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2005.02.16

義経 6の3

義経 第6回 「我が兄頼朝」その3

都に大番役のために上るという北条時政。

大番役とは、内裏や摂関家の警護をする役目です。荘園領主がその領内の地方武士に順に命じて上洛させ、その役に就かせました。その間の費用は全て自前であり、また自領においては主である武士がただの家人として扱われるなど、決して嬉しい役目ではなかったようです。しかし、自領の安堵と引き替えの義務であり、怠る事はできませんでした。北条家は平氏の一族であり、この当時は平家に従っていた関係から、大番役を命じられたのですね。

一方の伊東も北条とほぼ同じ立場で、藤原南家を祖とする一族ながら平家に従っており、北条と共に頼朝の監視を命じられていました。その娘が頼朝と通じた事も同じなのですが、伊東はこれを恐れ、北条はこれを奇貨としたところに後の両者の明暗を分ける鍵がありました。

都の三善康信からの文を読む頼朝。

三善康信からの文を受け取る頼朝。康信は頼朝の乳母の甥にあたる人物で、中宮徳子に仕える下僚の一人でしたが、頼朝が伊豆に流されて以来、途切れることなく都の情報を頼朝の下に送り続けていました。

流人の頼朝に仕える安達盛長と、母の様に頼朝に寄り添う比企尼。

比企尼は頼朝の乳母の一人で、武蔵国比企郡の豪族比企遠宗の妻でした。頼朝が配流になると関東に一緒に下り、武蔵にあって物心両面で頼朝を支え続けた人です。安達盛長は、その娘婿にあたる人物で、流人時代から頼朝に仕え、後には比企尼の養子比企能員と共に、初期の鎌倉幕府における有力な御家人として重きをなすに至ります。

この項は、別冊歴史読本「源氏対平氏」、「源義経の生涯」、宮尾登美子「義経」、楠木誠一郎「源義経111の謎」、義経デジタル文庫、司馬遼太郎「義経」を参照しています。

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