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2004.11.10

新選組!36の3

新選組! 第44回「局長襲撃」その3

薩摩藩邸。西郷と大久保が囲碁をしながら話をしています。自重論を説く近藤を排除するため、御陵衛士の残党を利用しようとする大久保。単純明快な新選組の近藤に比べて、なんとも老獪な薩摩藩の二人の策士です。

おたふくで、小判をぶちまけている原田。おまさのお腹の子を男の子と決めつけ、茂という名前まで付けて、この金で後頼むとおまさに告げます。

ドラマではまだ生まれて居ない茂ですが、実際にはこの前年に生まれています。新選組始末記によると、茂はその後他家に養子に行き、40歳まで生きたとあります。原田が最後におまさに会いに来たのは、慶応3年12月12日の事で、このとき2番目の子供がお腹の中に居ました。この日は新選組が京を去るという日であり、ドラマと違って大変慌ただしい夫婦の別れでした。原田は分配金として受け取った200両を持って会いに来たと言います。そして、ドラマのセリフと同じように、自分に万一の事があったら息子を頼むとまさに言い残しました。少し違うのは、立派な武士にし上げてくれと言ったという点で、彼はまだまだ武士の世の中が続くと信じて居たようですね。おまさが二人目の子供を産んだのはその5日後の事で、これはドラマの原田が言っていたように男の子でした。しかし、残念ながらわずか7日の命で、この世を去っています。おまさはその後も長命し、昭和4年には85歳で神戸に住んでおり、原田の逸話について語り残しています。

二条城。佐々木が先導し、慶喜以下、お供の者達が二条城を後にして、大阪へ向かいます。それを見送る近藤と島田。新選組という名に愛着を示し、他には居場所が無いと告げる島田。自分も同じだと答える近藤。誰もいなくなった二条城に、激しく粉雪が舞っています。

島田は、この後、旧幕府軍が敗れて函館で降伏するまで、新選組隊士であり続けます。その間、東照大権現と書いた大旗を腹に巻き付けて戦い抜き、降伏後は土方の戒名を書いた紙を終生肌身に付けて暮らしたと言います。そして、新政府からの出仕の誘いを断り続け、最後はかつて屯所があった西本願寺の警備員として生涯を閉じました。このドラマの下りは、そんな新選組に生涯を捧げた島田の生き様を暗示するような場面なのではないでしょうか。

同じ頃、粉雪の舞う近藤の別宅で、沖田が刀に見入っています。刀身に映る自分の顔を思い詰めた表情で見つめている沖田。そこに、斉藤がやってきます。朝鮮人参を差し出す斉藤ですが、どうやって使うものかは斉藤も知らない様です。帰ろうとする斉藤を呼び止め、斉藤の様になりたかったと語りかける沖田。自分の様にはなるなと言い捨てて去っていく斉藤。後に残された沖田は、とても寂しそうな表情をしていました。

沖田はかつて藤堂から沖田の様になりたかったと言われていましたが、沖田自身は斉藤のような仕事師になりたかったのですね。確かに、このドラマの沖田は、近藤、土方からは子供扱いにされ、八木家のひでに迷い、最後は病に倒れてこれと言った自分の主題を見つける事が出来なかったように描かれています。それからすれば、斉藤の様な生き方こそ、沖田の探していたものなのかも知れません。彼はつねづね、近藤や土方の為に生きたい、仕事がしたいと言ってましたからね。一方、斉藤にすれば自分の生き方に迷い始めた時に龍馬と出会い、彼からから人斬りと言われ、また岡田以蔵に似ていると言われた事を、ずっと引きずって居るのでしょうね。ですから、沖田から自分の様になりたいと言われても、面はゆいばかりだったのでしょう。

ところで、ずっと気になっていたのですが、このドラマでは斉藤は沖田よりも年上の様に描かれていますが、実際には沖田の方が一つ上でした。序列的にも一番隊長である沖田の方が上ですし、沖田が斉藤に敬語を使って話すという事は無かったと思われます。反対はあったかも判りませんけどね。ただ、このドラマの斉藤の雰囲気からすると、自然と敬語を使って話したくなる相手だったのかも知れませんが...。

廊下を渡ってお孝の部屋の前を通り掛かった斉藤。部屋の中では、お孝がお餅を焼いて食べています。そこへ、無言で斉藤がやってきて、隣へ座ったものですから、さすがのお孝も驚いて、飛び退きます。びっくりして斉藤を見つけているお孝に向かって斉藤は戸締まりを忘れず、逃げ道を作っておけとと言い捨てて去って行きます。お餅がのどにつかえたお孝は、お茶でやっとお餅を流し込み戸締まりしたら逃げ道がなくなると言ってと振り返りますが、斉藤の姿はとっくに無くなっていました。やり場のない怒りを感じるお孝。

二条城。水戸藩家老の大場が来ています。大場は近藤に向かって、「二条城の警護は、水戸藩に命じられている。」と言って立ち退きを迫ります。近藤は、我らも二条城をお守りせよと、命ぜられていると言い返しますが、大場は新選組が居ると軍の志気に係わると思わぬ答えを返してきます。どういう事かと聞き返す近藤に、大場は、新選組はどれだけ、京の町を血で汚した。その振る舞いが、薩長の恨みを買い、徳川を追いつめた。我らにとっては、獅子身中の虫同然と居丈高に言い放ちます。判ったなら、さっさとゆけ!と高飛車に言って廊下を歩き掛けた大場の前に、土方と井上が立ちはだかります。思わず、庭を見た大場の目先に、ずらりと並んだ新選組隊士達の姿がありました。そこへやってきた近藤。大場を睨み付けながら、静かに、しかし、力強く話し始めます。我らは、徳川家の為に、常に命を張って来た。何人もの浪士を斬ったか知れないが、その分我らの仲間も死んでいる、そう叫ぶ近藤の言葉を、全ての新選組隊士が聞いています。隊の規律を守る為に、隊士を死なせた事もあった。全ては、徳川家の為である。あなたは、そうして死んだ全ての者達を愚弄した。我らが命がけで戦っていた間に、あなた達は、何をしていた!徳川家の為に、一度でも命を賭けた事があるのか!、そう近藤に一喝され、扇子を落としてその場にへたり込む大場。近藤は、その大場を冷ややかに見下ろして、退去を命ずる近藤。

二条城の警備を巡って水戸藩と対立した事は、史実にもあります。新選組は老中の板倉候から命じられたの対し、水戸藩は慶喜から直接命じられた結果起こった事態のようです。その際、新選組と水戸藩との間にどういうやり取りが合ったのかは判りません。「浪士文久報国記事」には、最初新選組が二条城の警備を任されていたところ、大阪に下るようにとの命じられたため、水戸藩に後の警備を頼んで城を後にしたとあり、特に大きくもめたとは書かれていません。ですから、このドラマの下りは、おそらくは創作でしょうね。ただ、この二条城に入った水戸藩士達は、芹沢と係わりがあったとされる本国寺党だったと言われますから、もしかすると新選組に含むところがあったかも知れません。

大場が近藤に言った事は、当時の幕臣の間でそう思っていたものが多かったでしょうし、その後の新選組に対する評価そのものと言えます。これに対する近藤の反論は、もし近藤にそうした批判勢力に対してものを言う機会が与えられたとすればきっと言ったと思われる言葉であり、ひいては新選組ファンの積年の思いを代弁してくれたものでもあります。確かに、新選組の歴史は血塗られたものであり、それが幕府にとってマイナスに作用したという側面は否めません。しかし、彼らにすれば、正当な警察活動として、京都の秩序を乱し、幕府を危うくする勢力と戦い続けた結果でした。何の役にも立たない旗本達に代わって、懸命に正義と信じて働いた彼らが一切評価されず、いたずらに殺戮集団として貶められてきた鬱懐を、近藤の言葉は晴らしてくれたのです。よくぞ言ってくれたと言いたいですね。

ただ、水戸藩が何もしなかったと言われたのは、気の毒な気がしますね。水戸藩は、幕末の動乱に火を付けた存在であり、新選組結成当時は天狗党の乱が起きて大変な混乱に陥っていました。その後は、党派が分裂して抗争を繰り返し、藩としての目立った働きは出来なくなっていましたが、少なくとも何もしなかったという藩ではありません。幕府にとって敵か味方かと言うと、微妙なところがありますけどね。ドラマの設定上、近藤にやり込められる役回りになったのは、ちょっと可愛そうな気がします。

なお、ドラマではいきなり伏見へ向かっていますが、実際には一度大阪へ下がっています。そこで改めて伏見警護を命じられ、伏見奉行所へ入ったのでした。

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