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2004.08.02

新選組!22

新選組!第30回「永倉新八、反乱」

冒頭、龍馬とおりょうの会話。日本の行く末を心配する龍馬に対し、おりょうは自分の心配もして欲しいと言い寄ります。龍馬は、寺田屋を訪ね、お登勢におりょうを預けることにします。「働き者で、良く気が付くとどこでも言われます。」と自分を売り込むおりょう。奔放と言われた性格を表しているのですね。「こう見えても寂しがりなんやから。」と龍馬に甘えるおりょう。龍馬は、そんなおりょうを持てあましながらも、段々と惹かれていくのですね。そのお登勢とおりょうの会話。「近頃、あの人は訳のわからない事を口走ってますし。」「なんて口走ってるの。」「日本を洗濯しちゃるて。」お登勢とおりょうの洗濯をする仕草が面白いですね。この「日本を洗濯する」というのは、1863年(文久3年)6月29日付けで龍馬から姉乙女に充てた手紙の中の一節にある言葉です。その手紙の中で龍馬は長州が行った外国船砲撃に触れ、「長州と戦って傷ついた外国船を、事もあろうに幕府が修理してやり、その船が再び長州を攻撃している。これは、外国と通じた姦吏が行っているものだ。」と指摘しています。元々、長州が外国船を砲撃したのは、幕府が朝廷から迫られた攘夷実行について、苦し紛れながら5月10日を期限として実行すると約束した事に端を発していました。いわば長州は幕命を忠実に実行したにも係わらず、幕府はその長州を庇うどころか長州を攻撃する外国の後押しをしていると憤っているのです。そして、これに続けて「二三家の大名とやくそくをかたくし、同志をつのり、朝廷より先ず神州をたもつの大本を立たて」「右姦吏を一事に戦いたし打殺、日本を今一度せんたくいたし申し候事にいたすべくとの神願いにて候。」とあります。朝廷を前面に押し出し、日本に巣くう姦吏を一掃してやると闘志を露わにしているのですが、この段階ではまだ倒幕とまでは言っておらず、ここで言う「洗濯」とは無能な幕府の役人を追い出し、雄藩や同志による幕政改革を行うという事であったようです。ただドラマでは、この手紙から一年以上後の事でもあり、既に倒幕を決意している様子が伺えますね。

会津藩の本陣で恩賞を受け取る近藤達。600両とありますが、内訳は会津藩から500両、朝廷から100両下されています。手柄は無かったと辞退する近藤に対し、池田屋事件に対する褒美と聞かされ、「ありがたく頂戴します。」と答えたのは土方。副長が局長を飛び越して答えちゃって良いのかな。一緒にいるのは井上で山南総長はこの席に居ないのですね。「公儀直参に取り立てる例の話も進んでいる。」と会津藩士。実際に、池田屋事件直後に、近藤を与力上席に取り立てると老中から内意がありました。近藤は、故郷への手紙の中でこれを受けるべきか師匠や多摩の有力者達に相談していますが、結局は新選組局長のままで居る事を選択し、取り立ての話は辞退しています。

薩摩藩邸で、大島吉之助と会う坂本龍馬。特に用事はなく、勝海舟から金平糖を預かってきたと手渡します。西郷隆盛はお酒の飲めない下戸で、甘党だったらしいですね。それにしても、近藤といい西郷といい、豪傑と言われている人が、実は下戸で甘いものが好きだったというのもなんだか面白いですね。ここでさりげなく、龍馬は長州処分についての大島の腹を探ります。大島は、この際長州を滅ぼす絶好のチャンスと捉えていました。実際、この頃の西郷は、仇敵長州を滅ぼすか、さもなくばせいぜい5、6万石程度の小藩にしてしまおうと考えていました。しかし、幕府とのやりとりをしていく内に意見の相違が生じ、このまま長州を滅ぼしてしまうと幕府を利するばかりと気づき、責任者の切腹や、京都から落ち延びている5卿の太宰府への移転など比較的軽い処分で済ませ、長州を温存する方向に転じています。

新選組屯所で、酒を酌み交わす近藤と土方の姿。座敷には、拝領した600両が置かれています。「一年と半年、ここまでこれれば大したもんだ。」と感慨にふける土方。「頑張ったな、俺たち。」「頑張った。」そこにやってくる井上と沖田。「山南さんも来たがっていましたが。」と井上。「今日は試衛館生え抜きの4人で飲むんだ。」と土方。やはり、新選組のコアになっているのは、試衛館の面々なのですね。山南も永倉も原田も、所詮は余所者扱いなのか。そこへやってくる山南。間の悪そうな空気が流れます。「私もよろしいでしようか。」と気弱な感じの山南。さすがに近藤は屈託無く招き入れます。近藤におめでとうと言いかける山南の話の腰を折るように、土方が恩賞金の分配について話し始めます。この二人、いつの間に隙が出来てしまったのでしょうね。先日の軍議の席でのやりとりが尾を引いているのでしょうか。それとも、裏で何かあったのかな。これからのために残しておいてはどうかという山南の提案に土方は耳を貸そうともせず、池田屋の働きに応じて分ける事に決めてしまいます。それは、留守部隊には一両も与えず、実戦で働いたものだけに分配するという徹底した実績主義でした。局長は30両、副長は23両、最初に突入した部隊は20両、土方隊は17両、松原隊は15両という分配です。なるほど、井上を土方隊に回していたのは、この分配法と辻褄を合わせるためだったのですね。この分配法についてはよく見かける説で、大体の所はこのとおりだと思われます。しかし、松原隊は実際には井上隊であり全部で11人であったはずですが、15両を貰っているのは井上を除いて12名、倅周平は近藤と共に最初に飛び込んで戦っているはずですが、この15両の組に入っているなど疑問点も幾つかあります。ですから、そう単純なものではなかったのではないかと思えるのですが、いかがなものでしょうか。
それにしても、妙に弱気な山南と意地悪いとさえ思える程強気な土方が気になりますね。

報奨金の分配の場面。松原と浅野と尾関の会話。20両貰って得意がっている浅野と出遅れたと悔しがる松原。そして、留守部隊だった故に恩賞金なしの尾関。「私は私なりにお役目を務めていたつもりだったのですが。」と拗ねている様子。それを見ていた永倉が納得いかない様子です。

医者の下を訪れる沖田。孝庵が木の筒の様なものを沖田の背中に当てていますが、あれは昔の聴診器だったのでしょうか。「あんたらが長州を焚きつけるもんやから、京の町は大変な事になってしもた。」と怒りをぶつける孝庵。実際、京都の町衆の迷惑は、計り知れないものがあったでしょうね。嫌味のひとつも言いたくなるというものです。「ここは憎まれ口を聞いてやらないと診てもらえないのですか。」「そうや、今気ぃついたんか。」この二人、なんだか漫才コンビのような関係になってますね。「で、どうなんですか、私の身体は。」「人の身体の事なんか知らん。」と無責任な孝庵。「それは儂が聞く事や。」この当時の医療水準なら、実際こんな風だったかも知れませんね。今でも、自覚症状が主な病気の場合は、こんな具合らしいですね。「変わりが無いと言う事は、御の字なんや。」と孝庵。「爺になったつもりで過ごせ。」と言われ、へこむ沖田。沖田と入れ違いに診察室に入る老人。何か曰くありげです。

再び新選組屯所。寝ころびながら、ひでと将棋崩しに興じる原田。「どうも近頃腹の立つ事が多い。なぜ、屯所に残ったものに恩賞が出ない。」と憤る永倉。確かに、おかしな点ではありますね。「お前の処分だってそうだ、謹慎は無いだろう。」とこれは原田に。「江戸からずっと謹慎している様なもんだからな。」と屈託のない原田。でも、禁門の変の前に定められた軍中法度からすれば、謹慎で済んだだけでも儲けものという気がしますが。「俺たちは雇われものではない。同じ思いで集まった同志。それを土方さんは忘れている。」と永倉。確かに、永倉達は近藤から扶持を受けている訳ではなく、主従関係がある訳ではありませんでした。そこにやってきたおまさ。原田が自分のために謹慎になったと聞いて様子を見に来たのでした。「お店を一緒に建て直そうね。」と原田。戦いになると非情な面を見せますが、普段はとても優しい男なのですね。

三味線を弾く土方。そこへ沖田が現れます。土方に呼ばれたのですね。「それを見てみろ。」と土方。隊の新体制の案が書かれていたのですが、沖田はそれをすっ飛ばして土方の俳句を読み出します。「うぐいすや、はたきの音も..」「馬鹿、どこ読んでいる。」と慌てる土方。「だって読めと言うから。」「開いて置いてあるんだから、開いてあるところを見るだろう、普通は。」とここでも漫才ですね。「うぐいすや、はたきの音も、ついやめる。」土方は、豊玉という雅号を持つ俳人でもありました。あんまり才能があるとは思えないのですが、鬼の副長がこういう趣味を持っていたというのも意外ですよね。「そのままんまじゃないですか。」「そういう情景が浮かんでくるだろう。」「なんで土方さんがはたきを掛けているんですか。」「おれがじゃないよ。」とどこまでもかみ合わない二人。「自信のあるやつは無いですか。」「自信があるというか、好きなやつで良いか。これは、いや、これも...」「もう良いです」三谷演出の楽しい場面です。

「一番組長はお前だ。だから身体を治しておけ。」と土方。沖田と入れ違いに診察室に入った老人が山崎だったのですね。うーん、気が付かなかった。「あの先生は口は悪いが、腕は確かですよ。」と沖田。色々毒づいていましたが、孝庵を信頼していたのですね。「近藤先生には言わないで下さい。あと、おひでちゃんにも。」と沖田。素っ気ないようで、いつの間にかひでを意識していたのですね。

近藤の前での幹部会議。土方、山南、沖田、永倉、島田の古参隊士に混じって、武田と谷が並んでいます。武田は軍師としての実績が認められ、谷は局長の姻戚として座っているのでしょうか。土方の作った新編成の案を見て不満そうな永倉。一方、手放しで褒める武田。軍学者の彼としては、土方の作った編成表が的を得たものだとすぐに判ったのでしょうね。「私は承服できん。」と永倉。「これでは、近藤局長と土方副長の権限が大きくなるばかりだ。近藤さんの出世に利用しているだけではないのか。我らは近藤さんの家来ではない。」この永倉の思いはずっと後にまで尾を引き、江戸での決別を招くに至ります。「さらに聞くが、ここに山南さんの名前が無いのはなぜか。」「これは、あくまで命令の系統を図にしたものだ。山南君はこれまでどおり、相談役としてみんなの力になって貰う。」と土方。やっぱり山南総長は、ラインからはずされて近藤のスタッフになってしまうのですね。でも、それがなぜなのか説明がありません。山南の表情には、どこか複雑なものかあります。「自分たちと意見の異なるものを遠ざけ、自分たちの言う事聞く訳の判らぬ怪しげなものを近づける、そういう魂胆ではないのか。」と手厳しい永倉。「訳の判らぬ怪しげなものとは、我々の事ですか。」と怒り出す武田。永倉と武田は実際に仲が悪かった様ですね。新参者ながら巧みに近藤に取り入り、実権を握っていく武田を永倉は疎ましく思っていたようです。「山南さん、あなたは本当にこれで良いのか。」と永倉。「新選組の方針は土方君に一任してあります。」と山南。あれ、いつの間にそういう話が出来上がっていたのでしょうか?この間まで、近藤に新選組を盛り立てていこうと言っていたのは山南だったはずなのに。結局、近藤の裁定で、新編成は見送られる事に。腹の虫の治まらない土方は、「いつまでも近所のガキ集めてやっていく様な気分じゃ、新選組は時代に乗っていけねえぞ。早いところ、その仲間ごっこを止めてくれ。」と毒づきます。そして芹沢を自分たちが殺した事をつい漏らしてしまいます。これを聞いた永倉は収まりません。「仲間内で殺したのではないのかと、私はあなたに質したはずだ。」と近藤に迫る永倉。ついには、新選組を脱退すると宣言してしまいます。これに同調する島田。「ここは私が。」と後を追う山南。「あなたが止めても収まる事ではない。ここは、踏み止まって中から変えて行きませんか。」と永倉を諭す山南。ここの山南が良く判らないのですが、彼は新選組をどうしたかったのでしょうね。土方に一任してあるとして会議の場では何も言わず、ここでは改革を口にする。でも、何をどう変えようと言うのでしょう。新選組を強化するには、土方の方策しか無いように思えるのですが。この編成は土方の独創のように言われますが、山南も同調したとする説があります。実際、組織として運営して行くには命令系統の整理は当然であり、誰も反対はしなかったのではないでしょうか。「松平容保候に連名で建白書を提出し、近藤さんを諭していただくようお願いするのです。」と山南。これも良く判らないのですが、この近藤のどこを諭して貰うというのでしょうか。芹沢暗殺は会津候からの内々の指示ですし、組織編成はむしろ好ましい話のはずです。どうも、近藤を徹底して良い人に置くこのドラマの演出では、このエピソードを入れるのに無理があるようですね。「新撰組顛末記」にあるように、近藤のわがままが増長し、永倉、原田を家来の様に扱ったとしない限り、話の筋が通りそうにはありません。

どうもこのところ長くなってしまいますね。この続きは、明日アップすることにします。

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