祇園祭宵々山と池田屋事件
今日7月15日は、祇園祭の宵々山。今頃、四条界隈はさぞ賑わっている事でしょうね。私、このお祭りの雰囲気が大好きで毎年の様に出かけていたのですが、ここ数年はご無沙汰しています。今年も残念ながら行く事が出来ません。うーん、口惜しいよ。
祇園祭の宵々山と言えば池田屋事件ですね。1864年(元治元年)6月5日、近藤勇率いる新選組が三条小橋の旅宿池田屋に御用改めをかけ、尊攘派浪士と乱闘の結果、多数を斬殺又は捕縛に成功しています。
ところで、この日付はおかしいと思いませんか。無論これは旧暦ですが、例えば今年の7月17日は旧暦の6月1日にあたります。どうにも辻褄が合わないのですが、調べてみると次の様な事が判りました。
江戸時代には前後の2度に渡って山鉾の巡行が行われていました。日付は旧暦6月7日と6月14日。6月5日は、前の祭りの宵々山に当たっていたのですね。この2度に分けた祭りは意外に最近まで行われていて、昭和41年に前後を合わせて7月17日に行うようになったそうです。また、巡航のコースが今の様になったのもこの時とか。それ以前は前後の祭りでコースが違っていましたが、共通項としては河原町通ではなく寺町通を通っていた様です。観光の便宜を図るために河原町~御池通を通るコースにしたということですが、伝統ある祭りにも色々と変遷があったのですね。
今年は宵々山を楽しんだ後、池田屋跡を訪れる人も多いでしょうね。私は20年以上前まだ学生だった頃に、この日を選んで池田屋跡に行った事があります。今はパチンコ屋さんになっていますが、当時は池田屋ビルといって一階はレストランだったかな、そして階段を上がった最上階は古本屋になっていました。そこで扱っているのは池田屋跡らしく幕末関係の本が主だったように記憶しているのですが、賑やかな三条界隈にあってそこだけ別世界の様に静かな店でした。その頃私は、司馬遼太郎の「燃えよ剣」や「新選組血風録」を読んで新選組フリークになったばかりで、賑やかな祭りに行くよりも池田屋事件の雰囲気を味わいたいと思っていたのですね。当時は今のようにブームがあった訳ではなく、そんな事をするのは私くらいのもので、店に居る客と言えば私一人だけでした。静かな店の中で古本を見ながら、どこからか剣戟の響きが聞こえてきはしまいかと耳をすませていたのですが、そんな事がある筈もなくすぐに閉店時間が来てしまいました。階段を降りて賑やかな三条通に出ると、異次元の世界から戻ったような気がしたものです。どこからともなく祇園囃子が流れていましたっけ。
今は、剣戟の響きがあったとしても、パチンコの騒音でかき消されてしまっている事でしょうね。池田屋事件、今から140年前の出来事です。
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