが常でした。後には、主君がなる事もあった様ですね。ドラマで吉次が秀衡に頼んではどうかと言っていたのは、これからは秀衡に後ろ盾になって貰えという謎掛けでもあった訳です。
義経が元服した地として伝わるのは2カ所あり、一つは近江国鏡宿(竜王町)、もう一つが尾張国熱田神宮です。前者を採るのは平治物語、謡曲「烏帽子折」など、後者を採るのは「義経記」です。どちらも盗賊退治とセットになっていて、義経記だけが盗賊退治後に元服、他は全て元服後に盗賊退治をしたとされています。このドラマでは、義経記に近い設定になっているのですね。このほか、「吾妻鏡」の記述から、鞍馬寺を出てすぐに元服したとする説もあります。
源九郎義経。この九郎という名にも、ドラマにあった様に9番目の子だから九郎と名乗ったとする説と、実際には8番目の子だったのですが、武勇に優れた叔父の八郎為朝に遠慮して九郎と名乗ったとする説(義経記)があります。手元の資料に記載されている系図を見ると9番目の子になっており、現在では9男だから九郎とする説を採る方が有力な様ですね。
元服一つとっても様々な伝説に包まれているのが、いかにも義経らしいと言えるのかもしれません。
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