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2004.10.18

新選組!33

新選組!33  第41回「観柳斎、転落」

冒頭、会津公に拝謁している近藤と土方。「開けてみよ」と会津公に言われ、三宝に置かれている書状を開いてみる近藤。中には、新選組を正式に幕臣に取り上げる旨が書かれていました。1867年(慶応3年)6月、新選組は、これまでの活躍を認められ、徳川家の家臣、いわゆる直参に取り立てられる事になります。会津藩の臨時雇いというあいまいな身分から、幕府の正式な一員として認められる事になったのでした。会津公に向かって平伏しながら、感動を抑えられない様子の近藤です。会津本陣の廊下を歩いている近藤と土方の二人。「直参だって」「ああ」「とうとう、たどり着いた」「ああ」「これで、名実ともに武士だ」「歳」「かっちゃん!」嬉しそうに抱き合う二人です。二度目はやっぱりギャグなんだろうなぁ...。

新選組が幕臣に取り上げられる事が決定したのは6月10日、正式に通達されたのが6月23日の事でした。その内容はドラマ中でも紹介されていましたが、改めてまとめると以下のとおりです。

見廻組与頭格
隊長 近藤 勇

見廻組肝煎格
副長 土方歳三

見廻組格
助役 沖田総司 永倉新八 原田佐之助 井上源三郎 山崎蒸 尾形俊太郎

見廻組並
調役 茨木 司 村上 清 吉村貫一郎 大石鍬次郎 安藤主計 近藤周平

惣組不残見廻組御抱御雇入被仰付候

これは、西村兼文「新撰組始末記」にある記載を元にしていますが、子母澤寛「新選組始末記」では見廻組ではなく大御番組となっており、助役ではなく助勤とされています。また、幕臣取り立てに先立ち、5月に新選組から幕府に提出した名簿とされる「新徴組 大砲組之留」という資料では、隊長ではなく新選組局長、助役ではなく副長助勤となっており、それぞれの資料で微妙に表現が異なっています。ここでよく判らないのが「近藤周平」で、彼については先の2つの資料では「近藤」姓なのですが、後の「名簿」では「谷周平」となっています。これは、いつ周平の養子縁組が解かれたのかという傍証になる訳ですが、書かれている本によって解説がまちまちで、どれを取るべきかよく判りません。

俸禄は、近藤が元高300俵に役両として月50両、土方が70俵に役料として5人扶持、助勤が70俵3人扶持、調役が40俵、平隊士が10人扶持でした。

それにしても、この名簿を見て思うのは助勤クラスの寂しさですね。かつては10人の助勤が居た訳ですが、伊東一派の離脱により藤堂と三木三郎が抜け、松原と谷が死亡して武田が離脱し、斉藤は近藤の命により伊東の下に移っています。この穴を埋めるために監察から山崎と尾形が昇格していますが、かなり見劣りする顔ぶれであることは否めません。

新選組屯所。近藤の前に幹部一同が勢揃いしています。その前で名簿を読み上げる尾形。「容保公からのお達しでは、局長は見廻組与頭格、副長は見廻組肝煎格、兵学師範は同じく見廻組肝煎格。」とここまで聞いて、えっという感じになる原田、永倉達。「謹んで受けます」と一礼する武田ですが、原田達には不満な様子がありありと伺えます。「副長助勤の以下6名は、見廻組格...」

稽古に励む周平。彼は近藤家の養子という重しが取れて、どこか生き生きとしてきた様子です。並んで稽古している井上から「いよいよ御直参だな。」と声を掛けられます。「はい。」「上様のお役に立つ為に精進しなさい」「はい。」と答えながら稽古を続ける周平に、部屋の中にいた島田が「何になったんだ」と聞いてきます。「見廻組並の40俵」と答える周平に「よかったな」とにこやかに祝福してやる島田。彼は「もうちょっと貰いたかっただろうな。」と井上に言われますが、「自分はこれで良い」と羽織の繕いをしながら、穏やかに返します。島田はさらに周平から「島田さんは、昔から居るのにどうして平隊士扱いなのか」と聞かれますが、「自分から、人の上に立つのは苦手だから、やめてくれと言ったのだ」と答えます。「何でまた」と意外そうな井上ですが、島田は「新選組に入れただけで満足だから、それ以上は何も望まない。これが着られれば、それで十分」と羽織を持ってにこやかに語ります。それを聞いて、なるほどというふうに頷く井上と周平。

周平は、上に書いたように、このときは諸士調役兼監察になっており、そこから40俵の待遇が決められました。これは近藤の養子であったということから平隊士から特に引き上げて貰ったものなのか、周平自身の能力が認められた結果なのかはよく判りません。監察は特に優秀な隊士ばかりが集められている部署ですから、周平もそれなりの力があったものと考えたいところですが、実際にはどうだったのでしょうね。

一方の島田ですが、この頃は永倉の下で伍長を勤めていました。この頃の新選組の伍長は6人の助勤の下に2名づつ、合計12人居たのですが、幕臣への取り立てに際しては全員が平隊士と同じ扱いになっています。「新徴組 大砲組之留」でもやはり平隊士として記載されていますが、伍長の12人は平隊士の名簿の先頭にまとめて書かれており、他の平隊士とは区別されていた事が伺えます。

屯所の一室で、名簿に見入っている土方に話しかける近藤。「将軍の直参になった以上、自分たちはもう烏合の衆ではない。これを機会に法度を見直そう」「局長が決めたのなら、副長は従うまでだ」「わがままな局長ですまんな」「今に始まった事じゃ無い」といつになく近藤に従順な土方ですが、彼もまた峻烈な法度の執行に疲れていたのかも知れませんね。もっとも、史実としてこんなやりとりを記録したものはありませんが...。

そこへ沖田が駆け込んできます。「大変ですよ、みんなが怒ってます。」そう言われて、何事かと沖田を見やる近藤と土方。

厳しい表情で座っている永倉と原田。永倉は、「なぜ、武田観柳斎が俺たちより上なのか、土方さんか」と近藤に詰め寄りますが、近藤は「彼はこの度のご沙汰には、係わりを持っていない。尾形、説明してくれ。」と答えます。尾形は、「前もって会津藩より、隊の編成を書き付けて差し出すように言われていました。武田さんは、副長助勤であり、かつ兵学師範、すなわち軍師でもあるので、その点を考慮されたと思われます。」と説明しますが、永倉と原田は依然として腑に落ちない様子で顔を見合わせています。「判ったか」と土方に言われ、「納得出来ない。」と不満を露わにする永倉と、「武田が、今まで何をやって来たと言うのだ。河合が死んだのもあいつのせいだ。みんなが知ってる事だ。」と納得いかない理由をぶちまける原田。それを聞いて、顔を見合わせる近藤と土方。

近藤と土方の前に、武田が座っています。同席しているのは沖田。武田は、軍扇を仰ぎながら「意味が、良く判りません」と近藤達に聞いています。「あなたの昇進に、いろいろと文句が出ている」と土方が言うのに続けて、「副長助勤が70俵3人扶持なのに、あなたが5人扶持なのは、どう考えてもおかしいと。」と続ける沖田。それを聞いて「ちょっと待て。という事は、ご公儀の采配に異を唱えるのか。そもそも、私がお願いして70俵5人扶持を貰ったのではない。私に文句を言うのは筋違いだ」と反論する武田ですが、土方は「日頃の行いが悪いから、こうなるのだ」と冷たく答えます。「私にどうしろと。ご公儀から頂戴した格式を、返上しろとでも。」「そんな事は言っていない」と困った様子の近藤の横から土方が、「どうだろう、この際、沖田達と同じ見廻組格で納得して貰えないだろうか」と頼みます。武田は近藤に「同じ意見ですか」と聞き、近藤が「これ以上、あなたへの当たりが強くならないためだ」と答えるのを聞くと「よく判った。こんな屈辱は初めてだ!ならばいっそのこと直参にならずとも結構!」と叫んで立ち上がってしまいます。なんとかとりなそうとする近藤ですが、武田は「私にも意地がある。そこまで言われたからには、一切を返上する!」と言い捨てて、部屋を出て行きます。それを見て、困った様子の近藤。

以下、明日に続きます。

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