御陵衛士達の眠る丘
秋晴れの文化の日、御陵衛士達が眠る泉涌寺へ行ってきました。まず訪れたのが、彼らが守りに就くはずだった孝明天皇陵です。正確には、後月輪東山陵。幕末ぎりぎりになって復活した土葬の墓で、円丘が築かれています。御陵衛士達が居た頃にはまだ完成しておらず、彼らが実際にどのような仕事をしていたのかは不明です。ただ、孝明帝の法要はしばしば開かれていたらしく、本来の衛士としての活動もあったものと思われます。
次に、彼らが御陵衛士となるべく朝廷に働きかけたという湛念長老が居た、泉涌寺塔頭の戒光寺です。運慶・湛慶父子の作と言われる身の丈5.4メートル、光背と台座を含め約10メートルの釈迦如来像を本尊としており、この像があることから「丈六さん」の別称があります。首から上の病や悪しきことの身代わりになって下さる身代わり釈迦と言われており、重要文化財に指定されています。この寺は1228年(安貞2年)に創建されており、応仁の乱で焼けた後、一条戻橋からさらに現在地へと移ったとされています。泉涌寺には、山内で完結する泉山七福神巡りがあるのですが、ここには最澄作とされる弁財天像があり、いかなる願いも必ず成就させる融通尊と言われています。
そして、御陵衛士達の墓。左から、服部武雄、藤堂平助、伊東甲子太郎、毛内有之助の墓石です。この他、写真には写って居ませんが、佐原太郎、富山弥兵衛、清原清といった御陵衛士、そして守護職屋敷で果てた佐野七五三助、茨木司達の墓もここにあります。油小路事件の放送があってから間もない頃でしたので、多くの人が訪れているかと思っていたのですが、案に相違して我が家の他には誰も居ませんでした。ただ、墓地は綺麗に掃き清められ、花も供えてあった事から、ちゃんと世話をする人が今でも居る事が判ります。勿論、写真を撮る前に手を合わせて、冥福をお祈りした事は言うまでもありません。この墓所は、戒光寺からはずっと離れた泉涌寺の入り口である総門の手前の左側にあるので、訪れるときには注意が必要です。
慶応3年11月18日に起きた油小路事件に参戦した御陵衛士は、服部武雄、毛内有之助、藤堂平助、篠原泰之進、鈴木三樹三郎、富山弥兵衛、加納道之助の7人でした。このうち、服部、毛内、藤堂の3人が命を落とし、あとの4人は活路を開いて重囲を切り抜け、薩摩藩邸に投じて生き延びる事が出来ました。このとき襲撃を行った新選組隊士は、篠原の手記に依れば40人程度、事件後に朝廷が処分せよと迫った人数は23名と諸説があってはっきりませんが、襲撃隊を指揮していたのは、ドラマにあったとおり永倉と原田でした。彼らが藤堂を助けるようにと言い含められていたのも、ドラマにあったとおりです。ただし、その指示は近藤から受けたと永倉の手記にはあります。
戦いは、原田の発砲を合図に始まったと言います。御陵衛士では、まず服部が、「卑怯なる賊徒、発砲するとは。」と叫んで抜刀し、一人を倒したと言います。この服部に藤堂、毛内が加勢しますが、後の4人は戦闘の初期に離脱したと言われます。残った3人の内、最初に倒れたのが藤堂でした。これもドラマにあった様に永倉は藤堂を逃がそうとしたのですが、三浦常次郎という隊士が藤堂の背後から斬りかかり、反射的に猛然と反撃に出た藤堂は新選組隊士によって散々に切り立てられ、遂にその最期を迎えたとされます。
次いで倒されたのは毛内でした。彼は藤堂が倒されると、なぜか藤堂の方へ駆け寄ろうとし、そこを永倉に背中から斬り立てられます。さらに、西岡という隊士に斬りつけられて、これが致命傷となって倒されます。彼の死体は、その後、なぜか手足がばらばらにされていたと言います。
最期まで抵抗したのが、服部でした。彼は元々新選組でも一二を争うと言われたほどの剣客であっただけでなく、この日もただ一人鎖帷子を着て武装していました。彼は太刀のほか脇差も抜いて2刀を操りながら戦い、散々に新選組を苦しめたと言います。最後は出血と疲れで動きが鈍くなったところを、原田が槍で仕留めたと言われます。
彼らの遺体は、3日間も現地に放置されていました。逃げた御陵衛士達をさらに誘い出す策略だったと言いますが、やっと11月20日になって伊東と共に壬生の光縁寺に埋葬されました。しかし、翌慶応4年年3月13日に、元の同志達の手によって、彼らが守るはずだった孝明天皇陵にほど近いこの地に改葬されました。墓所は小高い丘の上にあり、彼らが活躍した京都の町を今も静かに見下ろしています。
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