新選組!30
新選組! 第38回「ある隊士の切腹」
1866年(慶応2年)1月23日深夜、伏見「寺田屋」。おりょうが風呂に入っています。外の怪しい雰囲気に気が付き窓をそっと開けると、外には幕府の捕り方が充満していました。着物1枚を羽織って階段をかけ上がり、龍馬達の部屋の襖を開けるおりょう。そのあられもない姿を見て、龍馬と祝杯を上げていた三吉が思わずのけぞります。「おう、おう、なんぜよ、その格好は。丸見えじゃないかえ。」「大変や、表に捕り方が。」おりょうの注進を聞いて、坂本の表情が変わります。そのころ、寺田屋の表。伏見奉行所の役人がお登勢を厳しく問い質しています。「坂本が泊まっているだろう。」「どちらの坂本はんどす?」「土佐の坂本龍馬だ!ご公儀に楯突く極悪人だ。ここに居るのは判っておる!」そう凄まれてもお登勢は落ち着いた様子で応対し、「今、宿帳を持って来ます。」と中に戻ろうとします。そこへ現れたのは、なんと捨助でした。「相手にしちゃ駄目ですよ。今すぐ踏み込まないと逃げちまう!」と役人を焚きつける捨助。それを見て驚くお登勢。「あっ、あんた...!」くお登勢に見られてさすがにばつの悪そうな捨助ですが、思い切った調子で「2階の奥の間だ!逃がしちゃいけませんぜ!」と叫びます。その声に応じて寺田屋になだれ込む捕り方達。彼らが最初に踏み込んだ2階の龍馬の部屋は膳があるだけで空でした。さらに奥の部屋の襖を開ける捕り方達。その先に居たのは槍を構えた三吉とピストルを高く掲げた龍馬でした。「我らは、薩摩藩士じゃき。何事でごわんど?」と白を切る龍馬。「薩摩藩士なら、なぜ我らに武器を向ける!」そう役人に誰何された龍馬は「おお、それもそうじゃ。」と言って、天井に向かってピストルを放ちます。その音を聞いて腰を抜かす捕り方達。「生き延びや!」と三吉に向かって言う龍馬。それを聞いてにっこりとうなずく三吉。龍馬は窓を開け、下をのぞき込みます。「ご用だ!ご用だ!」口々に叫んでいる捕り方。「おお、表にも沢山おるき。」龍馬はピストルを空に向かって放ち、捕り方達の前へ飛び降ります。すでに逃げ腰になっている捕り方達を見て、さらにピストルを連射する龍馬。それだけで、完全に崩れてしまっている捕り方達。
この龍馬襲撃については、龍馬自身が詳しく手紙に書いて残しています。それによると龍馬が襲われたのは、彼が薩摩と長州の間を往来していることを幕府は掴んでおり、反幕府的な事を企んでいる危険人物であるとして大目付が伏見奉行所に対して討ち取りを命じたとあります。幕府は薩長同盟が成立した事までは掴んではいなかったようですが、怪しい動きがある事は探知していたのですね。その中心人物が龍馬であると見て、殺害を図ったのでした。
襲撃のあったのは午前3時頃、この日龍馬は三吉慎蔵と共に薩長同盟成立の祝杯を上げていました。龍馬はもうそろそろ寝ようとしていたときに、階下で六尺棒がからからと音を立てているのに気が付きます。不審に思っていたところへ飛び込んできたのがおりょうでした。おりょうの後日談によると、風呂に入っているところへ外から槍を突きつけられたとあります。おりょうは気丈にもその槍を片手で掴んで、わざと二階へ聞こえるような大声で、「女が風呂に入っているのに、槍で突くなんて誰だ、誰だ!」と叫びます。そして庭へ飛び降りてぬれ肌に袷をひっかけ、帯をする間もなく駆けようとすると、槍を持った男に胸ぐらを掴まれ「二階の客の名を言え。」と脅されます。おりょうは「薩摩の西郷小次郎さんともう一人はよく知らぬ。」とでたらめを教え、男が表に向かって去って行くと、裏の秘密梯子から駆け上がって龍馬達に注進に及んだと言うことです。
ドラマではこの後、龍馬がピストルを撃っただけで捕り方達が総崩れとなってしまいますが、実際には切り込んできた捕り方と乱闘になっています。このとき、龍馬はピストルで何人かの捕り方を倒していますが、捕り方の刀をピストルで受けたときに指を切られ、これが殊の外重傷であった事から後で動けなくなってしまいます。一方、表で捕り方と応対していたお登勢は、腰が引けている役人達の様子を見て、これなら何人掛かろうと龍馬の敵ではないと安心して見ていたと後日語っています。
この後の様子はホームページの方にまとめてありますので、よろしければ参考にして下さい。なお、このホームページでは現在の寺田屋を元に事件を再現していますが、寺田屋は鳥羽伏見の戦いの時に一度焼け、明治初年に建て替えられていますので、龍馬が居た当時そのままの姿ではありません。ですから間取りも違っていますが、雰囲気は濃厚に残っていますので事件当夜を彷彿とする事は出来ると思います。
新選組屯所。悪夢にうなされる斉藤。松原にとどめを刺したこと、葛山に「裏切りもん!」と叫ばれつつ介錯をした事が脳裏に蘇ります。思わず跳ね起きて、夢だったと気づく斉藤。
屯所で稽古に励む隊士達。局長の部屋では、近藤と土方が話をしています。「広島に?」「長州に対する処分が決まった。老中小笠原長行様が、それを携えて広島へ行かれ、長州藩にお達しになる。もし向うがそれに従わねば、いよいよ戦だ。」「しかし、」「大目付の永井様も行かれるので、私もお供をする。」「なんで近藤さんが行かなきゃなんねえ。」「それは、私からお願いした。松平容保公は、長州との戦は望んではいない。昨年は長州入国を果たせなかったが、今度こそ長州に入り、相手を説得してこようと思っている。ご公儀は、十万石の削封に、藩主父子の蟄居という処分さえ飲めば、長州を許すと言っている。」「しかし、どう考えてもおかしいだろう。長州のやつらが一番憎んでいるのは誰だ。俺たち新選組だぞ。火に油を注ぐだけじゃねえのか。」「行ってみなければ判らん。」「殺されるぞ。」「俺はご公儀の為、容保公のために、力を尽くしたいのだ。」
ドラマでは出てきませんでしたが、近藤はこの前年の11月にも広島を訪れています。そのときの随行員は、伊東、武田、緒方、山崎、吉村等でした。この広島行きは、一つには大目付永井のボディガード役として、もう一つは長州藩の内部事情の探索を行う事を目的としていました。この広島行きの出立にあたり、近藤は故郷へ手紙を書いています。それによると、近藤は長州人が自分を仇として見ていること承知しており、白刃を交える戦いに及ぶかも知れないと考えていました。そして、自分が居ない間は土方に後を託した事、自分に万一の事が有ったときには、剣流を沖田に譲るつもりで有ることを認めています。このときの広島行きは、長州が幕府をまともに相手にしようとはせず、騎兵隊上がりの宍戸備後介という軽格のものに応対をさせ、長州藩内への立ち入りを拒んだためにほとんど目的を果たせずに終わっています。
新選組幹部の会合。「伊東さんと武田さんには、私と共に広島に行ってもらう。」と自ら人選を行う近藤。「喜んでお供させて頂きます。うちの篠原も連れて行きましょう。いざという時に、使える男です。」と伊東。「私も参りましょう。」と自薦したのは谷三十郎。しかし、それを遮るように武田が声を上げます。「局長。私は、この度は留守居役を務める訳には参りませんか。」と、いつになく消極的な武田。「あなたには、是非私の側に居てもらいたい。」と近藤。彼は武田をなかなかに買っているようです。「それは、うれしいお言葉ではありますが、京の情勢が不穏な昨今、こちらに残って、土方さんの力になりたいと存じます。」と土方の肩を叩きながら言う武田に、近藤も「そういう事ならば。」と残留を認めます。「では、代わりに私がお供を仕りましょう。」と手を挙げる三十郎ですが、それに近藤が返事をする前に、加納が「長州の軍隊は、新式のミニエー銃を揃えておると聞きました。」と言い出します。「ミニエー銃?」近藤は三十郎から加納の方に気をとられてしまいます。「狙いの確かさが威力となり、これまでのものとは比較にならないとか。」それを受けて「是非、この目で確かめてみたいものです。」と言う伊東。これを聞いて武田は「ふん、銃ばかり新しいものを揃えても、所詮は借り着ではないか。」と吐き捨てますが、伊東も「しかし、我々も行く行くは西洋流の軍学を取り入れなければ、時流に取り残されます。」と譲りません。「あんなものは、この日本にはなじみません。我らには、武田信玄公以来の、我が甲州流軍学というすばらしいものがある!」と叫ぶ武田の横で、ずっと手を挙げている三十郎。憮然とした様子の伊東。「いずれにせよ、今どれだけ長州がどれだけ戦備を整えているか、後のために調べてこようと思う。土方君、留守をよろしく頼む。」「承知した。」とうとう、三十郎は無視されたままで終わってしまいます。
境内で調練を行っている隊士達。大砲を放って、小銃を撃ち、並べられた槍を次々に取って行きます。なかなかの訓練ぶりですが、廊下を歩く武田は「出来が悪い!教えたとおりにやらんか。」と不機嫌そうです。彼がやってきたのは、勘定方の河合のところでした。
「50両ですか!」と驚く河合。「なんとか、都合付けてはもらえないだろか。どうしても手に入れたいものがあるのだ。」と手を合わせて頼み込む武田。「無理ですよ。お金貯めて買ってください。」とつれなく断る河合。「急がなければ、人の手に渡ってしまうのだよ。私は、それを手に入れる為に、広島行きを断ったのだ。」となおも食い下がる武田ですが、「50両は無理ですよ。」と河合も譲りません。武田はついに「それくらいの蓄えはあるだろうが!」と恫喝に出ますが、「勝手に貸してしまったら、私が土方さんに叱られてしまいますから。勘弁してください。」と河合は土方を引き合いに出して断ってしまいます。前回原田には50両を貸してやったのですが、どうやらそのことで土方から釘を刺されていたようですね。
京の町で浪士達と斬り合う沖田の一番隊。隊士の一人が浪士に斬られ、沖田がその浪士を追いかけます。見事にその浪士を倒した沖田ですが、その直後、発作が沖田を襲います。咳き込んでうずくまる沖田。口に当てた手には血が付いていました。恐れていた再度の喀血が起きたのですね。
孝庵の下を訪れている沖田。診察を受けています。「はい、もう一回息吸うて、吐いて。」それだけで苦しそうな沖田を見て、孝庵はため息をついています。「なんで医者の言う事を聞かん。ん?養生せいと言うたはずじゃ。」「新撰組の一番組長が、養生なんか出来る訳ないでしょ。」「せめて、寝る暇くらいはちゃーんと取れ。」「5年でいいんです。あと5年元気で居られたらそれで良い。」「何で5年?」「そのころには、京の町も静かになっているからですよ。」沖田は、5年後の世の中をどう捉えていたのでしょうね。新選組の活躍で京の町は平和を取り戻すと思っていたのか、それとも幕府が滅びて新しい世の中になると漠然と感じていたのか。「ねえ、お願いしますよ。簡単な事でしょ。贅沢は言わないから、後5年元気で居させてくださいよ。」と甘えたように懇願する沖田ですが、孝庵は「あほぬかせ。こら、そんな不養生で5年も生きるつもりか。甘く見るのも、いい加減にせい!」と沖田の不心得を叱りつけます。「こんなところには二度と来るか、この藪医者!」と逆ギレを起こして飛び出していく沖田。「藪じゃと!」憤慨している孝庵。この二人のシーンは、毎回漫才を見ているようですね。
以下、明日に続きます。
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