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2004.06.23

新選組!16の2

今回の新選組マイナー隊士の紹介は、井上源三郎です。

井上家は、遠祖は駿河今川家に属していました。今川家滅亡の後武田家に仕え、さらに武田家滅亡後日野へ移り住んだとされています。八王子千人同心の株を継いで幕末に至っており、源三郎は七代目にあたる初代松五郎の三男として1829年(文政12年)に生を受けました。家督を継いだのは次男の松次郎で、父親の松五郎を襲名しています。

井上源三郎と言えば、通称「源さん」と呼ばれ、百姓家の隠居のような風貌で、試衛館の内弟子として道場の用人の様な立場にあり、剣の腕は並以下だが篤実温厚な性格で皆から親しまれていた、というのが一般的な人物像でしょうか。司馬遼太郎の「新選組血風録」の「三条磧乱刃」に描かれた姿が代表的なイメージであり、ドラマでも概ねこうした描写がされていますね。新選組隊士の近藤芳助が残した書簡では「文武共に劣等の人なり」と酷評されており、これが源三郎のイメージを作ったのかもしれません。
しかし、調べてみると少し違ったイメージの井上源三郎が浮かんできます。

まず剣の腕ですが、子母澤寛の「新選組始末記」では目録とされており、これがその後の小説等では踏襲されて来ました。しかし、近年日野において源三郎の免許が発見され、1860年(万延元年)に免許を受けている事が判っています。また、試衛館の内弟子だったという事はなかった様で、日野の佐藤彦五郎の道場に通って修行に励んでいた様です。ドラマにもあった1861年(文久元年)に行われた近藤勇の天然理心流四代目襲名の野試合では、本陣の鉦役として参加しています。

浪士組結成の情報を試衛館にもたらしたのは、源三郎だった様です。土方歳三の書簡に江戸から伝わっていた噂を、源三郎から確かな情報として聞いたとあるそうです。その浪士組では、近藤ら試衛館の面々とは別の新見錦の組に入っています。これは草創期におけるちょっとした謎なのですが、この組には沖田林太郎ら日野の人々が加わっていることから、源三郎は試衛館一門としてよりも日野宿の人として応募したのではないかという説があります。試衛館の繋がりより地縁の繋がりの方を優先したのかも知れませんね。

京都では、源三郎はその日野組の中でただ一人残留します。他の沖田林太郎達には妻子が居た事が帰還の理由のひとつになっている様です。源三郎は、新選組創設メンバーの一人となり、副長助勤を勤めることになります。

この頃、兄の松五郎も千人同心として将軍家茂の警護の為に上洛していました。この松五郎の元に新選組(当時は壬生浪士組)の面々が訪れている事が松五郎の日記から判ります。土方歳三も日野の人ですが、この松五郎を頼りにしていたらしく、頻繁に訪れています。話の内容は、新選組草創期における色々な相談事だった様で、芹沢鴨のグループとの折り合いについてや、近藤勇の増長についての相談などでした。土方は、松五郎を訪れる時には大抵源三郎を伴っており、この兄弟に対する信頼ぶりが伺えると同時に、日野の地縁による繋がりの強さも感じられます。翌年、日野の名主である富澤忠右衛門が上洛してきた時にも、土方、源三郎、沖田総司が歓待しており、ここでも郷党の繋がりを伺わせます。

源三郎の新選組での活躍は、まず1864年(元治元年)5月16日に起きた大阪町奉行所与力の内山彦次郎の暗殺があります。源三郎は、近藤、土方、沖田、永倉、原田、島田らとともに参加したとされています。

次いで、池田屋事件においては土方隊に属して参加しており、永倉新八の「新選組顛末記」では、二階の梁の上に居た浪士を突き刺したとあります。この活躍により、報奨金として17両を受け取っています。また、禁門の変においては、20名の部下を引き連れて天王山へと向かい、土方の指揮のもと山下を固めています。

1865年(慶応元年)の編成では、源三郎は六番組長となっており、依然として幹部の一人として重要されていました。慶応3年9月には、隊士募集のために土方と共に江戸へ下っており、これが最期の帰郷となりました。この年、大政奉還が行われ、翌年1月に鳥羽伏見の戦いが始まったからです。

源三郎は、松五郎の次男泰助と共に参戦しています。泰助はこのときわずかに11才でした。源三郎は、1月5日に行われた淀千両松の戦いで最期を迎えます。ここは、鳥羽伏見の戦いにおいて最激戦地となったところで、最初は幕府軍が優勢でしたが次第に戦況は新政府軍に傾き、新選組にも退却命令が出されます。ところが、源三郎は引きませんでした。泰助が後に「おじは、普段は無口でおとなしい人だったが、一度こうと思いこんだらテコでも動かない様なところがあった。」と言っていますが、この時もそうした性格が発揮されたのかも知れません。源三郎は銃弾を浴びて、その生涯を閉じました。このとき一緒にいた泰助は、源三郎の首を落とし、刀と一緒に大阪まで持ち帰ろうとしたのですが、あまりにも重く、途中の寺の門前の田の中に埋めたと言います。残念ながらこの寺の名は伝わっていません。それにしても、11才の子供には、とても過酷な体験だった事でしょうね。

この泰助の晩年の肖像画が今に伝わっていますが、おそらく源三郎と面差しが似ていた事でしょうね。確かに、篤実な百姓家の隠居という表現がぴったり来る風貌です。ドラマでは、近藤の近くに仕えて雑務をこなす一方で、迷走する沖田を憂う姿が描かれています。実際にも一門の中の年長者として、土方や近藤から頼りにされ、調整者としての役割を果たしていたものと思われます。新選組の一つの顔である多摩の郷党を象徴する存在だったのではないでしょうか。

この項は、新人物往来社「新選組銘々伝」、永倉新八「新選組顛末記」、子母澤寛「新選組始末記」、司馬遼太郎「新選組血風録」を参照しています。


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コメント

「淀千両松の戦い」の話、おもしろかったです。
特に、京都競馬場の拡幅工事の時に、新選組の幽霊が出た話は、興味深いです。今度、京都競馬場に行ったら、慰霊碑を是非みたいと思います。

投稿: 合理的な愚か者 | 2004.06.27 15:22

千両松の慰霊碑は、駅からだと少し離れているので注意して下
さい。線路沿いに京都へ向かって歩いて、立体交差の向側にな
ります。あたりはがらんとしているので、夜は恐いでしょうね。
いつか、井上源三郎の首を埋めたというお寺を探してみようか
などと考えています。

投稿: なおくん | 2004.06.27 17:36

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