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2004.12.09

新選組!39の4

新選組! 第48回「流山」その4

学問に励めと言われて、近藤と別れを告げる周平。

実際には甲陽鎮撫隊が勝沼に行くより前に脱走した周平なのですが、このドラマでは上手く脱退の理由を作ってやりましたね。この場面の近藤は、確かに父親を好演していました。せっかく近藤周平と呼んで貰った周平ですが、彼は明治以後、断絶していた谷家の戸籍を復活させる事に奔走し、最後は谷正武として生涯を終えています。また、残念ながら学問で身を立てたという事もなく、大阪で巡査を勤めた後、山陽鉄道の職員となっています。女性とのトラブルも伝えられ、決して平坦な人生ではなかったようですね。

一人待つ有馬と共に、官軍の陣地へ向かう近藤。

流山での近藤の出頭については、浪士文久報国記事では、官軍が押し寄せたとき、味方が裏山へ兵を展開したのを本陣を囲まれたと勘違いした近藤が、もはやこれまでと切腹しそうになるのを土方が止めたとあります。土方は近藤に、「いまだ切腹するには早い。偽名を用いて歩兵頭取と偽り、現在のように歩兵が諸方に散乱しているのは恐れ多い事で、その歩兵達を呼び戻すつもりで当所に出張したものであると言えば、きっと申し開きが立つ。」と言って、近藤を説得したとあります。

また、新選組始末記には有馬藤太の回顧談が掲載されています。流山の近藤捕縛を命じられた有馬は、早朝に近藤の本陣を急襲し、これを包囲してしまいます。これに気が付いた近藤達は直ちに応戦しますが、すぐに抵抗を止め、近藤自身が使者として有馬の下へ訪れ、大久保大和と書いた名刺を差し出します。有馬は、このとき既に近藤の正体を見破っていたのですが、あえて知らないふりをしていたと言います。近藤は、官軍に向かって発砲した事を詫び、有馬が官軍の本営まで同行するようにと誘うと、後始末をしてから伺うと返事をして本陣に帰って行きました。ところが夕方になっても、武器は届いたものの肝心の近藤は現れず、有馬が再び流山の本陣を訪れると、まだ支度を終えていなかった近藤が、「お待たせしました。」と出て来ました。近藤は小姓二人に、ピストル、短刀などを与え、「拙者亡き後は、気を付けて禁廷様へご奉公を励めよ。」と告げ、有馬と共に官軍の本営へと向かったとあります。有馬はこの後板橋に居た伊知地参謀に宛てて手紙を出し、近藤を十分待遇してやって欲しい事、近藤の処置については全て有馬自身にまかせて欲しい事などを述べています。有馬は近藤の人物を買っており、これをなんとか死なせずに済ましたいと考えていたようです。

この項は、新人物往来社編「新選組銘々伝」、「新選組資料集」、文藝別冊「新撰組人物誌」、別冊歴史読本「新選組の謎」、「新選組を歩く」、歴史群像シリーズ「血誠 新撰組」、子母澤寛「新選組始末記」、木村幸比古「新選組日記」、「新選組全史」、「史伝 土方歳三」、永倉新八「新撰組顛末記」を参照しています。

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新選組」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。大作、お疲れ様です。

投稿: Yuseum | 2004.12.10 00:19

Yuseumさん、コメントありがとうございます。
これだけ長い記事を毎日読みに来て下さる方が居
るというのは、本当に有りがたい事ですね。この
ドラマは最初の一回だけではなく、何度も見直し
ていく内に深さが判っていくという本当に良く出
来たドラマだと思います。私もレビューを書くた
めに何度も見直しをするのですが、その都度各場
面に込められた意図に気付き、三谷演出の凄さを
再認識させられている次第です。ですから、手間
は掛かりますが、この記事を書いている時間は私
にとっては至福の時間でもあります。こんなに面
白いドラマを作ってくれた三谷幸喜に感謝ですね。

投稿: なおくん | 2004.12.10 00:46

こんばんは、毎回「新選組!」を見たあと、
ねこづらときが更新されるのを首を長くしながら待っています(笑)。

「新選組!」は、あくまで近藤が中心のドラマではありますが
他の隊士や、近藤をとりまく多くの人たちの人となりや、
その人生までが丁寧に描かれていて、なおくんさんのおっしゃるとおり
本当にさすが三谷演出だなあと感動します。

なんだかあっという間に最終回まで来てしまいましたね・・・。
毎回、これだけ濃厚で詳細な記事を書くのは大変でしょうけど、
いつもとても楽しみにしています。
多分、最終回は泣きそうな予感がしています(笑)。

投稿: しのぶ | 2004.12.10 01:53

しのぶさん、コメントありがとうこざいます。
もともと銘々伝が面白い新選組ではありますが、
ここまで丁寧に各隊士を描いたドラマは、多分始
めてじゃないでしょうか。
本当にこの一年間は早かったです。新選組!を心
待ちにしていた去年の今頃が懐かしいです。

投稿: なおくん | 2004.12.10 19:30

こんにちは。土スタで新選組!をやっていたのでTBしました。
あと、1回! 次はスマステ4だな。。

投稿: Yuseum | 2004.12.11 17:45

Yuseumさん、こんにちは。
今日の土スタは見逃してしまいました。録画しておくのでしたね。スマステ4の方は録画予約完了です。
それにしても、とうとう明日になってしまいました。本当に終わってしまうのですね...。

投稿: なおくん | 2004.12.11 18:45

本当にたくさんの話題を提供しながら、おまけに私に京都旅行までさせながら、とうとう今日で三谷新選組も最終回ですね。さびしいです。
ところで、なおくんさんに質問です。
その後の斉藤一についてなんですが、西南戦争に従軍したとか、巡査になったとか、剣道の師範になったとか、女子校の事務員になったとか、いろいろな説があります。その中には、明治になってから、東京女子高師(現お茶の水女子大学)の用務員をやっていたという興味深い情報もあります。本当はどうだったのでしょうか?教えてください。

投稿: 壮大な零 | 2004.12.12 18:57

壮大な零さん、こんにちは。最終回の斉藤一、なかなか格好良かったですね。彼は会津で負傷した土方に代わって新選組を率いて戦い、敗れた後も会津候から受けた恩義を重んじ、函館に向かう土方とは袂を分かって、そのまま会津にとどまりました。そして、会津藩士の娘を娶とり、後半生は会津人として生きています。その後は巡査となり、西南戦争に従軍したのはおっしゃるとおりです。また、ご質問にある東京女子師範学校にも勤めており、庶務兼会計係をしていました。その前は、東京教育博物館の看守を務めています。師範学校に勤めていたときは、生徒を自宅に下宿させたりもしていたようですね。これらの職歴は、会津藩の人脈に依るところが大きかったと言います。会津の人々にとっても、最後まで共に戦い、会津人となってくれた斉藤は大事な存在だったのでしょうね。ただ、剣術の師範になったという資料は、私の知る範囲では見あたりません。

投稿: なおくん | 2004.12.12 22:57

いつもながら、丁寧なご回答感謝です。
さて、斉藤一の「剣術の師範」についてなんですが、子母澤寛の「新選組遺聞」に出てきますので、以下引用します。
”斉藤は、後山口次郎と言い、藤田五郎などとも言って、明治43~4年頃は東京で高等師範学校の剣道の老師範として聞こえていたが・・・”
となっています。

投稿: 壮大な零 | 2004.12.20 20:59

壮大な零さん、コメントありがとうございます。「新選組遺聞」にこの記述は確かにありますね。失礼いたしました。ただ、ここに書かれているから直ちに事実と言えるかというとそうでもなく、関係者の証言等から東京女子師範学校庶務兼会計係を勤めた後退職したというところまでは確認出来るという事です。また、姪の残した証言に、親戚の男の子はみな斉藤に剣術を教わったとあり、もしかしたら師範のような事をしていたのかも知れません。ですから、高等師範学校の剣道の老師範になったというのは、ペンディングにしておくというのが正しいようでしょうね。これ以外に私の知らない資料をご存じの方がおられれば、御教示頂けたら幸いです。

投稿: なおくん | 2004.12.20 22:35

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