新選組!34その4
新選組! 第42回「龍馬暗殺」その4
伊東甲子太郎が言っていた「大開国策」というのは、大政奉還後に伊東が議奏柳原光愛を通して朝廷に提出した建白書の事で、全部で32カ条からなります。龍馬の「船中八策」などに比べればあまり有名ではないのですが、伊東という人物が何を考えていたのかを知るためには非常に重要な内容を持っています。「大開国」とは、外国の圧力による開国ではなく、国益を考えた積極的な開国という意味であり、建白書の内容を要約すれば、大開国を見据えた上での富国強兵策を進めるべきであるとして、朝廷を中心とした国内一致による新体制作りが急務であると主張しています。また伊東は幕府の参政も視野に入れていたようで、薩長の討幕路線とは相容れない側面を持っていたようですね。これは、伊東が水戸学派の影響を強く受けていたことから、その敬幕思想を反映していると見る事が出来るようです。根底にあるものは違うと思われますが、表面的な形としては龍馬の思想と似た部分があり、伊東が龍馬に接近しようとした理由はこのあたりにあるのかも知れません。
ドラマに戻って、斉藤が出て行った後、佐々木達がなおも見張っていると、一丁の籠が近江屋の前にやってきます。中から出て来た人物を見て、見廻組隊士が「板倉槐堂です。土佐の連中に何かと力を貸している男です。」と佐々木に説明します。
板倉槐堂は、今ではほとんど知る人もいませんが、幕末に活躍した志士の一人です。近江の出身で、本姓を「下坂」といい、京都に出て醍醐家に仕えて従六位下・板倉筑前介に任じられました。勤王活動に従事し、京に出入りする志士たちから慈父のごとく敬慕されたと言います。後に淡海槐堂と称し、維新後は一時新政府に仕えますが、その方針と相容れないところがあったらしく直ぐに辞職し、悠々自適の生活に入りました。後世にその名があまり伝わっていないのは、このあたりに原因があったのでしょうか。明治12年まで生きて、58歳で亡くなっています。
新選組屯所。病室で寝ている沖田を、孝庵が難しい顔で診察しています。別室で集まっている幹部の面々。「労咳...。」と力無くつぶやく井上。「総司の望みで、みんなに隠していた。すまん。」と近藤。「しかし、なんで総司が。」と悔しそうな井上を受けて、「実は、池田屋の時にも一度血を吐いている。」と打ち明ける永倉。「総司に頼まれて、みんなには黙ってたんだけど。」と言い訳をするように言う原田。「あのころから、もう悪かったんですか。」と井上に聞かれて、「ゆっくり養生しろと医者から言われたらしいが、それ以来、総司のやつは、むしろ無理を重ねるようになった。」と答える近藤。「俺はもうてっきり元気になったと思っていたんだけどさ。」「私もだ。」と口々に語る原田と永倉。そこへ障子を荒々しく開けて、孝庵が入ってきます。孝庵は、厳しい顔で近藤を指さし、「あれ程言うたのに。医者の言う事を聞かんからか!」と怒鳴りつけます。そう非難されても、何も答えられない近藤。「私のせいだ。」とつぶやく周平を抱きしめてやる島田。「なあ、死んじまうのか。」と原田が考庵に聞きますが、「先の事は判らん。」と言われて、原田はむっとした様子です。「治してもらわんと困る!」と今度は永倉が孝庵に迫りますが、「それは、沖田に言え。」と返されます。続けて孝庵は近藤に向かって、「これからは、本人が何と言おうと、無理はさせるな。半年、半年は、布団の上で暮らしてもらう。えへん!」と言い捨てて、孝庵は部屋を出て行きます。その後を追って、見送りに出る井上。黙って、うなだれている近藤。そこへ土方がやってきて、「ちょっといいか。」と近藤を呼び出します。
屯所の玄関。待っていたのは、捨助でした。「なんだって。捨助、それは間違いないのか。」と驚いた様子の近藤。「今頃佐々木達は、近江屋に向かっているはずだ。直ぐに行った方が良い。」と捨助。「捨助、良く知らせて呉れた。」と近藤に言われて「初めて、勝っちゃんに褒められたよ。」と、嬉しそうに笑う捨助です。やっぱり捨助は近藤が好きだったんですね。土方に、「どうする?」と聞かれた近藤は、「すぐに俺たちも行こう。」と答えます。しかし、土方が「見廻組の野郎に、手柄を独り占めされちゃたまんねえからな。」と言ったのを聞いて、「ちょっと待ってくれよ。そういう事じゃ無いんだよ。坂本を助けてやって欲しいんだ。」と捨助がさえぎり、近藤も「捨助の言うとおりだ。俺たちも、坂本さんを救いに行くんだ。」とそれに続けます。そう二人に言われて、「何、言ってんだ。」と訳が判らない様子の土方。「あの人は、今、この国になくてはならないお人だ。」と言い出す近藤に、土方は「正気なのか。」と聞き返します。さらに、「坂本さんを、ここで死なせてはならん。」と続ける近藤に、「おかしいだろ、新選組が坂本龍馬を救うなんて。」と反発する土方ですが、それを受けて、「何が悪い。」と言い返す近藤と、「何が悪い。」と繰り返す捨助。こうまで言われて、「どうかしてるぞ、お前ら。」と土方はあきれかえってしまいます。
このあたり、土方は近藤から永井から指令があった事を聞いていなかったようですね。近藤も、永井に内々にと言われて、土方にも話していなかったのでしょうか。ちょっとおかしい気がしないでもないですが、それ以上に何で捨助は近藤のところに助けを求めに来たのでしょうね。あっちこっちで裏切られ、最後には近藤しか頼るものが居なかったとしても、常識的に考えれば新選組は龍馬の敵のはずですし、永井の指令を捨助が知るはずも無いのですから。助けを求めるとすれば、土佐藩邸だと思うのですが...。
それはともかく、ここのやり取りは、このドラマの開始直後に受けた「近藤と龍馬が一緒に居るのはおかしい。」という批判に対する三谷幸喜なりの回答なのでしょうね。確かにこのドラマの流れをずっと見てくると、近藤と龍馬が友達であっても不自然では無いように思えて来ます。それどころか、この設定によって物語に膨らみを持たせる事が出来たとすら言えそうですね。無論、史実とは全く異なりますが、これは歴史を再現した記録映画では無くあくまでドラマですから、こういう設定もありかなと思います。なお史実では、近藤は龍馬が殺されたと聞いたとき、その実行犯について、「剛強で知られた坂本を殺るとは、なかなかの腕の人物だ。」と褒めたと言います。
屯所の一室で手持ちぶさたに座っている永倉と、寝ころんでいる原田。そこへ、障子を開けて土方が入ってきます。「直ぐに、近江屋へ言ってくれ。」「なんで、また。」「局長が、坂本龍馬を助けたいんだそうだ。」と言いながら、不服な様子がありありと見える土方。「ああっ!」と驚く原田と、「しかし、坂本龍馬と言えば、お尋ね者ではないか。」と聞き返す永倉。これに「今、坂本が死ねば、戦になるって話だ。喜ぶのは、薩摩だけらしい。」と土方が説明するのを聞いて、「判かんないけど、判った、急ごう。」といかにも彼らしくすぐに行動に移る原田。土方は、重ねて「新選組だって事がばれると、事が大きくなる。これはあくまで、お前等が勝手に動いたって事にさせてくれ。隊服も着るな。」と言い渡します。ある意味、万が一の時は、新選組はこの二人の行動には一切関わりないとして見捨てると言っているのに等しい過酷な命令なのですが、永倉と原田は委細構わず、「承知。」「まかしといて。」と言って引き受けます。
土方が二人に命令している間に、出て行こうとする近藤。それを土方が、「局長!ちょっと待ってくれ。」と引き止めます。「すまんが、止めても無駄だ。俺は行く。」「行っては困る。」「坂本さんを死なせる訳にはいかん。」「だから、永倉と原田に頼んだ。いくら何でも、近藤勇が坂本龍馬を助けに行っちゃまずいだろう。後は、やつらにまかせろ。」そう言われて、ようやく思いとどまった近藤。
ここのやりとりも、もしかしたら、例の批判に対するパロディなのでしょうか。いくらなんでも、そこまではやらないよという...。ちょっと、考え過ぎでしょうか。
近江屋。龍馬が板倉と会っています。龍馬の前には、白梅の絵が置かれています。「ほーう、なかなかええじゃいか、のう。」と感心しながら、中岡に同意を求める龍馬。「槐堂先生は、絵もお描きになるがですね。」とお愛想を言う中岡に、「いや、ほんの、手慰みで。」と謙遜する板倉。しかし、龍馬は「ところで、これは、何の花ですろ?」とすっとぼけた事を聞いてしまいます。
板倉槐堂が、暗殺のあった日に龍馬を訪ねたというのは、史実にあるとおりです。板倉の実弟が書き残した「淡海槐堂先生略伝」という資料があるのですが、そこには、「龍馬と中岡を訪ねて雑談に興じた後、深夜に至ったので家に帰った。その直後、龍馬達が殺害された。先生は、幸いにして難を逃れた。」と書かれています。また、その家伝として、「暗殺のあった夜、槐堂は自作の白梅の絵を贈り、龍馬は喜んでこれを床の間に掛けた。」とあるそうです。
それにしてもこのドラマは、近藤と龍馬が友達だというような大胆な設定をするかと思えば、こんな誰も知らない様な細かい史実を取り入れて来るのですから、奥が深いという言うべきだかなんだか、良く判らなくなって来ますね。
近江屋を出てきた板倉を見て、「まだもう一人残っております。」とつぶやく見廻組隊士。「これでは、いくら待ってもきりが無い。」と佐々木は言って立ち上がり、「坂本は、才谷梅太郎と名乗っている。才谷先生と呼んで、返事をした方が坂本だ。」と行って、近江屋に向かいます。
再び、近江屋の室内。龍馬が板倉から貰った掛け軸を、床の間に飾っています。「ほーう。なんか、腹減ったにゃあー。鍋でも食うかえ。」「おっ、ええのう。」「おう、峰吉。」「へい、何でございましょう。」「すまんけんど、軍鶏買うて来てくれんかえ。」「へい。」
このあたりも、ほぼ史実どおりですね。ただ、史実では、この場に土佐藩の下横目である岡本健三郎も同席していました。岡本は、軍鶏を買いに行く峰吉と一緒に外へ出て、難を逃れています。また、この他に当夜龍馬を訪れた人物として、海援隊士の宮地彦三郎が居ます。彼は大阪から戻ってきたときに龍馬にあいさつをする為に近江屋へ寄ったのでした。彼は、上へ上がれと言う龍馬の薦めを「一度下宿へ帰ってから、また来ます。」と言って断わり、近江屋を後にしたのですが、その直後に刺客が現れたのでした。ドラマでは次から次へと客が訪れていましたが、実際にも伊東こそ来ていませんが、当夜は沢山の来客があったようです。だからこそ、刺客に対してもつい無警戒になってしまったのかも知れません。
部屋を出て、階段を下りていく佐々木達。外へ出ると、丁度峰吉が軍鶏を買いに出た所でした。その後ろ姿を見送って、近江屋の玄関に向かう佐々木達。2階では、龍馬が寝ころんで中岡と話をしています。「軍鶏鍋は、この季節、たまらんぜよ。」「おんしは、鶏は嫌いがじゃなかったがや。」「そんな事、ないぜよ。大好物じゃき。皮が苦手なだけじゃき。」「あの、皮が美味いがじゃなかい。」「やめちゃあ。あのぶつぶつ見ちゅうだけで、わしはもう、食いとうのうなるき。」他愛の無い話に興じている二人は、すっかりくつろいでいる様子で、側に刀も置いていません。そのころ、階下では、佐々木が下僕の籐吉に「信州松代 山村兵庫」と書いた名刺を差し出していました。「松代藩の者でござる。坂本先生に、是非ご面会をお願いしたい。」と佐々木に言われた籐吉は、「かしこまりました。少々お待ち下さいませ。」と言って名刺を返し、取り次ぎの為に二階へのぼって行きます。その背後から、刀を抜いた佐々木が迫り、背中から一突きで籐吉を倒してしまいます。
このとき佐々木が出した松代藩という名刺ですが、後に今井信郎という見廻組隊士が龍馬暗殺についての取り調べを受けたときに、「佐々木が松代藩とか認めたる偽名の名刺を差し出した。」と証言しているところから来ているのですね。これが土佐藩側の資料では、十津川郷士と名乗ったとあり、どちらが正しいのか意見が分かれているところです。ただ、松代藩士と龍馬に接点があるとは思えず、勤王の活動家が多かった十津川郷士と名乗った方が信用されやすく、騙すのには丁度良かったのではないかと思えるのですが、どんなものでしょうか。
上を見ながら階段を登っていく佐々木。部屋の中から格子越しに、血糊のついた不気味な刀が見えています。龍馬と中岡の会話はまだ続いていました。「しかし、皮を食べんと、よう鶏好きと言えるの。」「ほんなら、おんしは、みかんの皮、食うかえ。栗は皮ごと食うかえ。どういて、鶏の皮だけ食わんといかんがぜよ。」二人が話している間にも、血刀は、徐々に近づいてきます。「そんなは、理屈にならんき。」「どうしてぜよ。皮いうもんは、捨てるもんと、元来相場が決まってるちゅうがじゃき。」「しかし、大の大人が、こんまい事で騒いで、あほらしいのう。」「わしは、こんな馬鹿話だけして、一生送りたいぜよ。」そう言った龍馬の背後の襖が、わずかに開きました。その隙間から、佐々木が中を覗いています。「才谷先生。お久しぶりでございます。」そう声を掛けられた龍馬は置きあがりながら、「なんじゃ。」と答えます。そのとたん、勢いよく襖が開けられ、佐々木が飛び込みざま龍馬に斬りかかります。とっさにピストルを構えた龍馬でしたが、あっというまに叩き落とされてしまいます。龍馬の横から、他の刺客に飛びかかっていった中岡も、たちどころに斬られてしまいます。龍馬は体をひねって、床の間に置いてある刀を撮ろうとしますが、その背後からさらに一太刀斬られてしまいます。のけぞりながらも刀を取った龍馬は、振り向きざま鞘ごと佐々木の三の太刀を受けますが、佐々木の力はすさまじく、両手で支える龍馬の刀を押し切って、そのまま龍馬の頭を切りつけます。そのとたん、白梅の掛け軸に飛び散る血痕。仰向けに倒れる龍馬。中岡も、さんざんに斬りつけられている様子です。返り血を浴びながら龍馬を見下ろしていた佐々木は、無言のまま部屋を出て行きます。それに従う、他の刺客達。後に残された、部屋の中で倒れている龍馬と中岡。口から血を出しながら、「どこを、やられた。」と龍馬に声を掛ける中岡。「わしゃ、頭をやられたき。こりゃ、いかん。」と答える龍馬は、無惨にも額に傷を受けています。そこへ駆けつけてきた永倉と原田。部屋の中の様子を見た原田は「こなくそ!」と叫びますが、永倉はそれを制して、「我らが疑われる。行くぞ。」と言って、原田と共に引き上げていきます。その様子を聞いていた中岡が、わずかに顔を上げます。龍馬は、顔を横に向けて、床の間の地球儀とその向うの掛け軸を見ていました。地球儀は丁度日本が描かれている部分が見えています。だんだんとぼやけていく視界。やがて、龍馬は息を引き取りました。享年33歳。奇しくもこの日は龍馬の誕生日でもありました。
新選組の屯所。永倉と原田が近藤の前に跪いています。彼らから事の顛末を聞いたのでしょう、近藤は無言で振り向き、かかり火を見つめています。夜空に流れる流れ星がひとつ。それを見ながら涙をこらえている近藤は、とても悲しそうでした。
龍馬の暗殺については、このドラマのように見廻組が実行したという説が通説になっています。これはまず、上にも書いた元見廻組隊士の今井信郎が、明治になってから兵部省の取り調べに対して行った証言が元になっています。それによれば、今井は佐々木から、伏見奉行所の捕り方二人を射殺した坂本が土佐藩邸の向かいの町屋に居るので捕縛せよ、手に余れば討ち取っても構わない、と命じられたとあります。当夜今井と行動を共にしたのは、佐々木のほか桂早之助、渡辺篤、高橋安次郎、桜井大三郎、土肥仲蔵の計7人でした。近江屋の2階に上がったのは、渡辺、桂、高橋の三人で、佐々木は2階の入り口にあり、今井ほか2名は階下で近江屋の家人が騒がないように取り鎮めに当っていたと言います。暫くすると2階の部屋に入って行った3人が降りてきて、龍馬達は手に余ったため討ち取り、他の者は斬りつけたが生死は判らないと言い、佐々木の指図でそのまま近江屋を後にしたとあります。さらにこの今井は、後に「近畿評論」という雑誌の取材に答えて、龍馬を斬ったのは自分だとして、その惨殺の様子を詳しく述べています。これとは別に今井と親交があったという新選組隊士の結城無二三が子孫に語り残したという話でも、今井が実行犯であるとしています。
また、この今井の証言に出てくる渡辺の家に伝わる「渡辺家由来歴代系図履歴書」には、渡辺が佐々木の命令で近江屋に赴いて龍馬を斬ったと書かれています。そして、当夜軍鶏を買いに出た峰吉の証言の中に、近江屋の人から聞いた話として、「佐々木見廻組頭の声で、この場合何か申し置く事があらば承ろうと言うのと、坂本さんの声で言い残す事は沢山にあるが、しかし汝等に言うべき事は毫もない、思う存分殺せ。と言う声が聞こえました。」とあります。
この様に、見廻組が実行犯であるとする証拠は複数存在し、これらから見廻組犯行説はほぼ間違いの無いところと考えられています。
これに対して、龍馬暗殺の直後には、まず新選組が疑われていました。これは、事件後数日はまだ息があった中岡が残した証言に、犯人は「こなくそ。」と言ったとあり、これは伊予の方言である事から、松山出身の原田が疑われたのでした。このほか、現場に残されていた刀の鞘が原田のものと似ていると言ったという伊東の証言、現場に残されていた下駄が、新選組が出入りする料亭のものだったという事も、その証拠とされています。しかし、その後の研究で当夜の近藤にはアリバイがある事が判っており、また、下駄にしても新選組の行く料亭とはまた別の店のものだった事が判明したため、現在ではこの説は否定されています。
このほか、伊東甲子太郎も実行犯の一人として名前が挙がっています。もっとも、彼は直接手を下した訳ではなく、その配下の者に命じて殺害したとされています。その根拠としては、龍馬があまりにもあっさりと殺されており、事前にその部屋の様子を知っている者、すなわち事件の二日前に訪れている伊東が絡んでの犯行ではないかと考えられるという事、また当初新選組の仕業と見られた数々の証拠の品を用意出来るのは、元新選組の伊東達に他ならないと考えられる事などが上げられています。そして、その仕上げとして、原田の刀の鞘であると証言したという訳ですね。これを命じたのは薩摩の大久保で、武力討幕を目指す薩摩に取ってじゃまな龍馬の排除を、当時薩摩の庇護を受けていた伊東にやらせたとされています。ただ、これについては、先に挙げた様に伊東も武力討幕には反対の立場を取っており、大久保の命に従うとは考えにくい事、また具体的な証拠もない事から、単なる推論と言うべきと思われます。
その他、実行犯として名前を挙げられている人物としては、同じ土佐藩で三条制札事件で捕まった宮川助五郎、「いろは丸」購入に絡んで切腹したという伊予大洲藩士国島六左衛門の遺族などがありますが、いずれも証拠はなく、疑えば疑えない事もないという程度に過ぎないようです。
これに対して、誰が佐々木に命じたのか、あるいは情報をもたらしたかになると、これは有力な説がいくつも立てられています。まず、このドラマにあったように薩摩藩の黒幕説。これはさらに、西郷、大久保、桐野の三者に分かれます。そして、大政奉還の手柄を独り占めにしたかったという、後藤象二郎説。このほか、桂小五郎と大久保の共作という説もありますね。
このうち、最も最初から疑われているのが薩摩藩です。肥後藩の記録で「慶応四年雑録」という資料があるのですが、その中に「坂本を害し候も薩人なるべく候事」という記載があり、事件当初から薩摩藩の仕業とする見方があった事が判ります。また、佐々木多門という海援隊士の残した書簡に、薩摩藩の関与を臭わす記述がある事も、その裏付けの一つとなっています。そして、状況証拠としては、今井信郎が取り調べを受けたとき、西郷が彼の助命運動に動いたという事実があります。今井と一面識もないはずの西郷が何の理由もなく助けようとするはずもなく、そこには裏に密約があったと疑う余地が十分にありそうです。
しかし、これに対する反論もあります。確かに龍馬は大政奉還の絵を描いてこれを実現させはしましたが、実際に幕府を動かしたのは土佐藩の参政である後藤象二郎であり、また武力討幕に反対しているのも土佐藩の代表たる山内容堂でした。この状況下では主役は土佐藩そのものに移っており、今さら龍馬一人を殺したところでどうなると言うものではなく、危険を冒してまで暗殺を実行する筈はないとするものです。
そして、最も常識的な説は、幕府による警察権の行使とする説です。今井の供述にもあるように、龍馬は幕吏二人を殺した殺人犯として、幕府に追われる身でした。この説では、見廻組は通常の警察業務の一環として龍馬を捜し求め、その結果近江屋に潜伏している事を突き止めたことから、佐々木の判断で逮捕すべく押し入ったと考えられています。この根拠の一つとして、先に挙げた峰吉の証言に出てくる佐々木と龍馬のやり取りがあります。佐々木は問答無用で龍馬を斬ったのではなく、とりあえずは龍馬の言い分を聞こうと言っています。これに対して龍馬は従う意思は無いと答えており、捕縛は無理と判断した佐々木達はやむを得ず龍馬を斬り捨てたと考えられます。これは今井の証言とも一致しており、最も自然な解釈ではないかと思われます。ただ、一緒に居た中岡については、正規の土佐藩士である上に、龍馬と違って何の罪も負っていなかったことから、彼を巻き添えにしたのは全くの過失であり、これが為に公にする事が出来なかったのではないかと考えられています。また、永井尚志による捕縛中止命令が出されたとする説もありますが、これがどこまで徹底していたかは判っておらず、おそらくは佐々木の所までに届く前に、捕縛に赴いたのではないかと思われます。
以上、諸説を並べてみましたが、見廻組による実行がほぼ確実という以外には不確定要素が多く、まだまだ謎に包まれているというのが現状のようです。また、その見廻組の中でも実際に誰が龍馬を斬ったかになると、佐々木、渡辺、今井、桂とこれも諸説があり、誰と確定する為には決め手に欠けるようです。これだけ謎が多くなっている原因は、当日直接関わった人間の多くが戊辰戦争の最中に亡くなっており、特に当夜の責任者であった佐々木が何も残していないというのが大きい様ですね。
坂本龍馬と中岡慎太郎の霊は、京都の東山にある霊山で静かに眠っています。
この項は、新人物往来社編「新選組銘々伝」、「新選組資料集」(「新撰組始末記」)、別冊歴史読本「新選組の謎」、「完全検証 龍馬暗殺」、「坂本龍馬と沖田総司」、子母澤寛「新選組始末記」、小野圭次郎「新選組 伊東甲子太郎」、学研「幕末 京都」を参照しています。
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コメント
いつも楽しみにしています。龍馬暗殺の回は、
> 近藤と龍馬が友達だというような大胆な設定をするかと
> 思えば、こんな誰も知らない様な細かい史実を取り入れて来る
と書いておられるとおり、ミステリーの謎解きのような回でしたね。板倉槐堂、軍鶏、掛け軸の血などは後で知り、脚本の細かさに感心しました。
> 土方「近藤勇が坂本龍馬を助けに行っちゃまずいだろう」
は私も同じような感想を持ち、笑いそうになりました。
しかしこの回は、捨助の役割がちょっと疑問でした。結局、捨助は、ことごとく重要人物を引き合わせるのだけれど、本人の意図はなんだったのか?同郷の近藤に龍馬を斬る手柄を取らせようとした、というのならわかるのですけどね。
投稿: yoshi | 2004.10.30 23:04
yoshiさん、コメントありがとうございます。
板倉槐堂が贈った白梅の掛け軸は、龍馬への誕生日プレゼントだったそうです。それが龍馬の返り血を浴びる事によって歴史の生き証人となり、今は京都国立博物館に収蔵されているのですから、なんだか不思議な気がしますね。
今回の捨助の行動は、切羽詰まった捨助が最後に頼れる相手は、幼なじみの近藤しか居なかったという事なのだと思います。冷静に考えれば近藤が龍馬を助けて呉れるはずは無いと気付くのでしょうけど、今や勤王方にも佐幕方にも見放され、完全に孤立してしまった彼には、近藤に縋り付く以外に思いつかなかったのでしょう。それがたまたま良い方に転がったのが今回の結果で、これによって捨助と近藤の和解が成立し、捨助の本来の居場所(すなわち近藤の近く)を作る事に繋がっていくという展開をたどりそうな気がします。
投稿: なおくん | 2004.10.31 00:15