新選組! 芹沢鴨の足跡
総集編で最も印象的だったのが芹沢鴨。総集編だけで言えば、佐藤浩市の存在感が他を圧していました。その芹沢鴨に敬意を表して、彼が活躍した史跡の紹介をします。
まず、蛤御門。八・一八の政変において出動を命じられた新選組が御所を守る会津藩兵に誰何され、通行を阻まれた時に芹沢が進み出て槍の穂先を扇いだというのがこの門前です。その時の憎々しい態度が会津藩に悪印象を残し、粛正の原因ともなったという事件ですね。この写真は蛤御門の柱の部分のアップ。白く変色しているところが蛤御門の変の際の弾痕と言われているものです。うーん、凄い。でも、この変の時には、芹沢はもう居なかったんですね...。
次は、お梅が妾として住んで居たという菱屋の跡。長い間、菱屋は四条堀川にあったとされていましたが、前川本家にあった古文書によって西陣山名町にあった事が確認されました。上の写真で言うと、左端のマンションのあたりでしょうか。ここから壬生の屯所までは4km程度。約一里の道のりを、お梅は借金の催促のために通っていた事になりますね。
最後は、芹沢が焼き討ちをした大和屋跡。現在は静かな住宅街になっており、左側の建物がなんとなく雰囲気を残していると言えば言えるかな。実際に行ってみると御所の近くである事が良く判り、苦情が殺到したというのも理解出来ます。
菱屋にしても大和屋にしても、史跡を示すものは何も残っていません。歴史的な意義が何もないから当然と言えば当然なのでしょうけど、新選組ファンとしてはちょっと残念ではありますね。
参考文献 「史伝 土方歳三」 木村幸比古 別冊歴史読本「新選組を歩く」 新人物往来社
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