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2005.01.19

義経 2

第2回 「我が父清盛」

福原を描いた屏風を、宋人達に披露する清盛。

福原とは今の神戸市の事で、大和田泊とは兵庫港のあたりに古代からあったとされる港です。平家は開墾地を背景とする源氏と違って、瀬戸内海を中心とする海運によって得た富を背景に勢力を築きました。清盛の父忠盛の代に海賊退治を命じられて瀬戸内の海運を押さえた事が、その後の平家の繁栄をもたらすきっかけになったと言われます。特に対宋貿易は莫大な富をもたらし、重要な収入源となっていました。ただ、当時は宋との間に正式な国交は無く、清盛は私的に九州を訪れる宋人を相手に貿易を行っていたのです。ドラマで宋人を密かに招いたと言っていたのは、こうした事情が背景にあるのですね。

清盛は政権を握ると、この対宋貿易を大々的に拡大しようとします。当時の宋の船は九州の港に入っていたのですが、そこで出来る交易には限界がありました。清盛はこれを一大消費地であり、かつ物資の生産地、集散地でもある都近くまで招き入れ、交易高を一気に増やそうと目論みます。そのために必要となる港が大和田泊でした。彼はこの港を大型船が入れるように改修すると共に、瀬戸内の航路の改修にも乗り出します。そして、さらには福原に居館を構え、京都から移り住んで対宋貿易の陣頭指揮に当りました。それほど福原と対宋貿易に入れ込んだ清盛は、ついには福原に都を移そうと計画します。そしてわずか半年余りでしたが、福原遷都を実現しました。このあたりについてはドラマの進行と共に出て来るでしょうから、その時に改めて触れる事とします。

客人が帰って誰も居なくなった部屋に、一人入ってくる宗盛。屏風に向かって石を次々と投げつけ、事が済むと満足げなゆがんだ笑みを浮かべて、部屋を出て行きます。

なにやら頼りなげに描かれている宗盛ですが、彼はほとんど全ての物語においても同じ様に描かれています。「源平盛衰記」に至っては、彼は清盛の子ではなく、傘職人の子であったとまで書かれています。後妻に入り、一人目の子としてなんとしても男の子が欲しかった時子が、同じ日に生まれた男の子と自分が生んだ女の子を交換したのが後の宗盛だったと言うのです。その真偽の程はともかく、武勇に優れていたとされる知盛や重衡に比べて、軍事面においてはあまり才能に恵まれていなかった事は確かな様です。その一方で心優しい人柄であったとも伝えられ、今後ドラマでどの様に描かれていくのか注目したいところですね。

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コメント

あの屏風のシーンは、良かったですね。
清盛ってば、すっかり良い「パパ」で(笑)
まだ2回ですけど、清盛に対するイメージが変わってしまいました。

投稿: mononoke | 2005.01.20 15:39

mononokeさん、コメントありがとうございます。私もこのドラマの清盛は好きですね。それに、普通は憎まれ役として描かれる平家の人々も、なんだか家族的で良い感じです。滅ぼしてしまうのが可愛そうなくらい。でも、このままだとドラマとして成立しそうにない。この後どうやって展開させていくのでしょうね。何が義経を変えていくのか、楽しみに見ていく事にしましょう。

投稿: なおくん | 2005.01.20 20:54

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