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2004年10月

2004.10.29

新選組!34その4

新選組! 第42回「龍馬暗殺」その4

伊東甲子太郎が言っていた「大開国策」というのは、大政奉還後に伊東が議奏柳原光愛を通して朝廷に提出した建白書の事で、全部で32カ条からなります。龍馬の「船中八策」などに比べればあまり有名ではないのですが、伊東という人物が何を考えていたのかを知るためには非常に重要な内容を持っています。「大開国」とは、外国の圧力による開国ではなく、国益を考えた積極的な開国という意味であり、建白書の内容を要約すれば、大開国を見据えた上での富国強兵策を進めるべきであるとして、朝廷を中心とした国内一致による新体制作りが急務であると主張しています。また伊東は幕府の参政も視野に入れていたようで、薩長の討幕路線とは相容れない側面を持っていたようですね。これは、伊東が水戸学派の影響を強く受けていたことから、その敬幕思想を反映していると見る事が出来るようです。根底にあるものは違うと思われますが、表面的な形としては龍馬の思想と似た部分があり、伊東が龍馬に接近しようとした理由はこのあたりにあるのかも知れません。

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2004.10.28

新選組!34その3

新選組! 第42回「龍馬暗殺」その3

京都の町中を、イカを食べながら歩いている龍馬。それを見た藤堂が「先生!」と言いながら駆けつけてきます。心なしか、声が裏返っている様子。なにやら風呂敷包みを手にしています。「おう!」「こんなところを一人でふらついていては、危険です。」護衛役を仰せつかっている藤堂としては、当然の苦情でしょうね。しかし、龍馬は「ちっくと、小腹が空いたがじゃき。おんしも、どうぜよ。」と、もう一本持っている方のイカを藤堂の方に差し出しながら、のんきそうに答えます。「お願いですから、うろうろしないで下さい。」と泣くようにして頼む藤堂ですが、龍馬はそれを無視して、「そうじゃ、峰吉にやろう。」と言って、一人でどんどん行ってしまいます。その後ろ姿を見ながら、ほとほと困ったという表情で「ちょっと。」とつぶやいき、龍馬を追う藤堂。そしてその背後から、これもイカを食べながら二人をつけていく捨助の姿がありました。さらに、その捨助の後を付けていく山崎。

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2004.10.27

新選組!34その2

新選組! 第42回「龍馬暗殺」その2

おたふくの前で掃除をしている原田。なんだが、新選組の大幹部とは思えない姿です。店の中では、島田と永倉がお汁粉を食べています。「王政復古って、何なんだい?」と島田に聞かれて、「俺に聞くな。」と答える永倉。島田は「何がどうなっちまったんだい。新選組は、どうなるんだい?」重ねて聞きますが、永倉は何も答えません。そこへ店の中に入ってきた原田が、「大丈夫、心配ねえ。何も変わりゃしねえよ。」と代わりに答えてやります。「だけど、徳川幕府は無くなっちまったんだろ。」「無くならねえよ。」「だけど、無くなっちまったって、言ってたよ、みんな。」「無くならねえ、つってんだろ。」という島田と原田のやり取りの中に、「ねえっ。」と店の奥から出てきて割り込んで来るおまさ。すっかり、お腹が大きくなっています。「また、お汁粉の鍋、焦がした。」「少しは焦げてた方が、香ばしくて美味いんだよ。」「ちゃんとも見てんとあかんやないの。」と夫に苦情を言うおまさですが、原田は「おまえ、ほら、ほら、横になってろよ。」と身重のおまさを気遣います。おまさは、「ちょっとは動いた方がええの。」と夫をあしらって、永倉と島田の横に座り込んで、「これから、どうなって行くんやろか。」と聞きますが、「さっぱり、判らん。」としか答えられない永倉です。「そうかて、ご公儀のために新選組は頑張って来たんでしょう。そのご公儀がのうなったら、これからどうするんですか。」と、もっともな疑問を聞くおまさに、「昔は、こういう時、解説してくれる人が必ず居たんだがなあ。」と嘆息するように答える永倉。島田も同じように、「居たんだがなあ。」と続けます。これって、山南の事を言っているのでしょうね。あるいは新見か、それとも伊東?いずれにしても、今の新選組に頭脳派と呼べる人材は居ないようですね。

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2004.10.26

新選組!34

新選組! 第42回「龍馬暗殺」

冒頭、西村兼文と対座している近藤と土方。「引っ越しですか?」と意外そうな近藤に、「私としては、おって貰うても構わんのですが、坊さんらが。やはり、寺の敷地でこれ(切腹)やこれ(打ち首)は、ちょっと。」と身振り手振りを交えて事情を説明する西村。「しかし、急に出て行けと言われてもなあ。」と不服そうな土方ですが、西村に「これからちょっと南に下がったとこに、不動堂という村があります。そこに、新たに屯所をお造りしますので、そちらに移っては貰えないかと思いましてね。もちろん、お金はこちらで出します。」と提案されると、「しかし、それは、」と逡巡する近藤を差し置いて、「判りました。引っ越しましょう。」と答えてしまいます。その土方を横目で睨む近藤。また、主導権を土方に握られていますね。「ええ頃合いとちゃいますか。あんさん方も、晴れて御直参。いつまでも寺を間借りしていては、格好が付かんでしょう。」とにっこりと微笑む西村。彼も気の重い使命を果たして、ほっとしたのでしょうね。

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2004.10.24

「新選組と竜馬の時間距離」に対する考察

「合理的な愚か者の好奇心」で掲載されている「新選組と竜馬の時間距離」は、なかなか興味深い記事なのですが、それに対する感想をコメントとして書くと長くなりすぎるので、新たに記事としてアップさせて頂くことにします。

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2004.10.22

新選組!33の4

久々の新選組!マイナー隊士の紹介は、佐野七五三之助です。
残念ながら、ドラマにはほんの少ししか登場しなかったですが、武田の悲劇と相まって、非常に印象的な最期だったのではないでしょうか。

佐野の名前の七五三之助は「しめのすけ」と読みます。1836年(天保7年)に尾張藩士の子として名古屋で出生しました。長じて脱藩し、尊皇攘夷運動に身を投じます。1863年(文久3年)3月、彼は横浜外国人居留地の警衛隊に参加します。佐野はここで、後にまで行動を共にする事になる篠原泰之進、加納鷲雄、服部武雄らと知り合いました。そしてさらに加納の紹介で、当時北辰一刀流の道場を開いていた伊東大蔵(甲子太郎)と出会います。この一連の出会いが、佐野のその後の運命と大きく関わって行くことになります。

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2004.10.20

新選組!33の3

新選組!33の3  第41回「観柳斎、転落」その3

夜の花街。一軒の店から若旦那風に変装した山崎が出てきます。山崎が別の店の暖簾をくぐると、中には永倉、原田、井上、島田、周平の面々が待っていました。首尾を聞く永倉に、「あの店ではなさそうだ」と答える山崎。話が違うと山崎にくってかかる原田を、なだめる井上。「こうなったら、しらみつぶしに当たるしかない」と言ったのは島田。

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2004.10.19

新選組!33の2

新選組!33の2  第41回「観柳斎、転落」その2

格好を付けて近藤達の前から姿を消し自室に帰った武田ですが、内心は忸怩たるものがあったようです。腹立ちまぎれに部屋の中に立てかけてある自分の鉢がねを扇子で叩きますが、謝って手で撃ってしまい、ますます荒れている武田です。そこへ障子の外から声が掛かります。驚いている武田の前に、障子を開けて入ってきた4人の男達が跪きます。茨木、富永、佐野、中村が口々に挨拶をしたあと、茨木が「先生は、直参取り立ての件を辞退されたと聞きました。実は、我らも今度のことは合点が行かないのです」と切り出します。4人の様子を訝しげに見て、「どうした。」と聞いてやる武田に、「自分たちは、局長の出世の道具に使われたのか。そもそも、我らは尊皇攘夷の志を遂げるために脱藩して、新選組に入ったのに、幕府の召し抱えになれば、先の主に対して面目が立たない。このままでは、新選組には居られない。」と4人は次々に訴えかけます。それを聞いた武田は少し考えた後、「ならば伊東先生のところへ行くが良い」と言い出します。「私が間を取り持ってる」と請け合う武田ですが、「しかし、それでは脱走だ。」ともっともな疑問が出されます。これに対して、「近藤局長宛に、正式に御陵衛士に加わるという文を書け。そうすれば、脱走ではなく脱退になる。」となかなの知恵者ぶりを見せる武田の言葉に、茨木達は「判りました」と頭を下げます。「自分に任せておけ。」と自信ありげな武田ですが、どうやら彼は土方と加納が交わした「今後一切隊士の行き来を禁ずる」という約束を知らないようですね。

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2004.10.18

新選組!33

新選組!33  第41回「観柳斎、転落」

冒頭、会津公に拝謁している近藤と土方。「開けてみよ」と会津公に言われ、三宝に置かれている書状を開いてみる近藤。中には、新選組を正式に幕臣に取り上げる旨が書かれていました。1867年(慶応3年)6月、新選組は、これまでの活躍を認められ、徳川家の家臣、いわゆる直参に取り立てられる事になります。会津藩の臨時雇いというあいまいな身分から、幕府の正式な一員として認められる事になったのでした。会津公に向かって平伏しながら、感動を抑えられない様子の近藤です。会津本陣の廊下を歩いている近藤と土方の二人。「直参だって」「ああ」「とうとう、たどり着いた」「ああ」「これで、名実ともに武士だ」「歳」「かっちゃん!」嬉しそうに抱き合う二人です。二度目はやっぱりギャグなんだろうなぁ...。

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2004.10.14

新選組!32の3

新選組!32の3 第40回「平助の旅立ち」その3

伊東一派が近藤達と新選組から分離する事を議論したという記述としては、「新選組始末記」に篠原の残した「秦林親日記」に書かれている事として、慶応2年9月26日から27日にかけての事として、土方を交えて激論を交わしたとあります。そして、結果的に近藤達を「余が輩の術中に陥入れて」分離論に服させたとしています。次に、「新撰組顛末記」では、慶応3年3月頃のこととして、伊東が「長州藩への間者となるために分離したい」と近藤に申し入れたところ、近藤はその心中を既に知っており、「自分も長州藩の内情は知りたいところなので、ありがたい事だ。」と言ってあっさりと認めたとされています。「浪士文久報告記事」でも、ほぼ同じ記述になっていますね。そして、「新撰組始末記」では、慶応3年6月の頃のこととして、分離を巡って近藤の佐幕論と伊東の勤王論に分かれて議論があったものの、御陵衛士として勤王の為に尽くすという伊東の大義名分には近藤も逆らう事が出来ず、ついに分離を認めたとあります。ここでは、新選組が幕臣にとりあげられるという内意があったことが、分離のきっかけであったとなっていますね。

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2004.10.13

新選組!32の2

新選組!32の2 第40回「平助の旅立ち」その2

慶応3年正月に、永倉と斉藤が伊東一派と共に新年の集いを開いたというのは、永倉新八の「新撰組顛末記」に出てくるエピソードです。それによると、会合のあったのは元旦、場所は島原の角屋となっています。伊東は花香太夫、斉藤は相生太夫というなじみの相手を呼び、永倉も芸妓の小常を呼んだとありますから、ドラマと違ってまだ小常は永倉と一緒にはなっていなかったのですね。この頃の新選組には門限があり、それを破った者は処分される事になっていました。このため、ほとんどの隊士は、刻限までに帰隊したのですが、永倉と斉藤は伊東に引き留められるままに居続け、ついに門限を破ってしまいます。翌日も、「もはや切腹を免れない身であるから、この世の名残に思いっきり飲もう。」という伊東の発議に従って朝から飲み続け、3日目もそのまま過ごし、4日目になって近藤からの使いがあったため、ようやく隊に戻っています。ドラマでは3人の切腹を主張したのは土方でしたが、実際に怒り心頭に達していたのは近藤の方でした。特に永倉に対しては会津候に対する建白書以来含むところがあったのでしょう、彼の罪が最も深いとして切腹させようとします。しかし、それを止めたのが土方で、「永倉だけを切腹させるのは片手落ちで、切腹させるなら3人ともさせなければならない。しかし、それをしたのではあまりにも影響が大きすぎる。」として3人を謹慎させるにとどめました。伊東と斉藤は3日、特に近藤の不興を買っている永倉は6日の謹慎の後、許されたとあります。この事件は、伊東が永倉と斉藤を近藤から引き離すために仕組んだ策謀とも、単なる鬱憤ばらしとも言われています。「近藤が我々を切腹させようとしても隊士が承知しない」とたかを括っていたとありますから、近藤の怒りを買う事を承知の上での確信犯であった事は間違いないでしょうね。

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2004.10.12

新選組!32

新選組!32 第40回「平助の旅立ち」

1866年(慶応2年)7月26日、徳川宗家を相続了承した一橋慶喜。この時点ではまだ将軍職は継ぐとは言っていないのですね。「出陣する!自ら采配を振るう」と二条城で宣言する慶喜公。「兵達の志気も上がるに違いなかろう」と慶喜に下問されて、「これ以上の励みはありません」と答える松平容保。「なんとしてでも勝たねばならない。これは、亡き家茂公の弔い合戦でもあるのだ」と言い切った慶喜は、さらに8月8日、御所に参内し、孝明天皇から「速やかに追討の功を奏すべし。」という勅命を与えられています。しかし、そのわずか3日後、幕府軍の一部が戦線を離脱したという知らせが京に届くと、慶喜は「出陣は止めた」と言い出します。「長州征伐は?」と聞く容保に、「取りやめだ」と答える慶喜公。「それはいけない」と諫める容保に慶喜は「今は、日本人同士が戦っている場合ではない。家茂公が亡くなられた事は良いきっかけになる」と言って、容保を呆然とさせてしまいます。

撤退した幕府軍というのは、全権を委任され小倉城に入っていた小笠原長行でした。小倉藩は関門海峡を挟んで長州軍と戦っていたのですが、長州の高杉晋作が率いる部隊に城を奪われ、あえなく敗退したのでした。長行もやむなく小倉を離れ、京都へ戻って来ます。長行から敗戦の報告を聞いた慶喜は、とても幕府軍に勝ち目が無い事を悟り、最も幕府が傷付かないで方法で事態の収拾を図る策を講じたのです。慶喜としては、混乱した事態を収拾すべく最善の策を採ったつもりでした。しかし、それは傍目にはどう見ても前言を翻したとしか受け取りようがなく、周囲は混乱し、幕府の権威は失墜するばかりでした。

徳川慶喜は、たびたび前言を翻しながらも、その年の12月5日、皆に推される形で第15代将軍となります。そして、その20日後、孝明天皇が、突如として崩御されてしまいました。孝明帝は天然痘で亡くなったとされていますが、未だに暗殺されたとする説も根強く残っています。

「帝が!」と驚く近藤に、頷く土方。尊皇攘夷の嵐が吹く中で、孝明天皇その人は幕府そして松平容保の最大の理解者であり続け、そのことが公武合体派にとってその寄って立つ論拠ともなっていました。その孝明天皇の死は、幕府を支えていた最も大きな柱を失ったという事に他ならず、幕府の崩壊へと時代の流れを一気に加速させる事になります。

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2004.10.11

こんなところから蜜が出ているよ

epitendoramumitu.jpg

GALLERYで紹介されている猫草の先に付く水滴。植物ってつくづく不思議だなと思わせてくれる現象ですね。

上の写真は、我が家のエピテンドラムの茎に付いた水滴状のもの。これは何かと言うと、なんと蜜なんですね。蜜と言えば花の中に出ているのが常識ですが、エピテンドラムに限らず洋蘭ではこうした茎や葉の裏に出ている事がよくあります。花が咲いていない時にでもあるので受粉とは必ずしも関係なさそうに思えるのですが、普段から少しでも昆虫を周りに引きつけておこうという戦略なのでしょうか。

水遣りなどの世話をしながら時々指に付けてなめさせて貰っていますが、ほんのりと甘くて美味しいですよ。洋蘭を育てる密かな楽しみの一つです。

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2004.10.09

F1 日本GP 1日目

F1 日本GP 1日目の結果は、次の所にあります。

フリー走行1日目 1回目

フリー走行1日目 2回目

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2004.10.06

新選組!31の3

新選組! 第39回「将軍、死す」その3

井上と藤堂が作ったちらし寿司の蓋を開けたとたんに上がる歓声。「いや~。」「うわー、すげえな、これ。」「もう、好きなだけ食べて良いですから。」盛り上がっている所に近藤と土方がやってきます。「局長、こちらへどうぞ。」と招じ入れる永倉に応じて近藤は、「失礼まします。」と素直に上がり込みますが、土方はわだかまりがあるらしく、入り口に突っ立ったままです。「うめえぞ、これ。」とはしゃいでいる原田の横からおまさが、「土方さんも、どうぞ。」と声を掛けますが、土方はやはり動こうとしません。それを見た永倉は、「土方さん。遠慮せずに入ってくれ。」と屈託なく声を掛けます。「良いのか。」と依然としてこだわりを見せる土方ですが、「悪いわけがどこにある。」という永倉の言葉と「良いから、早く入って食えよ。」という原田の誘いにようやく座敷に上がって近藤の横に座ります。

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2004.10.05

新選組!31の2

新選組! 第39回「将軍、死す」その2

京都。見廻組屯所を訪れている捨助。佐々木と会って、話をしています。「見廻組は皆直参だ。おまえのような男を入れる訳にはいかん。」「お願いしますよ。坂本龍馬を捕まえたいんでしょ。だったら、俺が居たら役に立つって。」捨助は、今度はなんと見廻組に自分を売り込もうとしているのですね。彼なりにたくましくなったと言うべきなのか、いい加減なやつと言うべきなのか。それにしても、佐々木はなんで天狗だった捨助を捕まえないのでしょうね。「むしろ、新選組に行け。あそこは、身分を問わない。」「新選組なんて、まっぴらごめんだよ。」と渋る捨助に、「さあ、行け!」と言い捨てて奥へ入ろうとする佐々木ですが、「じゃあ、お聞きしますけど、あんた、お尋ね者の坂本龍馬に会った事があるんですか。」と捨助に言われて思わず立ち止まってしまいます。してやったりという表情の捨助。こいつもいつの間にか、自分の売り込み方が上手くなったものですね。「ねえ、という事は、やつの顔を知らない訳でしょ。それでどうやって捕まえるつもりなんですか。桂小五郎は?」次々に大物の名を出す捨助の言葉に、佐々木もついに振り向きます。「俺は、よーく知ってる。薩摩の大久保も知ってる。西郷だって見たことあるし、岩倉って公家のおっさんも知ってる。こんな重宝な男、そんじょそこらに居ないと思いますけどね。」情報手段の発達していないこの頃にあっては、名前を知っていても顔までは判らないというのが普通の事だったのですね。例えば新選組が池田屋で戦った相手が誰だったかは後から調べて判った事ですし、今に残っている西郷の肖像画も本人とは違うという説があるそうですね。それほどまでに、当時は名の通った人物でもどんな風貌かを知っているのは、ごく近くに居るものに限られていたようです。そんな中で捨助のような人物がいたとしたら、確かに重宝しますよね。「とにかく俺は、この捨助をないがしろにしたやつらを、ぎゃふんと言わしたいんですよ!ぎょふんと!」「おまえの言い分、もっともである。では、こうしよう。見廻組ではなく、私の奉公人として面倒みよう。」「ありがとう、佐々木様!ええ仕事しまっせ~!」と完爾と笑う捨助。土方の言うように、捨助には尊皇も攘夷もないのですね。勤王派変じて、今度は佐幕派の手先になっちゃった。

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2004.10.04

新選組!31

新選組! 第39回「将軍、死す」

所在なげに廊下を歩いてくる谷三十郎。すれ違った土方と沖田に会釈をしますが、全く無視されてしまいます。黙って去っていく三十郎。その後ろ姿を見送りながら沖田が土方に向かって話しかけます。「谷さん、河合の介錯をしくじってからずっとちあんなふうですね。」「元々肝の据わらないやつだったが、あれですっかりばれちまった。」とすげなく答える土方。

屯所の一室に集まっている谷三兄弟。長兄の三十郎が弟たちに語りかけています。「新選組を離れる事にしたぞ。」という兄の言葉に「えっ!」と驚く万太郎と周平。三十郎は「近藤や土方達とは、志を一つに出来ん。わしの思っていた新選組と実際に、かなりの隔たりがあった。江戸へ行ってみようと思う。」と続けますが、万太郎は「しかし、兄上!」と危惧している様子です。三十郎は、それを聞き流して、「もちろん、おまえ達も一緒だ。昌武、近藤家との養子縁組も、今夜をもって終わった。明日から、谷昌武に戻りなさい。すぐに支度をするように。」と弟達に言い渡します。しかし、周平はなにやら不満の様子です。「近藤先生にはなんと?」と聞く万太郎に、三十郎は「そもそもこちらから入ってやったのだ。辞めるときにいちいち断る筋合いは無い。」と尊大に答えます。その二人のやり取りに周平が「兄上。」と割り込んできます。「私は、残りたいのですが。」と言う周平の言葉に、意表を突かれたように驚く三十郎。「近藤家の、立派な跡取りになりたいのです。私を養子に迎えてくれた、近藤先生のご恩に報いたいのです。」と思わぬ弟からの反発を受けて、「昌武...。」と絶句する三十郎。「私は、近藤周平です。」と兄に対して絶縁宣言をしたも同然な周平でした。

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2004.10.02

梅酒完成しました

umesyukansei.jpg

梅酒を仕込んで3ヶ月と半分。梅の実がすっかり下に沈んで、全体に琥珀色に色づき、ようやく飲める状態になったようです。

では、早速試飲です。

umesyugurasu.jpg

うーん、確かに飲める事は飲めるのですが、いかにも出来たてという感じですね。マイルドさが足りないかな。美味しく飲むためには、もう少し時間を掛けた方がよさそうですね。美味しくなったら、またレポートします。

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