新選組!33の2
新選組!33の2 第41回「観柳斎、転落」その2
格好を付けて近藤達の前から姿を消し自室に帰った武田ですが、内心は忸怩たるものがあったようです。腹立ちまぎれに部屋の中に立てかけてある自分の鉢がねを扇子で叩きますが、謝って手で撃ってしまい、ますます荒れている武田です。そこへ障子の外から声が掛かります。驚いている武田の前に、障子を開けて入ってきた4人の男達が跪きます。茨木、富永、佐野、中村が口々に挨拶をしたあと、茨木が「先生は、直参取り立ての件を辞退されたと聞きました。実は、我らも今度のことは合点が行かないのです」と切り出します。4人の様子を訝しげに見て、「どうした。」と聞いてやる武田に、「自分たちは、局長の出世の道具に使われたのか。そもそも、我らは尊皇攘夷の志を遂げるために脱藩して、新選組に入ったのに、幕府の召し抱えになれば、先の主に対して面目が立たない。このままでは、新選組には居られない。」と4人は次々に訴えかけます。それを聞いた武田は少し考えた後、「ならば伊東先生のところへ行くが良い」と言い出します。「私が間を取り持ってる」と請け合う武田ですが、「しかし、それでは脱走だ。」ともっともな疑問が出されます。これに対して、「近藤局長宛に、正式に御陵衛士に加わるという文を書け。そうすれば、脱走ではなく脱退になる。」となかなの知恵者ぶりを見せる武田の言葉に、茨木達は「判りました」と頭を下げます。「自分に任せておけ。」と自信ありげな武田ですが、どうやら彼は土方と加納が交わした「今後一切隊士の行き来を禁ずる」という約束を知らないようですね。
茨木達の行動は、武田に訴えたという点を除いて、ほぼ史実に沿っています。その脱退の動機としては、茨木達の残した書状に「夫々、本藩へも無面目、二君に勤仕の儀も難題」とあり、ドラマの中のセリフにあったように「二君に仕えるは武士にあらず。」という考え方があった事は確かなようです。その一方で、茨木達は元々伊東派の人間で、なぜか御陵衛士にはならなかったものの、彼らと気脈を通じていたと見る向きがあります。子母澤寛の「新選組始末記」がそうで、茨木達は伊東が新選組に残した工作員であるとしています。彼らは近藤の下にあって間者の役目を果たしつつ、時には反抗的に振る舞い、新選組を混乱させようとしていました。そして、幕臣取り立てを機に、かねての手筈通り新選組を脱退すべく、仲間を募って行動を起こしたのだと書かれています。このあたりの詳細については、後日改めて書く事にします。
「近藤勇殿」と書かれた書状を読んでいる近藤。「どういう事」と聞く沖田に、「直参取り立てに不服を持つ者達が、手紙を残して飛び出した」と答える土方。「出世のために、私が新選組を利用したと思っているらしい。」と近藤。「人をまとめていくのは、難しいものだ」と土方を見やる近藤ですが、土方も難しい顔をしてるばかりで、何も答えません。
直参取り立ては、近藤・土方にとってはまさに驚天動地の出来事であり、長年の宿願が達成された快挙として大いに祝うべき事でした。しかし、さまざまな人間が集まった新選組においては、茨木達のような考えを持つ人間も少なく無かったようですね。また、脱退にまでは至らなくても、近藤芳助という隊士は元々が御家人の出であり、元の身分に戻ったというだけで、大して嬉しくも無かった事でしょう。これと同じく元松前藩士であった永倉新八にしても、待遇が良くなったという以外にはさほどの感慨も無かったのではないでしょうか。このとき御陵衛士となっていた斉藤も元は御家人ですから、仮にこのとき新選組に居たとしても嬉しくもなんともなかったでしょうね。このように、直参取り立ては、近藤、土方とその他の隊士達の間で、受け取り方にかなりの温度差があった事が想像できます。
御陵衛士屯所を訪れている、武田以下茨木達4人。武田がいらついているところを見ると、かなり待たされているようです。追い返す様に加納に言いつける伊東。逡巡する加納に向かって、「その者達を入れる訳には行かない。今は新選組との関係を悪くすべきではない」と言い放ちます。「それでは、彼等の帰るところが無くなる」と言う藤堂ですが、伊東は「私たちとは、係わりの無い事だ」と冷たく突き放します。
ドラマでは、茨木達とは会わなかった伊東ですが、新選組始末記、新撰組始末記ともに守護屋敷に向かう前に茨木達と会ったとあり、新撰組始末記では、とんでもない策略を巡らしているかも知れないから他国へ身を隠してはどうかと勧めたとあります。新選組との約定を守って茨木達を迎え入れる事を拒否した事は確かですが、何もしないで見捨てたという事は無かったと思われます。これ以後伊東は、御陵衛士を頼ってくる新選組隊士については、受け入れてやる代わりに一旦別の場所に匿って時間を稼ぎ、他国へ落とす算段をしてやるようになったと言います。その一人が浅野薫で、彼は山科に匿われており、その後土佐に逃れるはずでした。
一室で加納と対峙している武田。「新選組と御陵衛士との間には、取り決めがある。私たちは、新選組から抜けた者を、受け入れてはならない事になっている」そう加納に言われて、驚いた様子の武田。やはり、彼は取り決めを知らなかったのですね。「しかし、彼等は伊東君を頼って来たのだ。」と加納に迫る武田ですが、加納は「彼らを引き入れれば、私たちも責めを負う。申し訳ない。」と頭を下げるばかりです。それを見て、「あや、」と絶句してしまう武田。部屋から出た武田は合わせる顔がなかったのでしょう、茨木達を残して一人帰ってしまいます。それを見ていた斉藤一。ここでも、例の人形を掘っていましたね。
板の間で、武田の帰りを待っている茨木達4人。そこへ藤堂が現れます。「藤堂さん」と声を掛けられ、「何をしているのだ」と意外そうに答える藤堂。「私たちも伊東さんの下に加わりたく、隊を抜けて来ました。今、武田さんが加納さんと話をしています」と言う茨木ですが、藤堂に「あの人は、さっき帰った」と言われて驚きます。「どういう事だ」「これからどうなるんだ!」「わからん!」と混乱する茨木達を見て、複雑な表情の藤堂です。
新選組屯所。山崎が近藤に報告しています。「斉藤からの知らせでは、御陵衛士のところへ行く様に勧めたのは、武田のようです。」「これで、あいつらは行き場所を失った」と土方。じっと書状に見入っていた近藤は、やおら立ち上がり、書状を二度に渡って破いてしまいます。「戻ってくれば、水に流そう」と言う近藤に、「あいつらは隊を抜けようとした。まとめて斬ってしまえば良い」と異議を唱える沖田ですが、近藤は「彼等は、筋を通そうとしただけだ。」と取り合いません。「良いんですか」と土方に聞く沖田ですが、土方は近藤と目を合わせたきり、何も言いません。そこへやってきた尾形。「会津藩の広沢様からです。茨木達が守護職屋敷に来ているから、すぐに引き取りに来いとの知らせです」
京都守護職屋敷。その一室で、茨木達4人が控えています。「文を残して来るのではなかった。戻れば、脱走者して切腹だ」という茨木の言葉に、頷く3人。
守護屋敷の廊下を歩いている近藤、尾形、広沢の3人。「彼等は、なんと言っているのですか。」と近藤に聞かれ、「新選組を脱けて、御陵衛士に加わりたいと訴えてきた。そういう事を、私に言われても困るのだ。」と心底困っている様子の広沢。「どんな様子ですか。」と聞く尾形に、「奥の間に待たせてあるので、早く連れて帰れ。」と答える広沢ですが、そこへ、「大変だ!」と注進が届きます。「あの者達が」という言葉を聞いて、血相を変えて駆け出す近藤。駆け込んだ部屋では、茨木達4人が、切腹して果てていました。呆然とする広沢の横で、4人の死体を見ながら座り込み、悲痛な表情で涙ぐんでいる近藤でした。
茨木達が書状を認めたのは、近藤にではなく守護職に宛ててでした。守護職では新選組に連絡し、近藤、土方、山崎らが駆けつけます。両者の話し合いは2日に及び、近藤はがんとして移籍を認めず帰隊するよう求めました。しかし、隊規違反として切腹を申しつけるという事はしなかったようです。結局、茨木達4人が帰隊する代わりに、彼らと行動を共にした6人の桂格の隊士の脱退は認めるということで話し合いが付きますが、その後別室に引きこもった4人が自殺して果ててしまいます。企てに引き入れた軽格の仲間の命は助けてやり、自らはその節度に殉じたという事なのでしょうね。
夜の新選組屯所。廊下で武田と土方がすれ違います。「あいつらは腹を切った」そう言い捨てて、去っていく土方。それを聞いて呆然となり、土方を追って思わず振り返った武田の前には、冷然と武田を見据える大石を始めとする隊士たちの姿がありました。完全に立場を失い、進退窮まった様子の武田です。
慶応3年6月22日。新選組隊士に追われている坂本龍馬。追いついてきた隊士に当て身を食らわせて、逃げていきます。「龍馬だ」と駆けてきたのは沖田の隊です。逃げる龍馬を追って路地の奥まで来た沖田ですが、その姿を見失ってしまいます。ふと、傍らの祠に目をやった沖田は、誰かがそこに寝ている事に気が付きます。沖田が刀に手をかけながらそっと近づいたとき、起きあがってきたのはなんと武田でした驚く沖田を見て、慌てて飛び起き、逃げ出す武田。沖田は、武田に呼びかけますが、それ以上は追おうとしません。
近藤、土方、沖田が、隊士達の稽古を見ながら話しています。武田が京に居たと知り、すぐに連れ戻せと命じる近藤。
京の町中のとある小屋。武田が及び腰で入ってきます。刀を鞘ごと抜いて誰か居ないか当たりを叩いて確かめ、やっと安心したように座り込んで扇子で扇ぎ始めます。「はあ。」とため息をついて目を落とした先には、「西洋 兵学訓蒙」と書いた本がありました。河合から借りた金で買った西洋軍学の本ですね。以下、武田の回想。
「また来たのか。」とあきれたように言う伊東。「もはや、新選組に居場所はない。是非とも、御陵衛士に入りたい」と必死に訴える武田。「前にも言ったとおり、そういう事は出来ない」「だから、何度でもお願いに来ている」「何度でも、返事は同じだ。この話は、これまでに」と冷たくあしらう伊東ですが、武田は「待ってくれ」と食い下がります。武田は伊東の側にすり寄り、「西洋 兵学訓蒙」を差し出して、「京ではまず手に入らない本。西洋の戦法から武器の種類、調練の仕方まであらゆるものが載っている。本屋に依れば、加納君もこれを狙っていたと聞く。手みやげ代わりに持参した。」と伊東に語りかけます。武田にすれば切り札のつもりだったのてでしょうが、伊東は傍らから同じ本を取り出して、武田の本の横に並べて置きます。それを見て、呆然となる武田。「先に買われたので、方々探した。手間を掛けさせてくれたな」そう言われて、何も答えることができなくなってしまった武田。
以下、明日に続きます。
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