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2004.07.28

新選組!21の2

新選組! 第29回「長州を討て」その2

寺田屋の場面。うめく負傷者達と手当をする女将のお登勢。「男勝りのかなりの女丈夫という噂。」という山崎の説明を聞き、「おまえの姉さんを思い出すな。」と沖田に話しかける近藤。咳き込む沖田。それを聞いた山崎、土方に向かって「悪い咳ですね。」。「判るのか」「針医の息子でして、医学の心得は少々。」さすがに、新選組の医者と言うだけの事はあります。「斬られた時に出る血と、吐いた時に出る血とでは、色が違うか。」と聞く土方。「口から出た血の方が鮮やかな色をしています。」と山崎。どうやら、土方は気が付いた様ですね。

咳が出て思わず座り込んだ沖田の前に落ちてくる血染めの布。屋根の上にもまた一枚が。「会津藩お預かり新撰組である。御用改めである。主人は居るか。」と宣言したのは土方。出て来た番頭に向かって「長州の落ち武者を匿っているという事は無いだろうな。」と血染めの布を示す沖田と土方。そこに現れたお登勢。「いんど呉れやす!」と近藤と対峙し、「うちに駆け込んできやはったお方は、どなたはんでも匿います。それが、新選組はんでもな。」と嘯きます。「中を改めさせてもらうぞ。」と上がろうとする土方に「例え話や!」と一喝するお登勢。一瞬ひるむ土方。お登勢さん、なかなかの迫力です。「ではこれをどう申し開く。」と差し出された血染めの布をしげしげと眺め、「これは鼻血どすわ。」と白を切るお登勢。「鼻血を出しているものなど、どこにも居ないじゃないですか。」と詰め寄る沖田。進退窮まったかに見えましたが、そのとき丁度外から雷鳴のような音が聞こえて来ます。その音に気を取られて外を見る近藤達。その隙に番頭の鼻を叩いて鼻血を出させるお登勢。「佐吉、お前また鼻血が出ている。ほやからゆうたやないか。落花生の食べ過ぎやて。」それを見て「居たじゃないか、お前のお姉さんが。」と沖田に向かってささやく近藤。これって、近藤の婚礼の日に斉藤一を庇った時におみつが使った手と同じなんですね。お登勢の手の内を知りながら「それでは又来る。」と引き上げる近藤。お登勢の度胸と義侠心に免じたのでしょうか。なかなかの貫禄ぶりです。

舞台は蛤御門に移ります。燃えさかる京都の街を右往左往する民衆。蛤御門の前では会津藩と薩摩藩が陣取り長州藩と交戦していますが、どうにも長州藩の方が旗色が悪そうです。町中にある長州藩の陣営。多数の負傷者が運び込まれています。苦戦が続く中、苦悩する長州藩の首脳達。「考えがある。」と久坂。向かった先は、鷹司邸でした。長州贔屓の鷹司卿に嘆願し、帝に直接取り次いでもらおうと言うのですね。開け放たれた扉の前に捨助が現れます。こいつ、まだこんな所をウロウロしていたのか。

あちこちから火の手が上がる京都の町。伏見の陣にあった近藤は、「新選組はこれより御所に向かう。」と宣言します。ところが原田は、「ちょっと待て、仏光寺通はいいのかよ。」と見当違いな発言。原田はまさちゃんの店が心配だったのですね。「今は御所をお守りするのが先決だ。」と取り合わない近藤。「出陣だ!」という土方のかけ声と共に新選組の面々は出て行きます。しかし、原田は一人反対の方向に掛けだして行きます。「待ってろよ、おまさちゃん!」後で妻子思いと言われた原田の面目躍如ですね。でも、これって明白な戦線離脱ではないですか。無事に済む筈はないと思われるのですが。原田の行く手には、焼け出された多くの市民の姿がありました。親兄弟を亡くして泣き崩れる子供達。戦で酷い目に逢うのは、常に弱い者達なのですね。

近藤達の前に、長州勢が現れます。「長州だ。掛かれ!」近藤の命令の下、一斉に斬りかかる新選組。次々に相手を倒していきますが、鎧を着ている相手を刀で簡単に斬れる訳はないと思うのですが...。池田屋事件では、島田魁がサイボーグの様な強靱さで刀をはじき返していたのだけどなぁ。

原田の前に現れたおまさちゃん。煤で真っ黒に汚れ、いつもの快活な姿はどこにもありません。「燃えてしもうた。お店燃えてしもうた。」と崩れるおまさちゃんを抱きしめる原田。男の優しさが溢れていましたね。

鷹司邸に潜む怪しい人影。なんと捨助です。どこから持ってきたのか巨大なお椀を抱え、夢中で御飯を食べています。よほどお腹が空いていたのですね。御所に参内するという鷹司卿に縋り付く久坂。邪険に振り払う鷹司卿。「せめて帝にお取り次ぎを。」と食い下がる久坂。「どういう了見なんじゃ貴様、こないな騒ぎを起こしておいて、今さら取り次ぎなど出来る訳がない。」とどこまでも冷たい鷹司卿。「御所に向かって、銃を放つとはどういう事か。長州は朝敵となったのである。お上もお嘆きであらっしゃらいました。」久坂にとっては耐えられない言葉でした。久坂を見捨てて去っていく鷹司卿。「我らは我が殿を朝敵にしてしまった。」と久坂は寺島につぶやきます。「来島又兵衛が討たれた。」と注進してきたのは入江九一。久坂、寺島と共に松下村塾の仲間ですね。「入江、お前は生き延びて殿に事の次第を伝えてくれ。」と久坂は入江を逃がします。「全ては日本の為と思いここまでやって来た。いつ食い違ってしまったのか。」久坂の真情だったのでしょうね。久坂は、吉田松陰が最も期待を込めていた人物の一人で、数ある志士の中でも、至純な理想に燃えていた若者でした。やや策を弄し過ぎたきらいはありますが、第一級の人物だった事は間違いありません。彼の失敗は、あまりにも真っ正直に事に当たりすぎた事でしょうか。彼と双璧をなすと言われた高杉晋作は、危ないと思えば何度でも身を隠し、時が来るまで待つ事を知っていました。その点、久坂の場合は、沸騰する世論と真っ正面からぶつかり、それに巻き込まれる形で京都まで攻め上り、最後は自滅する羽目に陥ります。彼に高杉のような変幻さがあったらと悔やまれてなりません。明治後まで生かしておきたかった人物の一人ですね。

久坂に咎められ、縁の下から出て来た捨助。「怪しい者ではありません。」て、十分に怪しいのですが。何を思ったか久坂は、この怪しい捨助に切り取った髷を託します。「これを桂先生に届けてくれ。」一緒にいた寺島もこれに倣います。「命は大切にした方が。」と、捨助にしてはまともな発言。「これからどうなって行くのか、長州は、幕府は、日本は。我らの為してきた事は意味があったのか。私が生まれてきた事は。」本当に久坂は無念だった事でしょうね。ドラマでは描かれなかったですが、この後彼は寺島と刺し違えて亡くなっています。享年25歳。なんて若さだったのでしょう。

このドラマでは、長州藩が一方的に敗れたように描かれていましたが、実際には相当な善戦をしていました。伏見方面でこそ鎧袖一触で敗れていますが、その間隙を縫うように天竜寺から発した一軍は、途中で邪魔されることなく御所へたどり着きました。完全な不意打ちを食らった幕府軍は浮き足立ち、中立売御門、蛤御門、下立売御門が次々に破られ、一時は長州軍が御所内に突入しかねない状況になっていました。この時、会津候は、建礼門(南門)の前の御花畑(凝華洞)の仮陣屋にあって、寝返りも出来ないほどの重篤な病に掛かっていました。しかし、銃声を聞くや飛び起きて御所に参内し、帝の側にあって公卿の動揺を押さえる役目をしています。あまりの長州の勢いに、長州を許せという声が上がりかねない為でした。会津候に代わって全軍を指揮したのが一橋慶喜で、崩れ立つ会津兵や一橋兵を叱咤激励し、かろうじて戦線を支えていました。長州藩の先頭に立って奮戦していたのが来島又兵衛で、彼は戦国武将の再来と言われた猛将でした。彼は、天皇の御座所を目指して突き進みます。この戦況を変えたのが、薩摩軍です。薩摩軍は、京都藩邸から天竜寺に向かおうとしていたのですが、隙を撞かれて長州藩が御所へ達してしまったため、急遽御所へ駆けつけたのでした。指揮を執るのは西郷隆盛。西郷の軍は、乾御門から突入するや長州軍に襲いかかります。長州軍はこれを迎え撃ち、指揮を執る西郷を狙撃して脚を負傷させ、これを落馬させています。西郷は、荒れ狂う長州軍の中心は来島であると見抜き、これを狙撃させ、重傷を負った来島は自ら命を絶ちました。来島が亡くなった場所として伝えられる位置には「清水谷家の椋」と呼ばれる大樹が植わっているのですが、御所の内塀のすぐ外であり、あと少しの余裕があれば御所内に突入出来ていたかもしれないと思える近さです。来島を失った長州軍は崩れ立ち、敗走を始めます。久坂達の軍が堺町御門に到着したのは、この直後でした。例えるなら蜂の巣をつついた後に飛び込んできた様なもので、この軍はたちまちの内に苦戦に陥ります。彼等は、堺町御門の右手にあった鷹司邸に入り込み、あたかも籠城戦のようにして戦います。久坂が鷹司卿に嘆願したのはドラマのとおりで、実際にはあんなに静かな訳はなく、矢玉が邸内に飛び交っていたと言います。久坂が逃げろと言った入江九一ですが、邸を出た所で敵に包囲され、槍で一突きにされて亡くなっています。包囲していた幕府軍は、鷹司邸に火を放ち、中に居た多くの長州兵が討たれました。

京都の大半を焼いた火は、逃走する長州兵が付けていったと長くされていましたが、実際に民家に火を放ったのは幕府軍の方だった様です。長州藩も京都藩邸を焼いていますが、残敵掃討のために幕府方が民家に火を放った事が「浪士文久報国記事」に書かれています。焼失家屋27517軒、死者、負傷者数知れずと言われたこの火事は、「どんどん(大砲の音)焼け」、「鉄砲焼け」として、長く記憶される事になります。

御所で、戦勝の報告をする会津候。「我にはどうも判らぬ。あの者たちは、何がしたかったのじゃ。」と孝明帝。この言葉で判るように、孝明帝個人としては、八・一八の政変以前の長州藩の策謀を嫌い抜いており、幕府を頼り、特に会津候を信頼されていたのでした。その点、「誠を持ってすれば帝に真意は届く。」と可憐なまでの純粋さで天皇を信じていた長州藩は、言ってみれば一方的な片思いで、哀れささえ感じてしまいますね。

佐々木只三郎から大島吉之助(西郷隆盛)を紹介された近藤が、指示を仰ぎに大島の下を訪ねます。足を怪我している大島。ちゃんと史実どおりの設定ですね。なかなかに大人物らしい風貌です。「この度は、皆さん方の働きのおかげで、無事長州の連中を蹴散らす事が出来もした。ありがとうございもした。」事実上、薩摩藩が最大の働きをしたにもかかわらず、大将らしく謙虚な大島。それを聞く近藤は、なんの手柄も立てておらず肩身が狭そうです。天王山に残敵がいる事を聞かされた近藤は、新選組が追討する事を願い出、聞き届けられます。「近藤さん、新選組にはこいからもお世話になり申す。」と別れ際に西郷。単なるあいさつなのか、これからの駆け引きを暗示しているのか。

実際に天王山に向かったのは、新選組だけではなく、会津藩と一緒であり、会津藩の方が主力だった様です。薩摩藩は天竜寺へ向かい、会津藩より早くに戦果を上げていました。あせりを感じた会津藩は、新選組を大斥候として派遣し、天王山の様子を探らせた様です。その結果、大半の兵力は逃げてしまっており、山頂付近にわずかな残党が居るらしい事が判りました。新選組は山下を固める組と山上に向かう組の二手に分かれ、近藤が山上に向かう組を率いて山を登っています。無論、この時は会津藩と一緒でした。山上に達した時には長州軍が全て自害していたのは、ドラマにあったとおりです。ドラマでただ一人生きていた真木和泉については、近藤勇と名乗り合った後、自陣に戻って自害したと「浪士文久報国記事」にはあります。

焼け残った町で桂を探す捨助。両手に髷を持って探しているあたりは健気ですが、「なんでこんな事しなけりゃなんねえんだよ。」と文句たらたらなのはこの男らしいですね。とある民家の中に桂の姿がありました。旅装している所を見ると、京都を脱出するつもりの様です。「うちは、どないしたらよろしいんですか。」と困惑を隠せない幾松。「ここで私からの連絡を待て。しかし、くそっ、京の様子を伝えてくれるものが欲しい。私の目と耳となってくれる者が。」「私がなります。」「お前にそんな危ない事は頼めん。」そこへ入ってくる捨助。預かった髷を桂に渡し、珍しくさっさと帰ろうとします。「待て、この人は私の命の恩人なんだ。」と桂。婚礼の日の事を思い出し、捨助が近藤の縁者である事を確かめた桂は、「君は近藤君から池田屋の事を聞き、それで前もって私の所に来て、わざと膳をひっくり返し、私を一度藩邸に戻らせ、新選組の襲撃から私を救った。」と礼を言います。あのう、それって「大誤解」なんですけど。しかし、捨助は「とんでもない。」とすっとぼけます。「なぜ助けた。」「俺はね、近藤勇と新選組というやつが大嫌いでね、それだけの事ですよ。」とこれは自分に冷たい近藤や土方に対する本音でしょうか。ますます誤解を深めた桂は、なんと捨助に間者にならないかと誘います。「命を救ってくれたお礼に、仕事を頼みたい。」と桂。お礼って、さっき幾松にそんな危ない事はさせられないと言ったばかりではないですか。「適当な人を捜していたのだが、なかなか見つからなくてね。」と桂。要するにこの際誰でも良かったのですね。「長州と縁がなく、しかし我らと思いを同じくし、たぐいまれな勇気を持った人物。」そう言って捨助をじっと見つめます。桂というのは、人たらしでもあったのですね。「俺?」という感じで自分を指さす捨助。確かに長州とは縁がなく、新選組が嫌いという点では一致していますが、どこに勇気があると言うのかな...。「長州と日本の未来は、捨助さん、あなたに掛かっている。」と最後の決め文句を言って捨助をその気にさせてしまいます。これまでも、こうやって何人もの間者を作ってきたのでしょうね。桂ほどの大物にここまで言われれば、捨助ならずともその気になってしまった事でしょう。これから捨助はどうなるのかな。見方によっては、どこからどう見てもまさか間者とは思えず、案外適任なのかも知れませんが...。

蛤御門の変の際の桂の行動は、謎に満ちています。その手記に当日の行動が詳しく書かれていますが、不可解な点が多くそのまま信用する事は出来ないようです。その手記によると、事変の前夜、桂は同志80人を連れて鳥取藩邸に居たとあります。鳥取藩には、桂と同調してくれる有志が居たのですね。彼は有栖川宮に働きかける事によって、最後の形勢逆転のチャンスを伺っていました。しかし、夜が明け、戦争が始まると鳥取藩は幕府軍の一員として出陣し、敵対関係になってしまった桂は居所を失ったため藩邸を出て、堺町御門へと向かいます。そこで天皇が鴨神社へ避難するという事を聞き、直接天皇に訴える為に鴨神社へと赴きます。しかし、待つこと数時間、天皇は来ることなく、ますます戦況は激しくなり、部下達は戦いに馳せ参じようと言いますが結論は出ず、さらに数時間が経過し、遂に部下達を戦場へ向かわせ、自らは天皇が来るのを待つことにします。しかし、やがて待つことを諦め堺町御門まで来ると鷹司邸に火が上がり、長州藩が敗れた後でした。さらに朔平門のあたりまで行き、天皇の動座がないことを聞き、夜に乗じて天王山に向かいますが、そこも既に味方が逃げ去った後と知り、京都へ舞い戻ったとあります。この中で不可解なのは、まず天皇の動座があると聞き、鴨神社で待っていたという点です。そもそも、御所周辺は幕府軍が固めていたはずで、手勢を引き連れた桂が無事に通過出来たというのが不自然です。また、目の前で激戦が行われている中で、何時間もの間何もせず、ひたすら待っていたというのも理解に苦しみます。さらに、堺町御門に引き返し、そこから朔平門に至ったとありますが、この頃はそれこそ幕府軍が充満していたはずで、とても桂が近づけたはずがありません。まして九門内にある朔平門にたどり着けるはずもなく、かなりの脚色が施されていると考えるよりない様です。どうやら、最後まで外交努力を惜しまずに各藩の間を走り回っていたのだが、そのうちに戦争が終わってしまい、身を隠すよりほか無かったというのが実情だったのではないでしょうか。桂はこの後、一時三条大橋の下の難民の群れの中に姿を隠し、その後つてを伝って出石に潜伏することになります。

天王山へ向かった新選組。陣屋へ踏み込みますが、既に死屍累々といった有様でした。「戦う手間が省けたな。」と土方。しかし、ただ一人真木和泉の姿だけがありました。「わしらが正しいか、お前達が正しいか、それはいずれ時代が明らかにしてくれる。その目でしっかりと見届けよ。」そう言い放った真木は、凄絶に立ち腹を切って果てました。「これで終わったな、長州は。」と土方。確かに長州はこの後存亡の危機に立たされます。まず、四国連合艦隊による下関砲撃を受け、さらに幕府による長州征伐を受ける事になります。まさに袋だたきに合う訳ですが、そこから再び立ち上がってくる強さが長州藩にはありました。

浮かぬ顔の近藤。「嬉しそうじゃないな。」と土方。「あれだけ守ると誓った京の町を焼いてしまった。」と近藤。「俺たちにはどうする事も出来なかった。やるだけの事はやった。」と土方。確かに新選組の力でどうこう出来るような戦ではありませんでした。これだけの規模の戦になると新選組はただの一部隊に過ぎず、戦局を動かすような働きが出来るはずもなかったのです。「俺たちのやった事は間違っていなかったのか。」とまだ迷いの残る近藤。「いよいよだぜ、これから俺たちの時代がやって来る。」と土方。その土方の言葉どおり、幕府は一時的に勢威を取り戻し、新選組も最盛期を迎える事になります。隊士も増え、京都の治安を守るということにおいては、最も充実した時期だったかも知れません。

この項は、木村幸比古「新選組日記」(「浪士文久報国記事」)「新選組と沖田総司」、新人物往来社「新選組資料集」(「史談会速記録)、別冊歴史読本「新撰組の謎」、永倉新八「新撰組顛末記」、司馬遼太郎「龍馬がいく」、「歴史の中の日本」、邦光史郎「幕末創世記」、学研「幕末京都」、奈良本辰也「幕末維新の志士読本」を参照しています。


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コメント

はじめまして。
いつも新選組について歴史的資料と合わせて紹介してくださっているねこづらどきに、歴史オンチな自分は大変お世話になっております。
大河と合わせて読むと大変勉強なります。

さて、細かいことなんですが、
>鎧を着ている相手を刀で簡単に斬れる訳はないと思うのですが...。
と書かれていますが、よく見るとちゃんと鎧以外のところを斬りつけていますよ。
主に脇の下に刀をあて、そこから斬り上げるといった描写になっているようです。
なるほど、どんなに鎧をつけてもカバーできないし脇の下はたしか太い動脈が走っているところ・・・。実際の戦もこうして鎧の隙をついていたんだろうなと関心して今回の大河を見入っていたので印象強く残っています。

重箱の隅をつつくようなコメントで申し訳ありません。
今回関心した演出のひとつだったので書き込ませて頂きました。

投稿: YAS | 2004.07.29 04:20

YASさん、こんにちは。情報の提供ありがとうございます。早速ビデオで確認してみました。なるほど、おっしゃるとおりですね。ややあやしい箇所もありますが、概ねご指摘のとおりの描写になっています。おかげさまで、また三谷演出の奥深さに気付く事が出来ました。

投稿: なおくん | 2004.07.29 18:28

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