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2005.02.02

義経 4の3

義経 第4回 「鞍馬の遮那王」その3

大勢の僧呂達によって、追い立てられている大柄な僧。彼こそが、武蔵坊弁慶でした。

平家が仏門に武力で対抗したという事件は、1180年(治承4年)に平重衡が興福寺と東大寺を攻めた南都焼討が有名ですが、このドラマの時期よりもかなり後の事になりますね。反対に、もう少し前に遡ると、1165年(永万元年)に起こった額打事件というのがあります。これは、叡山と興福寺の争いで、二条天皇の葬儀の際に、興福寺から辱めを受けた叡山は大挙して山を下り、都を守る検非違使達を追い散らし、洛中へと乱入します。このとき、なぜか後白河法皇が叡山に対して平家追討の院宣を下したという噂が流れました。これを聞いた平家一門は六波羅第に集まり、僧兵達の襲撃に備えます。しかし、僧兵達は六波羅には現れず、興福寺の末寺であった清水寺に襲いかかってこれを焼き払い、恨みを晴らすと山へと帰って行ったのでした。このときは、平家と叡山との間で武力衝突は起きていません。調べた限りにおいては、この頃に平家が武力介入したという様な事件は無く、ドラマの事件は、弁慶に平家に対する恨みを持たせるためのオリジナルの設定という事になりそうですね。

ドラマでは、平家の責任者追求の犠牲になった弁慶でしたが、義経記によれば、弁慶は非常な乱暴ものであり、山内で持てあました結果、山から追い出されたとなっています。そして、諸国を放浪した挙げ句に姫路の書写山にたどり着き、誤って全山を焼き尽くしてしまうという失敗を犯し、京に逃げ帰ってきたとあります。

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