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2004.10.14

新選組!32の3

新選組!32の3 第40回「平助の旅立ち」その3

伊東一派が近藤達と新選組から分離する事を議論したという記述としては、「新選組始末記」に篠原の残した「秦林親日記」に書かれている事として、慶応2年9月26日から27日にかけての事として、土方を交えて激論を交わしたとあります。そして、結果的に近藤達を「余が輩の術中に陥入れて」分離論に服させたとしています。次に、「新撰組顛末記」では、慶応3年3月頃のこととして、伊東が「長州藩への間者となるために分離したい」と近藤に申し入れたところ、近藤はその心中を既に知っており、「自分も長州藩の内情は知りたいところなので、ありがたい事だ。」と言ってあっさりと認めたとされています。「浪士文久報告記事」でも、ほぼ同じ記述になっていますね。そして、「新撰組始末記」では、慶応3年6月の頃のこととして、分離を巡って近藤の佐幕論と伊東の勤王論に分かれて議論があったものの、御陵衛士として勤王の為に尽くすという伊東の大義名分には近藤も逆らう事が出来ず、ついに分離を認めたとあります。ここでは、新選組が幕臣にとりあげられるという内意があったことが、分離のきっかけであったとなっていますね。

全ての記述において分離について話し合った時期、議論の有無についてばらばらなのですが、御陵衛士を拝命したのが3月10日の事であり、伊東甲子太郎の日記に「13日 夜壬生を訪い分離策を談ず。意の如し。」とある事から時期としては新撰組顛末記が最も近く、その内容も伊東の主張通りに事が運んだと見て間違いなさそうです。そして、隊を離れたのは3月20日の事でした。このとき伊東に従ったのは、鈴木三樹三郎、篠原泰之進、加納道之助、新井忠雄、毛内有之介、阿部十郎、藤堂平助、富山弥兵衛、橋本皆助、内海二郎、服部武雄、斉藤一、佐原太郎、中西登、清原清の15名でした。この人数については、異説もあります。

また、この御陵衛士という不思議な存在ですが、天皇の御陵を守る事を仕事とする役職で、山陵奉行の配下に属していました。江戸期以前に御陵を守る衛士が存在したのかどうかは判らないのですが、江戸期に亡くなった天皇は火葬とされ、九輪の塔を用いて山陵の代わりとされていました。ですから御陵衛士という役職は少なくとも江戸期には存在しなかったと思われるのですが、孝明天皇より土葬が復活されることとなり、山陵が築かれる事になりました。伊東はこれに目を付けて、御陵衛士となるべく工作を行ったのですが、この山陵の復活を提唱したのが外ならぬ山陵奉行の戸田忠至でした。彼は元々宇都宮藩の家老で、水戸藩士が中心となって起こした坂下門外の変の襲撃犯の中に宇都宮藩士が混じっていたことから、その名誉回復のために歴代天皇の陵墓の調査と補修を行う事を考案しました。これが幕府に認められるところとなって、戸田は山陵奉行として任命されるに至り、さらに同時に宇都宮藩家老から高徳藩主となって、独立した諸侯となりました。

この山陵奉行は幕府の機関の一つなのですが、その任命は朝廷から行われ、わずかですが手当も貰っていたようです。ですから、半ばは朝廷の機関と言っても良く、その配下に入ることは伊東にとっては都合が良かったものと思われます。すなわち、近藤に対しては同じ幕府内の組織として存在する以上敵対するものではないと主張でき、その実は朝廷の臣として勤王活動に邁進出来る立場を得ることが出来たという訳です。また、伊東にすれば、御陵衛士になるこという事は新選組から抜け出す口実としてだけではなく、孝明天皇の御陵を守ることは勤王活動そのものに繋がる事から、そのこと自体にも喜びを見いだしていたのかもしれません。

この孝明天皇陵は、後月輪東山陵と呼ばれ、泉涌寺境内にあります。泉涌寺は皇室との関係が深く、歴代天皇の御陵が築かれてきた場所でした。御陵衛士への就任にあたっては、伊東の腹心の一人である篠原が、泉涌寺塔頭戒光寺の湛念長老に働きかけ、実現したとあります。この裏には、薩摩藩の朝廷工作があったのではないかとする説もありますが、定かではありません。伊東達は、3月10日に伝奏から任命されたとあり、3月13日に近藤と談判を行ったときには、すでに御陵衛士となる事が決まった後でした。このことも、近藤があえて反対しなかった理由の一つではないかと思われます。

ドラマに戻って、新選組屯所の一室で、斉藤と話している土方。「伊東達に加わって貰いたい。あいつらは、御陵衛士を名目に、薩長と手を組み、幕府に盾つく気でいる。俺は、いずれは伊東を斬るつもりだ。御陵衛士も壊滅させる。そのときの為に、常に伊東と行動を共にし、向うの様子を逐一俺に伝えて欲しいんだ。」そう言う土方の言葉を黙って聞いていた斉藤は、頷いてただ「承知。」とだけ短く答えます。「そして、その日が来たら、平助の側から離れず、あいつを助けてやって欲しい。あいつだけは、死なせたくないんだ。」と続ける土方。

斉藤が御陵衛士に加わったいきさつについては、「新撰組顛末記」には、伊東が近藤に対して「永倉か斉藤をよこして欲しい。」と頼んだのに対して、「斉藤を渡しましょう。」と答えたとあり、このあと近藤が斉藤に対して伊東達の内情を探るように命じたとしています。

斉藤が間者だった事については異説があり、元御陵衛士だった阿部十郎は、斉藤はスパイなどではなく、伊東に従って御陵衛士になったものの、女に入れあげたあげく金に困ったあげくに隊の金を盗み、そのまま姿をくらましただけだと証言しています。これについては、新選組隊士であった稗田利八の手記に、斉藤一が隊に戻ってきたところを丁度目撃としたとあり、そのとき出張から帰った斉藤が元の通り副長助勤として勤務する旨の掲示があったと書かれています。また、近藤が紀州藩の三浦久休太郎に宛てた手紙の中で、「二郎こと潜伏の義、かくのごとく御配慮、多謝奉り候。」と書いており、山口二郎と改名した斉藤が御陵衛士から脱走した後、三浦の下に彼を匿って貰っていた事を示唆しています。このことから、斉藤が間者として御陵衛士に潜伏していた事は間違いないと思われ、阿部が金のために逃げたと思いこむ程、斉藤は見事に衛士達を欺いていたと言うことになりそうですね。

さらに、藤堂を殺すなと言ったのも土方ではなく近藤でした。後の油小路事件の際に近藤が永倉達に言い含めたもので、藤堂の人柄を惜しんでの事でしたが、残念ながら隊士全員に伝えられていた訳ではなく、せっかくの配慮も無駄となってしまいます。

誠の隊旗の前に座って、隊旗を見つめている藤堂。その後ろ姿を沖田が見つめています。「伊東さん達、出て行くんだって。」「私は、近藤先生と伊東先生が力を合わせ、ご公儀のために尽くされる事を望んでいました。それかせ、こんな形になってしまって。」「平助は、どうするの。」「伊東先生が出て行くとおっしゃるなら、ついて行くしかありません。」「本当は、行きたくないみたいな口ぶりだな。」そう沖田に言われた藤堂は、沖田の方に向き直って「沖田さんには、本心を言います。出来れば、私は新選組に残りたい。」と言い出します。それを聞いて、「ふーん。」と疑わしそうな沖田に、「いや、だってこれまでみんなといっしょに、苦労を共にして来たんですよ。」と抗弁する藤堂ですが、「甘いな、平助は。」と沖田に軽くあしらわれてしまいます。「何がです?」「だって、伊東さんが付いてこいと言ったんだろ。だったら、迷いなんか捨てて、喜んでついて行かなきゃ、駄目じゃないか。」と言う沖田に、「付いてこいなんて、言われてない。私は、一度たりとも。伊東先生は立派な方です。でも、未だに私の事を認めてはくれない。今度だってそうです。先生は一度だって、私の思いを聞いては下さらなかった。永倉さんや斉藤さんには、嘘をついてまで連れて行こうとしたのに。先生の中では、私は最初からついて行く事になっていたのです。」と悲痛な調子で訴える藤堂ですが、「だから?」と沖田はまともに藤堂の言葉を受け取ろうとはしません。「だから?」「それだけ信用されているって事じゃないの?永倉さん達は、信じてないから汚い手も使った。お前は、心から信じているから声も掛けない。近藤さんだって、いざとなったら、私の気持ちなんか聞いたりしないと思うよ。だって、聞かなくたって、判るから。お前は、いちいち言葉にして貰わないと、相手の気持ちが判らないのか。だから、甘いって言ってるんだよ。何も言わない間柄が、一番深いんだ。まだまだ、子供だな。」と沖田は辛辣に藤堂を批判して、部屋の向う側に背中を向けて座り込みます。「ふう、沖田さんには敵わないや。」と、心底参った様に語る藤堂に、「止めてくれ。」と制止する沖田ですが、藤堂は「試衛館に入ってから、私の目標はいつもあなたでした。「いいよ、もう。」「いつか、必ず沖田さんを抜いてみせる、それが剣術なのか、もっと外のことなのか、判らないけど、いつかきっと。沖田さんに勝ったと胸を張って言える、そんな日を目指してやってきました。でも、いつだって沖田さんは、私の先に居る。敵わないです。私は、沖田さんが羨ましい。」と、とうとう本音を口にします。しかし、それを聞いた沖田から出た言葉は、藤堂にとっては意外なものでした。「羨ましいのは、こっちだよ。」「私のどこが。」「餞に、ひとつ教えておく。私は、そう長く生きられない。労咳なんだって。」と遂に自身の秘密を打ち明ける沖田。「嘘だ。」と驚く藤堂ですが、「嘘みたいな話だろ。」と沖田に言われて「皆さんは、ご存じなんですか。」とやっと信じた様子です。「土方さんは、知っている。近藤さんも、薄々気づいているみたいだ。自分の口から言ったのは、平助が初めてだ。今年の桜は見られても、来年の桜は判らない。もう二度と、姉さんや多摩の人たちとは会えないかも知れない。私は、お前が羨ましい。お前の元気な姿が羨ましい。来年のお前が羨ましい。再来年のお前が...。」もう後が無いと判っている沖田の、切ない本音でした。それを聞いて、何も言えなくなってしまった藤堂に、沖田は、「だからさ、私のことを、敵わないとかそういう風に、言わないように。」と無理に明るく振る舞います。それを見て、「はい。」と答えるの精一杯の藤堂。沖田は、そんな藤堂を見やって、彼の側に近づき、「ひょっとしたら、いつか剣を交える事になるかも知れないな。」と声を掛けます。「ふっ、沖田さんとやり合ったら、一太刀でやられてしまいます。」と沖田に向かい合って立ちながら言う藤堂に、「多分ね。」とさらりと答える沖田。「今はね。でも、見ていて下さい。もっと、強くなって見せますから。」「無理するな。」「せめて、相打ちに。」と健気に言う藤堂が、どこか切ないですね。「がんばれ。」「はい。」誠の隊旗の前で、堅く手を取り合う二人でした。

1867年(慶応3年)3月20日。島田が、男泣きに泣いています。そんな島田に「島田さん、そんなに泣かなくても。」と旅姿の藤堂が声を掛けます。「京を離れる訳ではないんだぞ。」と永倉。「たまには、うちに汁粉でも食いに来いよ。」「待ってます。」と原田夫妻。「ありがとうございます。本当に、試衛館の皆さんには、お世話になりました。」と頭を下げる藤堂に、礼を返す島田。それを見て、泣きながら「お前、試衛館じゃなかっただろう。」とつっこみを入れる原田です。井上は、藤堂に向かって風呂敷包みを藤堂に差し出します。「これ、私たちからの餞別だ。」藤堂がその包みを開けると、中には新選組の羽織が入っていました。「平助は、これからも新選組の八番組長だ。」と井上に言われて、嬉しそうに笑っている藤堂でした。

別室で、加納と対峙している土方。その背後に、尾形が机を前にして控えています。「では、このようにさせて頂く。これ以降、新選組から御陵衛士に加わりたいと願い出るものがあっても、一切それを認めない。また、御陵衛士の方も、これ以上の新選組隊士の参加を許さない。」土方達は、これからの両者の間の取り決めについて話し合っているのですね。土方の言葉を聞いて「了承しました。」と頭を下げる加納を見て、「では、念書を、尾形君。」と尾形に命じる土方。ところが、そこに加納が「その前に、」と割り込んできます。「御陵衛士から新選組に戻る事も、同じく禁じて頂きたい。そうでなければ、公平を欠く。」そう言われて、一瞬迷った土方。斉藤の事を考えたのですね。もしかすると、加納は斉藤が間者である事を疑っており、それに対して釘を刺したのかも知れません。それでも土方には「良いでしょう。」と答えるよりありませんでした。

近藤の部屋を訪れている藤堂。「平助、長い間、ご苦労だった。新選組の八番組長として、長い間京の治安を守った事は、大いに自慢して良い。あの池田屋に、最初に踏み込んだのは、お前なんだからな。」「はい。」「伊東先生の下で、これからは存分に働くように。」そう言われて、黙って頭を下げる藤堂。「お前がたとえ新選組を去ろうとも、平助は我らの同志、今まで共に戦ってきたこの年月は、消え去る事はない。これからも、新選組八番組長として、恥ずかしくない生き方をしなさい。」「かしこまりました。」「そして、」と言って近藤は立ち上がって、藤堂の側まで行って両肩を抱き、「辛かった、また戻って来い。」と言ってやります。それを聞いて、にっこりと笑い、頷く藤堂。じっと、藤堂を見つめる近藤は、あたかも藤堂の兄か父の様でした。

この項は、新人物往来社編「新選組銘々伝」、「新選組資料集」(「新撰組始末記」)別冊歴史読本「新選組の謎」、文藝別冊「新選組人物誌」、子母澤寛「新選組始末記」、永倉新八「新撰組顛末記」、木村幸比古「新選組日記」、司馬遼太郎「最後の将軍」、「歴史読本1997年12月号(幕末最強新選組10人の組長)」、小野圭次郎「新選組 伊東甲子太郎」を参照しています。


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コメント

どうも、越中ひよこです。
ゴン太に会いに来て下さってありがとうございました!
新撰組はドラマで楽しんでいます。歴史が苦手なわたしでも分かりやすくて楽しくて、俳優さんも良いし。それにしても、これだけの歴史をドラマにする三谷さんにビックリしました。

洋欄はそろそろ休眠ですか?素敵な花が咲くのでしょうね。いいな。コスモスは私の大好きな花です。花にかこまれたなおくんさんがうらやましいな。明日はコスモスを買いにいってきます。

投稿: 越中ひよこ | 2004.10.15 01:15

越中ひよこさん、コメントありがとうございます。「越中ひよ
ことゴン太の日記」は、いつも楽しく拝見させて頂いていま
す。東京はなかなか行く機会がなく、特に最近のシリーズは一
度も行ったことが無いところなので興味深いですね。新選組の
舞台も間もなく江戸に戻る事ですし、また江戸情緒を紹介して
頂けたらありがたいです。
洋蘭は、そろそろ休眠に入る種類と、これから咲き出す種類と
があります。今はデンファレ、カトレア、シンビジウムが花芽
を付けていて、これから咲くのを楽しみにしています。またね
こづらどきにアップしますので、良ければご覧になって下さい。

投稿: なおくん | 2004.10.15 18:59

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