新選組!37
新選組! 第46回「東へ」
冒頭、千両松の戦い。錦の御旗が上がったとたん、総崩れとなる幕府軍。実際にはもっと果敢に戦いを挑んだのは前回に書いたとおりですが、改めて逃げまどうだけのドラマの幕府軍を見ていると、これは違うよと言いたくなります。
兵を率いて戦闘を指揮していた佐々木に命中する銃弾。堪えきれずに倒れる佐々木。
佐々木が銃弾に倒れたのは、慶応4年1月6日のことで、京都の郊外八幡堤においてでした。前日、千両松で敗退した幕府軍は、淀城に入る事が出来なかったため、八幡、橋本まで下がってここを防衛拠点とします。このあたりは淀川が京都盆地から大阪平野へと流れ出るところで、左岸では男山、右岸では天王山が川に迫って隘路となっており、しかも淀川のすぐ下流の両岸、楠葉と高浜には砲台が築かれていて、大阪を防衛するにはうってつけの場所でした。この砲台は、本来、大阪湾から淀川を遡ってくるかもしれない外国船を攻撃するために築かれたものでしたが、この鳥羽伏見の戦いで初めて実戦に使用されたものです。八幡には桑名藩と大垣藩、橋本には新選組のほか会津藩、見廻組、遊撃隊が守備に就いていました。
戦いは朝の7時から始まり、新選組は橋本宿の入り口に胸壁を築いて押し寄せる薩摩軍を迎え撃ちます。このとき、別働隊として永倉と斉藤が一隊を指揮して、男山山中に入りました。戦いは一進一退を続けますが、正午頃、右岸の高浜砲台を守っていた藤堂藩が官軍の調略に乗って寝返り、砲口を対岸の幕府軍に向けて攻撃を始めます。不意に横様に砲撃を受けた幕府軍は浮き足立ち、戦線が崩壊する危機に見舞われますが、土方と原田の指揮によってかろうじてこれを支えます。また会津藩が対岸に渡って藤堂藩兵を追い散らした事から、幕府軍は体制の立て直しの余裕を得て再度攻勢に移ろうとします。このとき、佐々木は川を渡って笹藪に伏兵すると言って船の手配を始めたのですが、そこへ堤防の下へ回り込んだ薩摩兵が現れて大苦戦に陥ります。佐々木が撃たれたのはこの時でした。この薩摩兵の攻撃によって戦線は崩壊し、幕府軍は橋本陣屋まで後退を余儀なくされます。ところが、男山山中で戦っていた永倉と斉藤にはこの連絡が届きませんでした。異変を知った二人が橋本陣屋へ引き上げようとしたときには味方は一人もおらず、途中で敵に囲まれて危機に陥りますが、かろうじてこれを振り切り、橋本陣屋までたどり着いたのでした。総督の松平豊前守、竹中重固らによる軍議の結果、幕府記軍は橋本を放棄して大阪へ引き上げる事となり、ここに鳥羽伏見の戦いは終了します。
ドラマでは大勝利と浮かれていた大久保ですが、実際には官軍にはそれ以上の追撃を掛ける余力はなく、幕府軍の反撃に怯えていたのが実情でした。もしこのとき幕府軍が大挙して反撃に移っていれば、間違いなく勝利を収めていたものと思われます。ただし、長期的に見れば幕府方に勝ち目が無かったであろう事も、前回に書いたとおりです。
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