義経 4
義経 第4回 「鞍馬の遮那王」
冒頭、当時の京を取り巻く有力な寺の勢力関係。南都北嶺と言われる様に、平城京のあった奈良の興福寺、京都の東北にそびえる比叡山に拠る延暦寺が多くの僧兵を抱え、この時代の2大勢力となっていました。そして、延暦寺の別院ながら、「山門」の延暦寺に対して「寺門」と称して対抗した園城寺(三井寺)がこれに次ぎます。遮那王の居る鞍馬寺にも僧兵は居ましたが、これらの寺と比べると規模は小さかった様です。これらの寺は、保元の乱以後始まった源平の合戦に、様々な形で絡んで行く事になります。
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