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2004.12.14

新選組!40の2

新選組! 第49回(最終回)「愛しき友よ」その2

ドラマで、勝海舟を訪ねていた土方ですが、これは史実にあるとおりです。勝海舟の日記に近藤が捕らえられた翌日の4月4日の記事として、「土方歳三来る。流山の顛末を言う。」とあるのがそれで、これは一般に土方が海舟に近藤救出を依頼しに行ったと言われますが、文字通り顛末を語っただけではないかとする説もあります。このとき、勝がどう対応したのかは謎で、ドラマのようにすげなく追い返したとする説もありますが、どうやら何らかの手紙は書いてやった様子です。島田魁の日記に「相馬(後に函館で新選組最後の隊長となった人)が大久保、勝、土方公の封書を持って板橋に行った。」とあり、また、その手紙を見たと思われる上田楠次がある幕臣に対して、「勝が土方に言い含めた事とは何か。」と問い質したという手紙が残っているそうです。ドラマで勝が土方に向かって「榎本の下に行ってやれ」と言っていたのは、この幕臣の手紙にある上田の言葉を下敷きにしているのですね。ただし、肝心の勝の手紙はどこにも残っておらず、何が書かれていたかは不明です。

一方、ドラマでは官軍から旧幕府へ近藤の身分を問い合わせて、目付から既に幕臣にあらずとの回答があったとされていましたが、私の知る限りではそのような事実は無かったようです。ただしありそうな事ではあり、もしかしたら私の知らない資料が存在するのかも知れません。近藤の処刑を強行に主張したのは土佐藩であり、薩摩藩は反対、長州藩は薩摩藩次第、わずかに鳥取藩だけが土佐藩に同調していたようです。しかし、その鳥取藩も後には薩摩藩に傾き、孤立した土佐藩は大総督宮にまでこの件を訴えて、ついに近藤の斬首という断を勝ち取ったのでした。

「近藤の志を継ぐ者は、必ずこの多摩から出てくる」

鹿之助の言った言葉は、後に多摩が自由民権運動の一大拠点となった事で、実証されたと言えそうです。徳川家のお膝元である事を誇りにしていた多摩地方では、薩長閥が牛耳る新政府に対する不信感が根強く残り、また新選組がそうであったように同志間のネットワークが発達していたことから、活動家が育つ下地が揃っていたのですね。薩長の行いを不正義と考えて戦った新選組の精神は、明治以後は人々の解放を願う活動に姿を変えて、脈々と受け継がれて行ったと言えるのかもしれません。

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