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2005.02.15

義経 6の2

義経 第6回 「我が兄頼朝」その2

時子の前で、遮那王について話し合う宗盛、知盛、重衡の兄弟。

時子の前に重盛が居ないのは、かなり重要な意味がありますね。彼女にとって重盛は先妻の子であり、自分が産んだ宗盛達に平家の主導権を取らせたかったのでしょう。現に後に至って、そのような事態が実現します。そして源平の争いが激化していく頃、重盛亡き後の維盛以下の重盛一門は、平家一門の中で微妙に孤立した存在となっていきます。

遮那王に八幡太郎義家の名を出し、奥州行きを勧める吉次。

八幡太郎義家は源氏嫡流の武将で、頼朝や遮那王の4代前の祖先に当ります。前九年の役や後三年の役で奥州平定に功があり、「天下第一武勇之士」と称され、その武勇と共に私財を投げ売ってでも部下に報いたという面倒見の良さから、東国武士達の圧倒的な支持を得る様になりました。
そして、後三年の役の時に義家に助けられたのが清原清衡で、後の奥州藤原家の祖となった人です。吉次が奥州が源氏縁の地であると言っていたのは、こうした背景があるからですね。

縁側で、のんびりとした時間を過ごす頼朝と亀の前。

なんとも仲睦まじい二人ですが、亀の前は史実でも現れる頼朝の愛人です。ただし、頼朝と知り合うのはずっと後で、政子と一緒になってからの事でした。ここでは農家の娘の様に描かれていますが、吉橋太郎入道という侍の娘だったようですね。

この時期、頼朝が関係していた女性は頼朝の監視者である伊東祐親の三女で、彼女は父親の知らぬ間に頼朝の子を産んでいます。しかし、この事を知った祐親は、平家を恐れるあまりに頼朝の子を殺し、娘を家臣の嫁にしてしまいました。その後知り合ったのが、もう一人の監視人である北条時政の娘政子です。

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