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2004.09.20

新選組!29

新選組! 第37回「薩長同盟締結!」

1865年(慶応元年)閏5月、松本良順による隊士の健康診断。舌をべーと出しているのは藤堂平助です。彼は異常なしだったようですが、続く沖田の診断では医者も本人も深刻そうな顔をしています。ドラマのナレーションにあったとおり、新選組隊士の中に肺結核患者が一人居たと松本の残した「蘭疇自伝」に記されています。これが通常は沖田の事だと考えられていますが、「蘭疇自伝」の中には氏名までは記載されていない事から沖田とは限らないとし、沖田の発病を慶応3年頃と考える説もあります。

「労咳と見て間違いないでしょう。次に血を吐いたら、先は長くないと思う。とにかく養生する事です。」と近藤に向かって告げる松本良順。つらそうな表情で無言で聞いている近藤。そこへ井上が山崎を連れてきます。「うちの山崎君は鍼医の倅で、医術の心得があります。」と松本に紹介する近藤。「それは都合が良い。」「先生は新選組に怪我人が出た時のために、西洋医学の手ほどきをして下さるそうだ。」と近藤は山崎に向かって説明します。「後で、私の宿にきて下さい。刀傷の縫合の仕方を伝授します。」と山崎に向かっていう松本と、にこやかに「はい。」と請け合う山崎。「これから山崎君は、新選組のお抱え医師という事ですね。」と井上が言うのを受けて、近藤は「よろしくお願いします。」と医者としての山崎に依頼するかのように、丁寧に話しかけます。「喜んで。では後ほと゛。」と挨拶をして出て行く山崎。これも「蘭疇自伝」に出てくるエピソードですが、そこでは松本から救急法の手ほどきを受けた山崎自身が「私は新選組の医師です。」と言ったとあります。

ここでは省略されていますが、松本は近藤と土方に対して新選組の衛生管理について忠告を与え、病室や浴室の設置について助言をしています。土方は直ぐさまそれを実行し、松本に感銘を与えたと言います。また、松本は豚を庭に放って、残飯を与えて飼育するようにも伝え、さらにその肉食をも勧めています。これを新選組が境内において実行したのですが、このことが殺生を禁ずる仏教を冒涜するものだと受け取った西本願寺の更なる怒りを買う事に繋がって行くのでした。

「いよいよ、長州攻めが始まる。あなたも行かれるのですか。」と改まった調子で近藤に問いかける松本に、「そこには、出来れば加わりたいと思っています。」と近藤は答えます。番組の最後に出てきたように、この前後新選組では長州征伐への従軍を前提にした行軍録が作成されています。これには一次と二次があり、一次編成は伊東らが入隊してきた元治元年12月頃に、二次編成は慶応元年九月頃に作成されました。2つの行軍録が存在する理由は、2度に渡って行われた長州征伐にそれぞれ対応して作成されたからでしょうね。テレビに出ていたのは二次編成の方で、土方が近藤周助らに送った手紙に付されていた「行軍附」という絵図がそれにあたります。一次編成では副長助勤制から組長制に変更されており、各組長に原則として5人の隊士が配属されています。また二次編成では大幅に人数が増え、大銃隊、小銃隊などのように兵種毎に分けられているのが特徴です。副長助勤制の場合は各隊士に決まった配置があった訳ではなく、この組長制になってから誰がどの組に入るかが決められました。これは命令系統を明確にするための処置で、副長助勤制は平時のための体制、行軍録は軍事のための体制であった事が窺えます。また、それを裏付けるものとして、第一次の行軍録には九箇条からなる「軍中法度」が添付されており、その中には「組頭が戦死した場合は、その組の者は全員その場で戦死するまで戦う事」など、戦場での実戦を想定した非常に厳しい条文が含まれています。

「おやめなさい。」と決然と言い放つ松本に、「先生。」と意外そうな様子の近藤。「よからぬ企みがありそうだというだけで、何の証も無いまま一国を攻め滅ぼそうどしている。こんな事があって良いのですか。」なんだか最近もどこかであったような話ですが、「余所の藩が次は自分の藩だと疑心暗鬼を生ずるだけだ。病人と同じ。一つ無理をすれば、必ず次の無理を引き起こす事になる。」と松本に言われて、近藤は考え込んでしまいます。前回にも書いたように、幕府の内部で小栗上野介を中心として軍備を再編し、各大名を討って徳川家を中心とした郡県制を布くという構想が提唱されていました。これは公式な幕府の方針ではなく小栗の私案というのに近いのですが、これが巷説として各藩に流れて急速に幕府に対する同情が失われて行きます。松本はこうした背景を知っていて忠告しているのでしょうね。

下関で、桂とともに西郷を待つ龍馬。しかし、そこへやって来たのは中岡慎太郎と黒田了介でした。「お待たせして、すまん事でした。」と席に着く中岡に、坂本は「西郷さんは?」と聞きます。「すまん、西郷さんは、来れんかったき。」とつらそうに答える中岡。「ちょい待ちや、どういう事ぜよ。」という坂本の問いかけに中岡は「途中までは一緒やったけんど、急に京に向かわれた。将軍が上洛し、長州攻めが近こうなったがでや、京の動きが心配になったらしい。」と申し訳なさそうに事情を説明します。「それは、はなから判っちょった事じゃろうが。」「言い出いたら、聞く人やないき。知っちゅうろ。」というやりとりを苦い顔で聞いている桂。その桂に黒田が話しかけます。「桂先生、西郷先生は是非、京へ来て頂きたかち、もうされており申す。」そう言われた桂は、怒りを笑顔で押し隠し、「坂本君。」と呼びかけます。桂の怒りを感じ取って困った坂本は「言いたいことはわかっちゅう。」ととりなそうとしますが、桂は笑顔のままながら怒気を込めて「私は、西郷がわざわざやって来るというから、今日ここへ来たのだ。」と言い出します。それを聞いた中岡が両手をついて「いや、まこと、すまん事でした。」と謝まりますが、桂はそれを無視して、「西郷の手の内は読めておる。わざとじらして、こちらの出方を窺っておるのであろう。正直申し上げて、これ以上の屈辱を受けた覚えは無い!」と怒気を露わに席を立ち掛けます。「桂さん。」と止める中岡に「萩へ戻ります。」と静かに返す桂。そこへ黒田がかぶせるように「西郷先生が京でお待ちごわす。」と言い出したものですから、桂の怒りが爆発し、「なぜ私が京に行かねばならんのだ!」と黒田を怒鳴りつけてしまいます。しかし、黒田はあくまで冷静に「薩摩と長州のためでごわす。」と続けますが、桂は憤然として部屋を出て行きます。「桂さん!」と後を追う中岡。後に残った龍馬は、黙って酒をあおるばかりです。

下関に西郷が現れなかったのは事実で、京都の情勢が気になるからと言い訳したのも事実のようです。どうやら、いざ同盟締結となってみると、長州に対して疑心暗鬼が生じたものらしいですね。また、このとき黒田が西郷の代わりに下関に来たのかというと、そういう事実はありません。黒田が下関を訪れるのはこの年の12月の事で、桂を京都へ迎えるための使者としてでした。また、何度か触れているようにこの会談のお膳立てをしたのは中岡であって、龍馬ではありません。彼は、中岡とは全く別に、桂と薩長同盟についての話をするために下関に来ていたのですが、そこで中岡の仲立ちで西郷が下関まで来るという話を聞き、桂と共に待っていたのでした。ここで西郷が来なかったことによって薩長同盟は決裂の危機を迎えるのですが、そこで前回のドラマに出てきたビジネス、すなわち長州から兵糧を提供する代わりに薩摩名義で長州のために武器を購入するという救済策を龍馬が提案し、双方がこれを納得して飲んだ事で、やっと事態を進展させる事が出来たのでした。

仙波の妻であるお初の家を掃除している松原。先日の火事騒ぎで新しい家に引っ越したのでしょうか。手伝っているのは河合です。「まっちゃん、そろそろ戻らないと、見回りの刻限ですよ。」と河合に言われて「では、我々はこのへんで失礼します。大分、きれいになりましたね。」とお初に挨拶する松原。お初は何か言いかけますが、松原はそれをさえぎるように「ああ、別に俺たちの事は気にせんで下さい。されでは、失礼します。」と言って出て行こうとします。その松原の背中に向かってお初は、「あの、いろいろと、おおきに。ありがとうございました。」と礼の言葉を投げかけます。「いえ、いえ。」と言葉短く答えて外に出た松原は、「えいやぁー!」と気合い十分に大八車を引いて立ち去ります。後に残ったお初は、なにやら思わしげです。

西本願寺の新選組屯所。近藤が、破れて無惨に修理した跡のある掛け軸を原田、沖田、藤堂の3人に向かって示しています。バツが悪そうにうなだれている3人。その3人に向かって「西本願寺御家来の、西村殿だ。」と西村兼文を紹介する近藤。「よろしゅう、お願いします。」と挨拶する西村兼文は、このねこづらどきでも何度も引用している「新撰組始末記」を著した人ですね。「これを破ったのは、おまえ達だな。」と言う近藤に対して、「俺です。」と潔く認めたのは原田。「誘ったのは私です。」と庇うのは沖田。「私も側におりました。」と言ったのは藤堂。「なんで、ばれてんだよ。」とつぶやく原田に、「他に誰の顔も思い浮かばなかった。」と平然と言ってのける近藤。「読まれてる。」とあきれたような沖田。「はっきり申し上げて、ここの僧侶達は、皆さんの事をあまり良うは思てません。元々、京の人間は、よそ者を受け付けんとこがあります。ましてや、長州とは上手くやっていた事もあり、それを追い出した新選組を良う思わんのも、しょうがない事。」と言う西村。それを聞いた近藤は「西村さんは、どうお思いですか。」と問いかけますが、西村は「私は、元来の変わり者でして、京を守るために関東からお見えになった新選組の皆さんには、前々から関心はありました。その私が言うんですから、間違いない。僧侶達は、敵に回さん方が良い。」と言い切ります。そう言われて苦り切ったような表情の近藤が「でも、どうしたら許してもらえるんだろう。」とつぶやきますが、西村は「あえて言うなら、金で解決するしかないでしょう。」と答えます。沖田は「いくら払えば良いんですが。」と挑むように聞きますが、西村は落ち着いて「50両。」と返します。それを聞いてうなだれてしまう沖田。「自分らで、なんとかしろ。」と冷たく言い放つ近藤。「俺が破ったんだから、俺が払います。」と原田。「佐之助さん。」「私も払います。」と言う沖田と藤堂を原田は「良いんだよ、お前らは。」と遮り、西村に向かって「金は、払います。」と挑む様に言いますが、その尻から「ただ、ちょっとだけまけてくんないかな?」と頼み込みます。あきれたように原田を見やる近藤。しかし、西村に「申し訳ないが、この掛け軸、実際は、はるかに値打ちがあるもんです。50両というのは気持ちです。気持ちをケチったらあきません。」と諭すように言われて、原田達は返す言葉もなく、恥じ入るばかりです。

西村兼文は1832年(天保3年)の生まれで、家は代々西本願寺の侍臣であったため兼文もこの職を受け継いでいます。彼は「壮年の頃より、世情の奇事を記載するを好む」と言われた人柄で、「新撰組始末記」の他にも数々の幕末の出来事を綴った著作を残しています。いわば幕末のルポライターとでも言うべき人物であり、新選組についてもドラマの中のセリフにある様に、はやくから注目して記録を残していたようです。その彼の職場が新選組の屯所となって隊士達が詰めるようになり、西村は一層の興味を持って取材にあたったようです。明治以後も隊士の一人だった三木三郎と交流を持ち、初期の隊員の一人だった根岸友山とも接触を持っています。また、長倉新八の「浪士文久報国記事」を所有していたとされる松村巌とも交際があり、こうしたさまざまな取材源を元に書き上げたのが「新撰組始末記」でした。西村がその原型となるものを書いたのは明治の初め頃で、その後世に出すために加筆を加えて脱稿したのが明治22年の事、そして同27年に野史台という団体が発行した「維新資料」の中の一編として「新撰組始末記-一名壬生浪士始末記」と題して刊行されています。「新撰組始末記」は、やはり西本願寺側の立場から書かれたものらしく新選組に対して批判的な記述が多いのですが、反面この資料にしか記載されていない事実も多く、いかに西村が新選組に対して興味を抱いて綿密な取材をしていたかが判ります。「新撰組始末記」には、事実と創作が入り交じっておりそのままを信用する訳にはいかないようですが、同じ時代に同じ場所を生きたルポライターが残した貴重な記録として、価値の高い資料である事は間違いありません。

「頼む、50両、何とかしてくれよ。」と河合に頼み込む原田ですが、河合は「そんな、藪から棒に。」と困惑した様子です。その横から「私からも頼む。貸してやってくれ。」と永倉も口添えしてきます。「そう言われてもなあ。」と渋る河合に、「私が貸してやりたいが、コレが居るもんで、余分な金が無いんだ。」と小指を出して見せる永倉。それを見て「俺はさ、コレは居ないんだけど、余分な金は無いんだよ。」と永倉の真似をしてふざけてみせる原田。ここまで言われて河合は、「うーん、じゃこうしましょ。原田さんの給金から前渡しすると言うことで。」と救済案を出します。「そんな事出来るの?」「まあ、出来ない事はないです。」「じゃあ、お願いしちゃおかな。」と喜んで頼む原田。河合は帳場の金庫へと移動しながら「あ、一度に返してもらうのは原田さんも大変でしょうから、毎月5両づつ返してもらうというのはどうでしょう。」とさらに返済案まで出してやります。「ああ、いい手だねぇ。」と原田は感心した様に言い、河合は「ちょっと待って下さいね。」と首から提げた鍵で金庫を開け、50両を取り出し、「はい、じゃあ50両。」と原田に渡してやります。「はあ、おおおきに。もっと呉よ。」と喜ぶ原田と「良かったな。」と一緒になって喜んでやる永倉。

河合と50両と言うとドキッとしますが、これはまだ前振りだけのようですね。こうした面倒見の良さが河合の身上だったようで、他の隊士からの評判は上々だったようです。ちなみに新選組の給料は、後に直参として取り上げになった後の事ですが、局長が月に50両、副長が40両、副長助勤が30両、平隊士は10両でした。それ以前がどうだったか判りませんが、近藤が何人もの妾を抱えていた事から見ても、かなりの高給取りだった事は確かなようです。

そこへ「河合、今日はありがとな。」と松原がやって来ます。「とんでもない。」と笑顔で返す河合と「何だ、おまえも借りたのか。」と勘違いをして松原に話しかける原田。それを受けて松原は、「違いますよ。なあ河合、どう思った。」と真面目な調子で河合に聞きます。「お初さん?」「きれいな人だろう。」というやりとりを聞いて、原田が「何の話?」と割り込んできます。「いえ、別に。気にせんで下さい。」という松原に「て言うかですね、あなた聞いて欲しくてしゃべっているでしょ。」と突っ込みを入れる河合。「いや、そういうつもりではない。」と否定する松原ですが、「ひょっとして、例の後家さんの話か。」と永倉はすでに知っている様子です。「えっ、何、後家さんがどうしたの?」と一人知らない様子の原田に「こいつ結構、いい仲らしいんだ。」と説明してやります。「ほんとかよ。」「しかも、とびっきりの美人らしいじゃないか。」と永倉に言われて「綺麗は綺麗です。」とまんざらでもない様子の松原。「何だよ何だよ、ここは後家倒しのたまり場かよ、ちくしょう。」と永倉をこづく原田。「ねえ、ねえ、どこで知り合ったの?」「俺の話は。」「話したいくせに、この!」とじゃれあう原田と松原ですが、いつの間にか背後に土方が来ていました。

「元は長州の浪士のかみさんだったらしいな。」と土方に言われて、思わず黙り込む二人。「一応、調べさせてもらった。隊士の事は、何でも知っておきたいんでね。」と土方は松原達に近づき、「旦那を斬ったのは、こいつだ。」と原田に告げます。「えっ、じゃ、自分が斬った男の...。」と驚いた様子の原田。それを受けて土方は、「かみさんに手を出したんだ。」と続けます。松原は「待って下さい。そういう事ではありません。」と否定しかけますが、土方は「てめえの言っている事は、そういう事だろうが。」と強い調子でそれを遮り、「それを、自慢気にぺらぺら、ぺらぺら。どういう了見だ。」と松原に詰め寄ります。「手は出しておりません。」と答える松原に、河合は「松原さんは、斬った男に頼まれて、奥さんに金を届けに行ったんです。それで、暮らしに困っている奥さんを見て、つい情にほだされてしまったんです。」と助け船を出してやります。しかし、土方はそれを聞いていなかったかのように松原に向かって「忠司、法度の第一条を言ってみろ。」と迫ります。「士道に背く間敷き事。」「てめえのした事は、士道に背いているとは思わねえか。背いたものはどうなるか。」とさらに絡む土方の様子を見かねた永倉が、「ちょっと待て。手は出してないと言っているではないか。」と間に入って来ますが、土方は「出すとか出さねえとかじゃねえんだよ。斬った相手のかみさんに入れ込んで、家に通っているというのが、いけねえんだ。」と松原の急所を突きます。それを聞いて、追いつめられた表情の松原。土方は「女を見初めて、自分の物にしたいから旦那を斬ったという噂も流れている。」とさらに追い打ちをかけ、たまりかねた松原が「違います!神仏に誓って、それだけは違います。」と抗弁すると、「それだけ?ほう、後は本当って事か。」と揚げ足をとるように切り返します。土方のあまりの意地悪さに腹を立てた原田が、「いいじゃねえいかよ、手は出してないと言ってんだから。」と止めに入りますが、松原は開き直った様に「判りました。腹を切れば良いんですね。」と言い出します。これに対して、土方はあくまで冷酷に「詳しい事は、観察に調べさせている。沙汰を待て。」と言いますが、松原は「そんな手間は要りません。私は今、ここで腹を切る。」と言い放ち、隣の部屋へ行って腹をくつろげ、脇差しを抜いて切腹をしようとしかけます。あわてて止めに入る原田と永倉。「死なせて下さい!」「早まるな!」「こんな悔しい事はない!」「落ち付けって、ほら!」と脇差しを原田に取り上げられ、「わあっー!」と松原は泣き崩れます。その様子を隣室から冷酷に見つめる土方。永倉は「こんなやり方は間違っている。一体、何人仲間を死なせれば気が済むんだ!」と土方に迫りますが、土方は「隊の規律を守るのが俺の役目だ。」と冷たく言い残して、去っていきます。

1865年(慶応元年)9月1日。屯所の廊下を歩いている土方。その姿を見た隊士達は、蜘蛛の子を散らすように左右に分かれて礼をして迎え、逃げるようにして去っていきます。その様子を境内から見ていた稽古中の沖田が、「土方さんが厳しいからですよ。」と声を掛けます。「何が?」「みんな避けてるじゃないですか。」と注意する沖田に「気がつかなかった。誰かが締めて行かないと駄目なんだ。」と鬼の副長を自認している様子の土方。「可哀想ですよ、忠司さん。」と言う沖田に「可哀想なもんか。身から出た錆だ。」と言い捨てて、去っていきます。困ったみんだというような表情の沖田。廊下を歩いてきた土方は、部屋の中に掲げてある誠の隊旗を見つけて、じっと見入っています。

近藤の妾宅を訪れている沖田。「よく判らないけど、厳しいだけじゃ駄目なんじゃないかな。」「そんなに歳だって馬鹿じゃない。それくらいの事は判っている。」「一番損するのは、土方さんだと思いますよ。どんどん一人になって行く気がする。」「そんな事はない。俺も居るし、お前も居るし、それに源さんだって。」やはり近藤にとっても、この4人が新選組の中核なんですね。何があっても裏切らないと心から信用できるのは、同郷で同門である仲間だと言うことのようです。そこへお幸が「すみません。今、お湯沸かしてますので。」と茶菓子を持って入ってきます。ところが、沖田は「すぐに失礼しますから、お構いなく。」と落ち着かない様子です。「そう言わんと、ゆっくりして行って下さい。」とお幸が言うにもかかわらず、沖田は「いえ、あのほんとに。これから見回りなんで。それじゃあ。」とそそくさと出て行きます。近藤は、「すまん。」と沖田に代わってお幸に謝りますが、お幸は笑って「うち、まるで後添えみたいやなあ、て。沖田はんは、先生の息子はんや。」と言います。まるで、継母と継子の関係みたいだと言いたいのでしょうか。「確かにそうだ。」と近藤も認めています。

新選組の屯所。斉藤と河合が話をしています。「何時のことだ。」「たった今。お初さんの使いだという人が来て、まっちゃんに手紙を。お世話になったお礼に、ごちそうしたいって。止めたんですけど、良い機会だから、話してくるって。馬鹿でしょう。土方さんに知られたら、また何て言われるか。」と松原を心配する河合ですが、「俺が心配しているのは、そんな事じゃない。」と考え深げな斉藤です。

会津藩本陣、金戒光明寺。近藤が会津藩の公用人広沢と会っています。「薩摩と長州の動きが怪しい。」「薩摩と長州が。」「噂によれば、西郷と桂が下関で会ったとか会わないとか。」「しかし、薩摩はよりによって長州と。」「俄には信じがたい話だが、もしやという事がある。その一件に関わっていると思われる者達だ。」と広沢は書き物を取り出して、近藤に示します。「この者達の動きを調べ、逐一報告しろ。薩摩の西郷、大久保、黒田、長州の桂、高杉、土佐の中岡、坂本。」ここまで聞いて「坂本。」と思わずつぶやく近藤。「知っておるのか。」「はい、いささか面識はございます。」「薩摩と長州を結びつけようとしているのは、その者らしい。」そう聞かされて、動揺を隠せない近藤。「見つけ次第、捕らえろ。」と命じられ近藤は「かしこまりました。」と答えます。

この時点では、幕府は薩摩藩の動きが怪しいとまでは掴んでいましたが、実際には何が起きようとしているのかまでは判っていなかったようです。ただ、不穏な動きがあると見て、京都のみならず大阪の取り締まりを厳重にしていました。新選組も八軒屋の船着き場で人別改めを行ったりしています。また、土佐脱藩の浪士である龍馬も、当然取り締まりの対象になっていました。

夕方、お初の家を訪れている松原。座敷で座っている松原の前には膳がしつらえられており、お初は台所で料理の支度をしています。「ほんまに、この度はありがとうございました。」「お役に立てて嬉しいです。」「松原さんが、うちの人を斬ったと知ったときは、殺してやりたいと思てました。本気で仇を討とうと思た事もありました。」そう聞かされて、張り付いたような表情になる松原。「でも、今は違います。」と行って、盆に料理をのせて運ぶお初ですが、台所には小刃の鞘が残されています。「今はむしろ、夫を斬ったのが松原さんで良かったと思てます。」「俺はただ、あなたが不憫に思ったから。」お初は立ち上がって障子の向こうの庭を眺めながら「ひょっとしたら、夫があなたを引き合わせてくれたのかも知れませんね。」と松原に語りかけ、思い詰めたように障子を閉めます。「お初さん、私たちは、もう会わない方が良いと思うのです。」と松原に言われて、思わず振り向くお初。「なんで。」「俺があんたに会う事を、色々言うやつらがおるんです。」という松原の言葉を聞いたお初は、松原の側に座って「何言われても構ましまへん。」と詰め寄ります。「いくら俺があんたに尽くしても、ご亭主を斬った事には変わりはない。やはりこれ以上、わしらは会うべきではないのです。」「いやや。」「お初さん。」「うちを見捨てんといて。」「もし、お金にお困りの様でしたら。」と言いかける松原に、お初は膳を除けて、松原にしなだれ掛けます。「お金の事やないの。」お初はそう言って、松原をじっと見つめ、松原の胸にもたれかけます。当惑して、「お初さん。」と言うのが精一杯の松原。ところが、お初は懐に忍ばせていた小刀を取り出し、松原に突き立てます。苦痛に顔をゆがめ、お初を突き飛ばす松原。されを無表情に見つめているお初。松原は、苦悶の表情でお初を見ていますが、何もせず、黙っています。思わず立ち上がって、松原を見下ろすお初。そこへ、斉藤が駆けつけてきます。苦痛のために突っ伏す松原と、冷ややかに見下ろしているお初。斉藤は、一目で何があったのか分かった様子です。お初を斬ろうと刀を抜き掛ける斉藤ですが、松原が抱きついて、それを止めます。苦しい中、口をきけない状態ながら、目顔でお初を斬るなと懸命に止める松原。斉藤は、その様子に刀を抜くことが出来ません。血を吐いて、再び突っ伏す松原。それを見る斉藤の表情は、悲痛です。松原は、お初の方に精一杯の笑顔を向け、次に斉藤に向かって無言で介錯をしてくれと頼んでいる様子です。斉藤は、それが判ったのでしょう、ほとんど泣きそうな表情で、松原にとどめを刺してやります。崩れ落ち、息絶える松原。その様子をどこかほっとしたように、呆然と見つめているお初。斉藤は、そのお初を、一刀の下に切り捨ててしまいます。

知らせを受けて、検分に来ている土方。松原に刺さっていた小刀を抜いて調べています。「届けにはなんとしますか。」と聞いたのは島田。「松原は女を斬り、自ら命を絶った。」「よろしいんですか。」「女にやられたとは、書けんだろう。」と言いながら、土方は台所の手ぬぐいで小刀の血糊を拭き取ります。「松原は、俺に二人の中を咎められて、女と心中したんだ。」「壬生心中か。」とつぶやく島田。「それでは、あんたが悪者になる。」と土方に向かって言う斉藤。しかし、土方は小刀を鞘に収めながら、「願ってもない筋運びだ。」と軽く笑って出て行きます。

子母澤寛が書いた壬生心中では、松原は土方に咎められた後、自室に戻って切腹をしようと腹に刀を突き立てた所を、篠原泰之進に止められた事になっています。一命を取り留めたあと再び隊務に戻りますが、4番組長としての仕事はせず、ついには平隊士に落とされてしまいます。そうこうするうちに、先に切腹をしかけたときの傷が悪化し始め、また隊内での立場もなくなって、せっぱ詰まった松原は妻女と心中を遂げたとあります。この間、松原を心配した妻女が、何度ちなく屯所の前に現れたと伝えられています。この壬生心中は、あまりにも出来過ぎていることから子母澤寛の創作と見る向きが多いようですが、事実あった事だと考える研究者も居ます。このあたりが、新選組始末記を読む上で、やっかいな部分なのですよね。西村の新撰組始末記には、いささかの失策があって、切腹しかけた所を側に居た人物に助けられ、傷が治って平隊士として復帰しますが、まもなく死んだとなっています。おそらくは、この記述を元に子母澤寛が話を膨らませたものと思われますが、壬生にこの話の原型となる言い伝えが残されていたという可能性も否定仕切れません。真相は藪の中ですが、こうした物語が殺伐とした新選組の中にあっても良いのかなという気もしますね。

屯所で、近藤に報告書を見せている土方。近藤が座っている場所だけが畳で高くなっています。局長の座という訳なのでしょうか。「あいつは、真面目な男だった。」と残念そうな近藤。「真面目なだけに、思い詰めてしまったのだろう。」「手厚く、葬ってやれ。」という近藤の言葉に、うなずく土方。「俺が聞いた話とは、少し違うが、まあいい。」という近藤の言葉を聞いて、土方は意外そうです。「斉藤君。」と呼ばれて、奥から斉藤が出てきます。斉藤が全てを近藤に話していたのですね。「近藤さんも、人が悪い。」と苦笑する土方。「お前達には、礼を言う。最後まで女を救おうとした松原の思い。その松原の仇を討った斉藤の思い。そして、全てを自分のせいにして納めたお前の思い。それぞれの思い、しかと受け止めた。」と静かに言う近藤は、局長としての器を感じさせます。近藤は、部屋の外の廊下に出て外を眺めながら、「時代は訳の分からない所へ進もうとしている。一体、誰が敵で誰が見方なのか。だからこそ、俺たちは今まで以上に一つにならなければならない。そのために大事なのは、鉄の結束と人を思う心だ。これから何が起ころうと、どんな事があろうと。」と土方と斉藤に語りかけます。

以下、明日に続きます。

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