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2004.11.01

新選組!35

新選組! 第43回「決戦、油小路」

冒頭、龍馬暗殺シーンの再現。龍馬の暗殺によって、時代は武力討幕に向けて動き始めていました。そのうねりの中で、その裏には波に乗りきれない男達の悲劇がありました。岩倉卿を前に集まっている勤王の志士たち。彼らに向かって、岩倉卿が演説をしています。「慶喜が、政権返上して、我らを出し抜いたつもりでおるんやったら、今度は、わしらが慶喜を出し抜く番や。大久保君。」「政権を、返すちいう事は、これまでの失政を認めたちう事。よって、徳川慶喜は、この際、その一切の官職を辞し、領地を返上すべきである。そいに従わん場合は、逆賊として、徳川を討つべし。」大久保の提案に、口々に賛意を示す志士たち。その中で、伊東だけが違う反応を示しました。末席から背を伸ばし、おもむろに声を上げる伊東。「今、日本がなすべきは、富国強兵であります。国を富まし兵力を蓄える。その為には、進んで外国と貿易を行う事が肝要と心得ます。」と彼の持論である大開国策を開陳する伊東ですが、その声は志士たちの雑然とした声に紛れて、ほとんど聞き取れません。その様子を、伊東の背後から気遣わしげに見ている藤堂。あまりに騒然とした様子に、岩倉は「こらっ!一編にしゃべんな!うるそうてかなわん。」と一喝して皆を黙らせ、「よっしゃ、順番に聞いて行こうかいな。」と改めて議事を進行させます。一転して、何も言わなくなる志士たちの中で伊東が立ち上がり、「どうか、私に発言の機会をお与え下さい!」と叫びます。一斉にうさんくさそうに振り返る志士たち。その視線の中で、「御陵衛士、伊東甲子太郎であります。私の唱える大開国策を、是非、岩倉卿にもお聞き頂きたく、参上いたしました。」と堂々と岩倉に向かって演説を始める伊東とそれを頼もしげに見上げる藤堂ですが、当の岩倉は大久保に向かって、「あれは、何者や。」と聞いています。岩倉は以前に伊東と会ったのを覚えていないのでしょうか。岩倉に「新選組におったもんごわす。」と答える大久保。そのやりとりが聞こえていない伊東は、「今、日本がなすべきは、国を富まし、」とさらに声を励まして演説を続けようとしますが、突然岩倉が手を叩いて、伊東をさえぎります。「あんたの話はええ。」と岩倉に言われて、「は?」と絶句する伊東。その伊東に向かって「新選組におったくせに、なんやあ。」と吐き捨てる様に言う岩倉に、微笑みながら「今は離れております。そもそも、この伊東甲子太郎、尊皇の思い強く、」と抗弁を試みる伊東ですが、「ああ、徳川の手先やったもんの話なんか、聞きとうない!」と手酷くやり込められて、言葉を失ってしまいます。さらに続けて「あんたなあ、ここにおられるだけでも、ありがたいと思え。名は、なんやったかいな。」と居丈高に迫ってくる岩倉に、伊東は精一杯の笑みを浮かべて「伊東でごさいます。」と答えますが、岩倉は「ああ?」「伊東。」「後藤?」となんとも意地悪く応対し、それを聞いていた志士たちからも失笑が漏れます。「伊東でございます。」と最後に声を励まして言う伊東ですが、「どっちでもよろしい!隅に控えておれ。」と岩倉にやり込められ、呆然と座り込んでしまいます。その様子を藤堂が痛ましげに見ています。「さあ、皆の意見をきかしてくれ。」と改めて発言を促す岩倉。

大久保が言っていた慶喜に対する官位と領地の返上は「辞官納地」と言って、この暫く後に御所で行われた「小御所会議」の中で提案されたものでした。大政奉還後の政局は、実は慶喜の思う方向へと進んでいました。幕府は依然として統治権を握り、また朝廷にも当事者能力はなく、何をするにしてもいちいち慶喜に意見を聞かなければ事態が進まないという状況が続いていたのです。このまま行けば、再び徳川家を中心にした政権ができあがってしまうと焦った薩長は軍事クーデターを仕掛けます。彼らは、まず薩長に同調する諸藩の兵力を動員して御所の周りを封鎖し、主立った勤王方の公卿を中心に朝議を開きます。そして、実質的に統治権を握る慶喜は意図的に排除されたまま、幕府を廃して天皇中心の政治を行うという「王政復古の大号令」が宣言されました。そしてその日の夜に薩摩、土佐、福井、芸州、尾張の代表を集めて小御所において開かれた会議において、慶喜に対して「辞官納地」を求める事が決められたのでした。まさしく陰謀と言うべき企てでしたが、このときこの会議に反対したのは、土佐の山内容堂ただ一人でした。その容堂も、岩倉に巧みに言葉尻を掴まれて沈黙を余儀なくされ、後は岩倉と大久保によって全てが決められて行ったのでした。

次に、伊東がこの席上でことさら発言を求めたのは、この席上で慶喜を排除しようという決議が行われようとした事に対して、新政府へ慶喜を参政させようと考えていた伊東が危機感を覚えたからでしょうね。富国強兵策を前面に押し出す事で、徳川家に対する処分を後回しにしようという意図があったのでしょう。伊東が討幕派から相手にされなかった理由のひとつは、ここにあったと思われます。

さらに、なんとも嫌みな岩倉の態度ですが、彼は元々は公武合体派の公卿でした。その意味から行けば新選組とは同じ路線を歩んだ人なのですが、このときはその手腕を買われて薩長に担ぎ出され、勤王方に収まっていました。脛に傷を持つ身としては、いまさら元新選組で、しかも公武合体派に近い思想を持つ伊東と係わりを持っていた事は、仲間に知られたく無かったのかも知れません。そのために、ことさら伊東を虐めて見せて、自らの潔白を証明しようとしたように思えます。

新選組の屯所。幹部会議が開かれています。「土佐の連中は、俺たちが坂本を斬ったと思っている。」という土方の報告に、「馬鹿な!」と驚く近藤。さらに土方が「一緒に斬られた中岡慎太郎が、賊の一人は四国なまりだったと言っているんだ。」と説明をするのを聞いて、「あいつ、生きてたんだ。」と意外そうに驚く原田ですが、「結局は、助からないって、話だ。」と聞かされて、納得したように頷いています。彼にしてみれば、あれだけ斬られていて生きているというのが、信じられなかったのでしょうね。井上が「中岡は、賊の言葉を聞いているのですか。」と聞くのに、「こなくそ、と叫んだそうだ。向うでは、こんちきしょうという意味らしい。」と答える土方。さらに「京に居る幕府方で、四国生まれの遣い手と言えば、佐之助、まずお前だ。」と土方に言われて、「うえっ?」と驚く原田。「言ったっけ?」と原田は永倉に聞きますが、「普段はなまってないくせに、どうしてそういう時だけなまるんだ。」と返って非難されてしまいます。「ぽろっと、出ちゃったんだよ、こなくそ!」と言って、「あっ、また、出た~。」としゅんとなる原田。それを聞いて、呆れたように「それて新選組が疑われているのか。」と言う井上に、「まずい事、言っちゃったな。」と原田も元気がありません。

京の町。捨助が土佐の志士達に追われています。「ちょっと、待ってくれよ!」とわめく捨助に、「問答無用ぜよ!坂本先生の仇じゃ!」と刀を抜いて斬りかかる志士達。手当たり次第に物を投げて抵抗する捨助。どうやら、かろうじて死地は脱した様子です。どこからか、捨助が龍馬の居場所を探っていた事が漏れたようですね。一番考えられるのは、藤堂から聞いた御陵衛士の線でしょうか。

新選組屯所。捨助が土方と会っています。「お前を匿う訳にはいかん。」と冷たく言い放つ土方に、「なんだよ~。」と抗議する捨助。「お前が坂本の事を知らせに来たおかげでな、新選組が疑われてんだ。」と土方は怒っている様子です。「もう行くところが無いんだよ~。」と泣きつく捨助に、土方は懐から金の包みを鶏出して放り投げ、「多摩に帰れ。」と突き放すように言います。それを聞いた捨助は、むっとして、金の包みを土方の方に押し返します。それを見て、土方は「いい加減、京をうろうろするのは止めろ!」と怒鳴りつけますが、捨助は、「うるせえ~!俺はなあ、偉くなってお前らを見返すって、決めたんだ!あぶねえ、あぶねえ、もう少しでお前に縋るところだった。」と言い返して去っていきます。後に残って、ほとほと困ったというふうに、ため息をついている土方。それにしても、とことん居場所を失った捨助は、この後京でどうやって生きていくつもりなんでしょうね。

薩摩藩邸。伊東が大久保と会っています。大久保が読んでいるのは、伊東が書いた「大開国策」です。「おたくの唱える、大開国策、いたく、感じ入りもうした。」と大久保に言われて、「ありがとうございます。」と勢い込んで礼を言う伊東。さらに、「こん建白書は、かならず岩倉卿にお見せしもんで。ご安心、願いたか。」という言葉を聞いて、伊東は心底ありがたいという表情を見せます。実際、大開国策については、薩摩の吉井幸輔は、「一々、もっとも至極同論の事」と言って、これを評価していました。それほど当時においては、一定以上の水準を持った意見だったと見る事が出来そうです。しかし、大久保は続けて、「まずかっとは、おはんが新選組におったちゅう事でごわす。」と言い出します。これを聞いた伊東は、「お待ち下さい、私は、」と言いかけますが、それをさえぎる様に大久保は、「坂本君も殺されてしもうた今、土佐の連中も、新選組を目の敵にしちゅう。ここで、おはんの力を借りるとすっと、必ず不服なもんが出てくる。」とその理由を説明します。それを聞いて、動揺が隠せない様子の伊東。それを見透かしたように大久保は、「じっゃどん、手はある。」と言い出します。それに縋るように、「伺いましょう。」と大久保を仰ぎ見る伊東。大久保は、伊東の前に座り込み、その目を覗き込む様にして、「近藤勇を、斬ってたもんせ。」と声を低めてささやきます。そう言われて、思わず目を瞠る伊東。「新選組は、京における幕府の屋台骨。近藤が死ねば、我らの仕事もやりやすくなります。こいを機に、大いに名を上げたらどげんな。」大久保の言葉に伊東の心は大いに揺れている様子です。

伊東達御陵衛士は、実際にも薩摩の庇護を受けていました。その資金援助は例えば食料だけで800文、これは当時の東海道本陣の最高の宿泊料が250文だった事を考えると、相当な贅沢だったと言われます。これだけ手厚い庇護を受けていた御陵衛士でしたが、それでも大久保は完全には彼らを信用していなかったと言われます。また、伊東にしても、疑われてもやむを得ない一面がありました。例えば、土佐の陸援隊が討幕の動きを持っているという情報が新選組から会津藩にもたらされたとき、たまたま同席していた伊東がこれを認めたという話が残っています。つまり、伊東は新選組から分派する際に交わした「新選組を外部から支援するという約束」を履行していた事になり、勤王方にすれば御陵衛士を新選組の片割れとみなし、信用出来ないと感じるのは無理無からぬところもあったようです。

以下、明日に続きます。

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コメント

こんにちは。この回、岩倉具視はイヤなやつでしたねー。
以前から胡散臭い公卿だなとは思いつつ、これも人間味かなと思っていましたが、そろそろ許せなくなってきました。

きのうから新札が発行されて思い出したのですが、どうしてむかしこんなイヤなやつを五百円札の肖像にしたのでしょうね。

投稿: yoshi | 2004.11.02 11:34

yoshiさん、コメントありがとうございます。
ほんとに岩倉卿ってやなヤツですよね。史実でも希代の陰謀家
と言われてますから、こんな雰囲気だったのかも知れません。
ただ、これも新選組側から見ているから腹が立つ訳で、薩摩側
から見れば、これほど頼りになる人は居なかったという事にな
ります。維新政府にとっては、回天の偉業を支えた恩人なので
すよね。500円札の顔になったのは、そういう理由からだと
思います。人の評価というのは、つくづく難しいものですね。

投稿: なおくん | 2004.11.02 18:03

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