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2004.12.08

新選組!39の3

新選組! 第48回「流山」その3

宇八郎の家の座敷で、対座している宇八郎と永倉。永倉は宇八郎が作った隊に参加しますが、原田は京に戻ると言って去っていきます。

宇八郎(芳賀宜道)が結成した隊というのは靖共隊の事ですね。ドラマでは宇八郎が作ったと言っていますが、浪士文久報国記事では、永倉と原田が甲陽鎮撫隊を脱退した兵士達を引き連れて宇八郎の下を訪れ、彼を同志としたとあります。永倉と原田は宇八郎を隊長に据えて自分たちは副長に収まり、隊士を糾合します。靖共隊には旧新選組隊士や旧幕府軍、あるいは諸藩の浪士達が集い、最終的には約100名の隊士を擁するに至りました。靖共隊は旧幕府軍歩兵第七連隊に付属し、小山から宇都宮、日光と転戦して、最後に会津で敗れるまで戦い続ける事になります。

また、ドラマでは靖共隊に入らずに京都に向かった原田ですが、実際には靖共隊の副長になったのは先に書いたとおりです。慶応4年4月10日に江戸城が明け渡しになると共に靖共隊は江戸を離れます。浪士文久報国記事に寄れば、江戸を出立した後、行徳宿を経て山崎宿にまで来たとき、原田は「余儀ない事情がある。」として隊を離れ、行徳宿まで引き返してしまいます。すぐに戻るはずだったのですが、官軍に行く手を遮断されたため、やむなく江戸に戻って彰義隊に参加したとあります。また、同じく永倉の回顧談をまとめた「新撰組顛末記」では、原田は「妻子の愛着に引かされ、辞を設けて江戸へ引き返した。」と記されています。ただ、このとき妻のまさや息子の茂は京都にあって江戸には居らず、妻子に会いたいが為に江戸に引き返したというのは少し変な気がしますね。恐らくは別の事情があったものと思われますが、ドラマでは「新撰組顛末記」に書かれている説を採って、家族思いの原田が京都を目がけて走るという展開にしたのですね。

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