新選組!24
新選組!第32回「山南脱走」
冒頭、土方を殴り飛ばす近藤局長。「誰も死ぬ事は無かった!」近藤にすれば、会津候の前で頭を下げてまで和解を果たしたのですから、今さら誰かに責めを負わせて死なせる必要は感じなかったのでしょうね。「甘すぎるんだよ。あいつらのやった事は謀反だ。謀反人は切腹だ。当たり前だ。」と明快に言い切る土方。新選組を同志の集まりと捉えている近藤に対して、戦闘を目的とする一つの組織として運営していこうとする土方の違いが、端的に表れています。あくまでこのドラマの設定上での事ですが。「こんな言い方はおかしいと思いますが、土方さんは永倉さんや佐之助さんに死んで欲しく無かったから、葛山さんに...。」と、火に油を注ぐような言い方をする沖田。案の定、「うるさい!」と近藤に一喝されて黙ってしまいます。近藤にすれば葛山とて同志の一員ですから、仲間に軽重を付けるような沖田の言い方は癇に触ったのでしょうね。「こんな事を続けていては、隊士の心は離れて行くだけだ!」「逆だろ。これで、俺たちに逆らうとどうなるか、他の隊士にも判ったはずだ。」非情にも葛山を切腹させた土方の狙いはここにありました。「新選組は烏合の衆だ。法度で縛るしかないんだよ!」と叫ぶ土方。これが新選組の体質と言うべき弱点であり、それを補うために行った峻烈な隊規の執行が、新選組の強さを産み出して行った事も間違いないと思われます。しかしまた、それが新選組の限界でもありました。新選組隊士の死亡原因として最多のものが、内部粛清によるものという事実が雄弁に物語っています。隊規以外に指針を持たない新選組は、京都における警察組織にとどまり、遂に歴史の主流をなす存在とはなり得なかったのでした。
「付いて来れない者が出てくればどうする。」「法度を厳しくするだけだ。」「脱走するものだって...。」「脱走すれば切腹だ!」山南の悲劇へと繋がっていく予感がします。「総司でもか。」近藤と土方にとって、最も大切な存在なのは沖田です。土方はためらいを見せながらも、「総司でもだ。上に立つ者なら、なおさらだ。」と言い切ります。「俺でもか。」と近藤。「当たり前だろ。」と近藤に詰め寄りながら言い放つ土方。非情ですが、土方には覚悟を決めた男の格好良さがあります。
新選組の屯所。幹部達が集まっている前に、伊東甲子太郎が居ます。「この度は、名高き新選組に加えて頂き、恐悦至極。この伊東大蔵改め甲子太郎、身命を賭して、尽忠報国に勤める所存でおります。共に手を携え、上様のご恩に報いましょう。」とあいさつする伊東は、なかなかの才子ぶりです。彼は上洛に際して、この年の干支にちなんで甲子太郎と改めたのでした。「また、俺の苦手な男が現れた。」と早くも敵意を見せる土方。またというのは、山南に続いてという意味なのでしょうか。「伊東先生には、新選組の参謀を務めて頂きたい。」と近藤。物思わしげに伊東を見やる山南。彼もまた、伊東の態度にうさんくささを感じているのでしょうか。実際には、伊東はこの参謀になる前に、一度2番隊長に就いています。参謀になるのは、翌1865年(慶応元年)の5月頃にあった編成変えの時でした。
別室に控えていた伊東一派の下に帰った伊東。「暫くはまだ、近藤らと足並みを揃えていく事にする。しかし、あくまでも我らが目指すのは真の尊王攘夷。会津の手先となっている近藤達とは、そもそもの志が違う。まずは、この新選組を内側から作り替え、歴史の表舞台へと飛び出す足掛かりとする。このこと、くれぐれも忘れぬよう。」と門人達に念を押します。彼が新選組に入った狙いについては、有力なものとして前回紹介した藤堂と新撰組乗っ取りを目指したという密約説があります。ただ、「新撰組顛末記」の記述は永倉が直接聞いたものではなく、どこまで信を置いて良いか疑問があります。しかし、彼がこの後新選組内において独自の勢力を築き上げていく事は事実で、密約説の真偽はともかく、新選組を飛躍のための足掛かりにしようとした事は確かなようです。
「これを、桂先生に。」と幾松から荷物を預かっているのは捨助です。背後には、数人の浪士達が控えています。「幾松姉さんからも言ってやって下さい。こいつ、どうしても桂先生の居場所を言わないんです。」と浪士達。「教える訳ねえだろ。誰にも言うなと、釘を刺されて居るんだよ、先生に。」と強気な捨助。「一番知りたいのは、うちどす。」と幾松。「気持ちは判りますが、合わせる訳にはいきません。なにしろ、この捨助にしか会わねえと、先生がおっしゃるものだから。しょうがねえやな。」「用心深いお方やから。」と幾松はため息をつきます。「それよりも、こっちの方お願いします。」と手を出す捨助。背後の浪士達も、うさんくさげに見ています。「この間渡したばかりやないですか。」「こいつらに飯喰わしたりとかさあ、何かと要りようなんです。」という捨助の背後で、浪士達は文句を言いたそうです。仕方がないという風に、金の包みを渡す幾松。彼女にしてみれば、桂が捨助に頼んだ場に居た訳ですから、嫌とは言えないのでしょうね。「ようし、みんな、けえるぞ!」と浪士達に居丈高に言う捨助。「調子に乗るんじゃない。天狗になりやがって。」と苦々しげに言う浪士。うーん、なにやら伏線の臭いがします。「俺にむかってな、偉そうな口叩くんじゃねえぞ。俺を通さなきゃ、桂先生とやりとり出来ないと言う事を忘れるな。」捨助は、自分の値打ちがどこにあるのか、ちゃんと把握しているのですね。哀しげな幾松。本当なら、自分が桂と直接繋がっている捨助の役目をしたかったのでしょうね。
捨助を先頭に、町中を歩く浪士達。「まずい、新選組だ。」「嘘だろ。」といち早く逃げる捨助。現れたのは、沖田と原田の率いる一隊でした。新選組と斬り合う浪士達を余所に、捨助はこそこそと身を隠し、風呂敷で顔を覆います。沖田に顔を見られてはまずいと思ったのでしょうね。「天狗、逃げろ!」浪士の一人が叫びます。名前を出す訳にはいかないので、とっさに出た言葉だったのでしょうね。「天狗、今だ!」「早く行け、天狗!」口々に叫ぶ浪士達。「天狗?」とつぶやく原田。風呂敷で覆面をしたまま逃げる捨助。その後ろ姿を見送りながら、「天狗?」と繰り返す沖田。うーん、鞍馬天狗まで出てくるのかい?
新選組の屯所。入り口には、長槍を持った門衛が立っています。中では、幹部会議が開かれています。近藤の席は空席で、最上席には山南総長、その向かいには土方副長、山南の隣には伊東参謀が座っています。「隊士も70名に増え、ここも手狭になってきた。そこで、新しい場所に引っ越そうと思う。」と切り出す土方。「えー、引っ越すんですか。私はここが良いな。」と沖田。「俺もここが良いな。御所にも近いしさ、遊ぶ場所も沢山あるじゃねえか。」と原田。どうも、原田の発言は、どこかポイントがずれています。「しかし、八木さんや前川さんの事も考えてあげましょう。そもそも、ふた月ほどの約束だったのが、我々がここに来てから2年が過ぎている。」と気配りを見せる山南。なぜか、面白くなさそうな土方。彼にしてみれば八木家に対する気遣いよりも、もっと本質的な事を議題にしたかったのでしょうね。「お待ち下さい。」と末席から立ち上がったのは、武田観柳斎。「屯所の引っ越しは新選組の重大事。そのようなことを、近藤局長がおられない時に決めるというのは、いかがなものであろうか。」と居丈高に言い出します。なるほどもっともな意見ですが、土方は「近藤先生からは、一任を受けている。腰ぎんちゃくは、黙ってろ。」と、とうとう武田に対する不満が爆発します。やっぱり、ずっと溜まっていたのですね。それに、土方としては隊の統制をより強くしていくために、何かに付け副長よりも目立とうとする武田のような存在は極力抑えていくよりないと覚悟したのでしょう。愕然とする武田の表情が面白いです。「引っ越しすると言っても、場所のあてはあるのか。」「西本願寺だ。」と土方。「あそこには、300畳のお堂があって、しかもほとんど使われていないんだ。」と説明する島田魁。当時、太鼓楼の西側にあった北集会所の事で、この建物は姫路市にある本徳寺の本堂になっています。ここは以前に番組の最後の紹介で出て来ましたね。 「たまに全国の坊さんが集まる、なんとかという儀式の時だけなんです。」1年に一度行われる報恩講の事でしょうか。島田は、後に西本願寺の警備員となっており、なにやら因縁を感じさせる役回りですね。「素晴らしい。本願寺なら、新選組の新しい屯所に相応しい。」と伊東。自分の一門に言い渡したように、暫くは隊の方針には逆らわないという事なのですね。「よろしいですか。」と武田。「腰ぎんちゃくというのは、あまりにも失礼じゃありませんか。」「ずっと気にしてたんだ。」とまた要らぬ事を言い出す沖田。「私は、兵学師範として、局長の厚いご信用を頂いております。私を腰ぎんちゃくと罵るは、近藤局長をも罵倒した事になりますぞ。お気をつけ頂きたい。」とやはり虎の威を借る観のぬぐえない武田。無視する土方と、それを見て冷笑する伊東。彼は、新選組内部の人間関係を把握しようと勤めているようですね。「もう、本願寺で良いんじゃねえか。近いしよ。でも、おれ本願寺をうろうろしていたら、坊主と間違えられちゃったりして。ナハハ。」とあくまで脳天気な原田。それを無視するように「本願寺は長州と繋がっている節がある。そこに俺たちが乗り込めば、坊主達も下手な動きは出来まい。一挙に両得だ。」と発言する土方。西本願寺は、確かに長州と繋がっていました。そもそもの縁は戦国末期にまで遡り、信長と戦った石山合戦の際に本願寺を援助してくれたのが毛利家で、それ以来の繋がりが続いていました。幕末期の西本願寺は勤王思想が強く、全国の末寺に対し勤王攘夷を呼びかけており、一門の僧の多くを長州出身者が占めるようになっていました。当時の門主広如上人は、蛤御門の変で落ち延びてきた長州兵を匿って京都から逃がしてやった事があり、新選組はそれ以来西本願寺に対して目を光らせるようになっていて、境内に潜んでいた不逞浪士を捕縛した事もあります。土方の発言の背景には、このような事情がありました。「申し訳ないが、私は承服いたしかねる。それは、言葉を換えれば、力を持って西本願寺を制するという事になる。親鸞上人以来、由緒正しい寺院に対し、あまりにも礼儀に反するのではないだろうか。」と山南。彼が西本願寺移転に反対した事は、西村兼文の「新撰組始末記」や子母澤寛の「新選組始末記」に出て来ます。そして、どちらも山南の反乱の直接の原因は、この意見に近藤と土方が耳を貸さなかったからだとしています。「由緒なんてどうでも良い。長州とつるんでいるやつはみんな、俺たちの敵だ。」と土方。「山南さんの言うとおりだ。本願寺は、多くの人々の信仰を集める洛中屈指の寺。そこをないがしろにすれば、我々はますます評判を落とす。」と永倉。この永倉の懸念は、現実のものとなります。西本願寺に対する嫌がらせのつもりで行った数々の所行が京都の人々に対しても苦々しく映り、せっかく池田屋事件以来良くなってきていた新選組の評判は急速に落ちていく事になりましす。「永倉さんは、人の目を気にするお方のようだが、俺はこっちのやつらにどう思われようが、構わないね。」と土方。しかし、京都人の評価が落ちるという事は新選組に対する協力も無くなるという事であり、結果として新選組にとってはマイナスに働いたと見て良いようです。「長州に対して目を光らせるのは判ります。しかし、そういった由緒ある寺院を、そういった生臭い事で汚すのはどうだろうか。」と山南。実際、西本願寺の境内の北側を借りた新選組は、その敷地内に斬首の時に使う土壇を作ったり、また栄養補給のために豚を飼って、その肉を煮たりしていたようです。およそ、寺院において相応しくない行いで、今でも西本願寺は新選組を快く思っていないらしく、新選組ブームに沸く京都にあって境内に何の案内もしてありませんし、ホームページにも記載がありません。これに対して、異議を出したのは、意外な事に伊東でした。「これは異な事を申されますな、山南殿。あなたは今汚すとおっしゃった。あなたは、新選組の使命を汚れたものとお考えか。」伊東は、なかなか議論上手な様ですね。「本願寺は、古く戦国の世から、政には深くかかわって来ている。そもそも、家康公が太閤秀吉と競い合っていた折りに、太閤に付いた準如上人が西本願寺を継ぎ、それに対して家康公が教如上人を推挙されてお作りなったのが東本願寺である。ご存知か。」と山南に聞く伊東。知らなかったのか、黙ってしまった山南。「山南さんの負け。」とまたしても余計な事を言い出す沖田。その成立の事情から東本願寺が佐幕派で、西本願寺は勤王派という事は当時の常識で、山南が知らなかった筈はないと思うのですが...。ただし、東本願寺の成立は関ヶ原の合戦が終わった後の1602年の事で、このとき既に太閤秀吉は亡くなっています。「土方さん、この話し、是非。」と伊東。土方に恩を売ったつもりなのでしょうか。「では、早速本願寺と話を始めようと思うが、ご異存はあるまいな。」と山南を見る土方。苦しげな山南。
とある寺(西本観寺?)を訪ねてきた捨助。「先生、先生。」と床下に向かって呼びかけます。「先生と呼ぶな。」と跳ね起きたのは、乞食に身をやつした桂でした。「幾松姉さんからあんたにって。」と包みを渡す捨助。なにやら、冊子のようです。「良く覚えていたな。ずっと探していたんだ。幾松は、そういう女だ。」と桂。桂は、おもむろに「はたき」を取りだして、捨助に渡します。「仕事だ。」「大掃除?」とどこまでもとんちんかんな捨助。「それを、ある方に届けて欲しい。洛北にある岩倉村に友山という名の坊主が暮らしている。岩倉公なら判ってくれるはず。」なにやら沢山書かれた字がポイントになりそうなはたきですね。実際には、この頃には桂は京都にはおらず、出石で潜伏をしていました。2年近くに及ぶ見事な隠れっぷりで、現地妻まで居たそうですね。
新選組屯所の中庭。多くの隊士が稽古をしています。なにやら、揉めている様子。「もうちょっと、向こうでやってくれないか。」と松原。「先に始めたのは、我らだ。」と篠原。「篠原さん、その辺にしておきましょう。」と止めに入ったのは加納。彼は、当分の間は近藤派と足並みを揃えるという伊東の言いつけを、忠実に守ろうとしているのですね。その様子を見守る山南。「芹沢達を思い出す。同じ事の繰り返しだ。」と山南に話しかける永倉。庭では、松原と篠原が喧嘩を始めています。この二人は共に柔術家であり、喧嘩というより柔術の試合と言った方が良いのかも知れません。また、松原を主人公とする壬生心中では、篠原と松原は仲の良い友達として描かれています。もしかしたら、この喧嘩で、二人の仲が急速に良くなるという設定なのかも知れません。「時代は目の前で動いているのに、我々は何をやっているのか。」と山南。彼は、ずっと同じ事を考え続けているのですね。表情が、どこか寂しそうです。
縁側で、西本願寺の図面を見ている土方。そこへ伊東がやってきます。「だんだん、みなさんの関係が判ってきました。原田君の発言には、なぜ誰も応じないのですか。」「今にあんたにも判る。」彼の発言は、行き当たりばったりだものね。いまいましげに、席を立ち、部屋の中に入ってしまう土方。平然と後を追う伊東。「山南君とは、上手く行ってない様ですね。」「そんな事はねえ。」「彼はやや、隊の中で孤立している観がある。」と伊東。「山南君は雄弁ではあるが、詰めが甘い。沈着を装っているが、案外情に動かされる方ではありませんか。」短い間に、良く見ています。「山南の悪口は、言って欲しくねえな。」と土方。「ほうっ。嫌っておられるのかとばかり。」「別段好きでもないが、つき合いが古いんでね。昨日今日やって来たくせに、でかい顔をして知ったふうな口をきく、だれかさんよりははるかにましって事ですよ。」と早くも喧嘩を売るモードの土方。笑ってかわす伊東。土方には、伊東の魂胆が見え透いているかのようですね。しかし、このやりとりは、山南に聞かせてやりたかったですね。永倉の「新撰組顛末記」では、山南は同じ勤王思想を持つ伊東と肝胆相照らす仲となり、そのうちに一つの黙契が出来たとあります。これが近藤の知る所となったため脱走に至ったとあり、このドラマの設定とは異なりますね。
まだ15分ぶんしか出来てない...。この続きは、明日アップします。
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